5・18青木美希講演会「なぜ日本は原発をとめられないのか」

2024年5月18日、ジャーナリスト・青木美希さんの講演会が静岡市内でもたれた。主催は浜岡原発を考える静岡ネットワークであり、90人ほどが参加した。

 

青木さんは現地の映像や写真を示してつぎのように話した。

2024年1月の能登沖地震で当初、志賀原発は「異常なし」とした。しかし、津波が来ていたことはあとでわかった。モニタリングポストも18か所が観測できなかった。変圧器から2万リットルの油が漏れていた。変圧器の耐震設計は500ガルだった。原発敷地内では79か所の地割れが起きていた。避難計画はあったが、避難ルート11のうち7か所が寸断された。屋内退避は震度7の地震では家屋が倒れて不可能であり、頑丈なコンクリートの建物がない地区が多い。防護施設に入れる人は少ない。

珠洲原発の建設は29年に及ぶ反対運動で阻止したが、能登沖地震で立地予定地に大規模な隆起が起きた。原発設置では大規模な隆起は想定外である。隆起が起きれば、冷却用の取水トンネルが壊れ、取水できない。推進派は原発があれば豊かになると宣伝していたが、原発マネーで建設されるのはハコものであり、その維持に費用が掛かり、年と共に交付金が減り、増設になっていく。「賛成する理由は何もない」と反対した人々は予定地の共有を含む活動で阻止した。もし珠洲原発ができていたら今回の地震でメルトダウンにつながる事故になっただろう。

規制委員会は今回の地震で避難指針の見直しに言及したが、1か月も経たないうちに避難も屋内退避もできないことは検討しないと会見で述べた。だが、志賀原発の審査は長期化する。各地の原発を含め海域活断層の長期評価はほとんどなされてはいない。

福島第1原発の事故現場では1・2号機の核燃料は燃料プールにそのままになっている。テロ対策を理由に撮影が制限されている。1号機周辺の放射線量は強く、マスクをしての作業は重労働だ。作業員は約4500人が働いているが緘口令があり、取材が難しい。下請労働者の危険手当は1日2000円となったが、ゼネコンの社員は1日2万円だ。

福島では復興拠点づくりが進められているが、放射線量は高く0.3マイクロシーベルトを超える。復興の名で非難を解除するが、住居手当や医療支援がカットされる。住居の提供が打ち切られ、家族が分断され、子どもが心を病んで自殺した人もいる。福島事故は故郷、帰るところ、コミュニティを失くした。

官・政・形・学者・メディアによる原子力ムラにより原発が続く。朝日新聞は条件付き容認論だったが、事故後は脱原発に転換した。首相が原発を推進する。原子力ムラで金が集められる。電力会社は小口のパーティー券購入を重ねることにより表に出ない献金をしている。いま、10万円以下のパーティー券などの献金については明示しなくていいという資金規制案が示されているが、これでは規制にならない。第2第3の3・11が起きないように声をあげ続ける必要がある。原発をなくすには何十年もかかる。(要旨)


 講演では、福島からの避難者も登壇し、故郷を失う悲哀と生地への帰還の想いを話した。浜岡原発の再稼働を阻止し、廃炉への動きを作っていこう。