3・2豊田直巳スライドトーク・掛川
豊田直巳の写真展「あなたに見てほしい 福島の13年を」が掛川市中央図書館でもたれた。3月2日には豊田直巳スライドトークがもたれ、40人ほどが参加した。豊田さんは福島現地を13年間取材してきたことをつぎのように語った。
福島原発事故が起きると、現地に入り、共同通信に「想像を超えた放射線量」の記事を送った。
原発を稼働させるには避難計画が欠かせないが、避難計画は1週間である。今も緊急事態は続き、避難者がいるのに。いったい避難はできるのか。
双葉町の原子力正しい理解でよい暮らしという看板は撤去された。伝承館ができて看板が展示されることになったが、展示物はレプリカだった。負の遺産が消されていく。
双葉駅前でイベントがされ、成人式が行われたが、避難先からの参加だった。双葉町役場ができ、復興住宅ができたが、住民は戻れない。大熊町の庁舎も2019年にオープンしたが、居住者は9人、職員が110人という状態だった。
放射線が残る建物は撤去され、大野駅前の商店街は消えてしまった。浪江小学校の建物も無くなった。黒板には「津島小か活性化へ避難」と記されていたが、その避難先が放射能をあびた。被ばくを証明するようなものだったが無くなった。考えさせる風景が消され、考えさせないという状態だ。
汚染された建物を破壊し、復興宣伝と聖火リレーがなされた。富岡町では「TOMIOKA PRIDE」と称して、2022年3月に桜まつりが行われ、その後、避難が解除された。東京電力の「いいね省エネ宣伝」などの広告が再開された。しかし、汚染状況は続いていて、青森から静岡にかけて、天然キノコの出荷停止は続いている。
税を投入して除染をおこなってきた。だが、除染はできたのか。220万個の汚染袋を置く場は、仮置場では足りず、仮仮仮置場までできている。除染した家も結局は解体され、そのごみは中間貯蔵施設に持っていかれる。この中間貯蔵の1400万個の汚染物に行き場はない。薄めてばらまくという計画もある。
安藤ハザマ、大成建設、鹿島などゼネコンが利益を上げる仕組みだ。除染しても周辺が汚染され、帰れない。結局、更地になる。それでゼネコンがまた利益を上げる。道路のみが避難指示解除という場所もある。事故の影響などなかったことにしたいようなやり方だ。
復興五輪で、8億5千万円の復興ふれあい館がつくられ、飯館村のまでい館(道の駅)は13億円、スポーツ公園に12億円が投じられた。交番、消防署,斎場と次々に新設されていく。福島での道路の再塗装に30億円という事例まである。国税を使っての復興事業の実態である。
豊田さんの写真展の題目は、叫びとささやき、隠される街、悔恨と悲哀、除染と解体,止まった時間、校舎の記憶など、実態の考察を呼びかけるものだった。進行する偽りを問い、原発をなくすいま一層の取り組みが求められる。 (T)