「戦争法反対!浜松駅前毎日スタンデイング」 2000回
2021年3月7日(日)、「戦争法反対!浜松駅前毎日スタンデイング」が取り組まれた(11時~12時)。2015年9月14日にスタンデイングを始めてこの日が2,000日目。5年半の間、途中台風による中止一日があったが、他は毎日立ち続けてきたものだ。
戦争法(=安保関連法)が強行採決で成立されたのが2015年9月19日。日本が「戦争ができる国」「戦争する国」になると危機を感じ、同法案に反対する人たちが連日国会を取り囲み、各地で声を上げた。今でも「19デー」には総がかり行動が全国各地で取り組まれている。しかしこの「毎日スタンデイング」は「19日」の記念日(?)だけでなく、文字通り毎日立ち続けてきた。当初の「戦争法反対!」に加えて、「共謀罪反対!」「集団的自衛権反対!」「オキナワに新基地を作るな!」「水道民営化反対!」「スーパーシテイに異議あり!」など様々な課題に対して声を上げてきた。メンバー達はプラカードを持ってのサイレントスタンデイング、チラシ配り、歌、スピーチ、署名集めなど、思い思いのスタイルで「ノン!」の声を上げてきた。3月7日にはこのメンバー達の呼びかけに応えて十数名が集まり、スタンデイングに加わった。
毎日スタンデイングのメンバーはスタンデイングへの想いを以下のように語った。
・派手なことはやらない、できることをやろうと続けてきた。この続けてきたという重みが今改憲を許していないのだと思う。
・立っているといろんな人が話しかけてくる。賛成も反対も。SNSでいろんな課題でスタンデイングをやっている人たちとつながり、今日もその人たちが遠くから駆け付けてくれている。本当はこのスタンデイングを早く終わり、この駅前の場所が歌を歌ったりダンスを楽しむ場所になってほしいものだ。
・何か事態が好転したというのではない。嬉しいこと、褒められるべきこと、喜ぶべきことではない。
・(スタンデイングを)やってきたことの成果は見えてこないが、2000日やったのは、やれることをやるしかないからだ。
・終戦の時、私は小学校4年生だった。戦争が始まった時、周りのみんなは喜んでいた。そのように教えられていたのだ。教育とはどんなに恐ろしいものか。その戦争で駅前の防空壕に入っていて蒸し焼きになってしまった人もいる。私はもう歳なので、これからの人たちによろしくお願いしたい。
・立っていると色んなことを言ってくる人たちがいる。「~をやったらどうか」「~したほうがいい」などという人もいる。しかし、こういう人たちは物事を他人事としかみていない。自分のこととは見ていない。
この日は初夏のような陽気。汗ばみながら声をあげ、歌を歌い、チラシを配る人たちに対して、道行く人達は殆ど無関心のように通り過ぎる。しかしその中でも時折立ち止まり、チラシを受け取り、耳を傾ける人も僅かだがいるのは確か。何より、無関心ながらも道行く人たちの視界にスタンデイングの姿が入っているのは確かな事実だ(本人が意識する、しないに関わらず)。あるとないとでは大違い。それが2000日続いてきたのだ。砂漠に落ちる一滴の水に思えても水が落ち続ければ生命が芽吹くこともある。辺野古の座り込みは6000日だ。「勝つ方法は、諦めないこと!」 (I)