企業の戦争責任の追及 朝鮮人強制動員と大倉土木(大成建設)
はじめに
今日は企業の戦争責任の追及の題で大倉土木(現在の大成建設)を事例に話したいと思います。
はじめに現代戦争の特徴をまとめてみると、第1に宇宙の軍事化、第2にミサイル防衛を軸にした予防先制攻撃、第3にAI・ロボット兵器の使用、第4に平時と戦時のシームレスな状態、継ぎ目のない状態となっていることとまとめることができるでしょう。
このような戦争の特徴の下で、ミサイル兵器や宇宙の軍事利用、基地建設、AI・ロボット兵器の生産、戦後の復興事業などで企業が利益をあげるわけです。大成建設を初めとする辺野古での大規模な埋め立て工事もこの一環です。
1 強制動員企業の戦争責任
ではアジア太平洋戦争時の企業の戦争責任の追及について強制動員をめぐる動きからまとめてみます。
2018年に韓国の大法院が強制動員の判決を出しましたが、そこで戦時(1939~45)の日本企業による朝鮮人強制動員を「日本の不法な植民地支配や侵略戦争の遂行に直結した日本企業の反人道的不法行為」とし、動員企業に対する「強制動員慰謝料請求権」を確定させました。その後、韓国大法院では2023年末から24年にかけても同様の判決が出ています。
しかし、日本政府は戦時の強制労働を否定し、判決を国際法違反とみなして、非難しています。被告企業の日本製鉄と三菱重工業、不二越も被害者への賠償を拒否しています。
2018年判決の後、韓国では第2次訴訟が起こされています。そこでの被告企業をみれば、日本コークス工業(当時は三井鉱山)、北海道炭礦汽船、三菱マテリアル(三菱鉱業)、三菱重工業、住石マテリアルズ(住友鉱業)、住友金属工業、JX金属(日本鉱業)、日本製鉄、古河金属機械、DOWAホールデングス(同和鉱業)、川崎重工業、不二越、日立造船、西松建設、熊谷組、安藤・ハザマ(間組)などがあります。
大法院判決を受けて、今後、動員被害者が勝訴する見込みです。韓国政府は韓国政府傘下の財団に肩代わりさせるという第三者弁済を行なっていますが、それでは問題は解決できないでしょう。まず日本政府は戦時の強制労働を認めて謝罪し、そして企業が賠償に応じるよう勧めるべきです。
2 大倉土木 (大成建設)と強制労働
① 強制連行前史
つぎに大倉土木と強制労働についてみてみましょう。戦時の強制連行、それは日中戦争開始後の1939年から45年にかけて日本政府が労務動員計画を立て、その下で企業が朝鮮半島各地から朝鮮人を動員したことをいいます。それ以前から、建設土木の現場を中心に監獄部屋(タコ部屋)での強制労働問題がありました。その問題が顕在化した事例が1922年の新潟県の信濃川上流の中津川での虐待、虐殺事件です。一般に「信濃川朝鮮人虐殺事件」と呼ばれています。
中津川は長野県と新潟県の県境近くを流れていますが、そこで信越電力が発電工事をおこないました。発電所は現在も稼働していますが、東京電力の所有となっています。導水路(トンネル)を掘り、そこに水を流して発電するという工事です。この工事を日本土木(後の大倉土木)と大林組が請け負いました。
日本土木の現場労働には日本土木の直営のほかに鈴木音二郎、清水清吉、柳田伊三郎などの下請けがありました。鈴木音二郎を頭とする組は鈴木工業部といい、拠点を穴藤(けっとう)の集落に置きました。主としてこの鈴木工業部で朝鮮人への虐待がなされ、とくに鈴木音次郎の弟、三勝と呼ばれた鈴木勝次郎の現場での虐待が知られるようになったのです。
韓国で「東亜日報」が設立されたのは1920年ですが、その記者李相協は1922年に現地を訪問して連載記事「穴藤踏査記」を記しています。そこには次のように記されています。
三勝は鈴木音次郎の弟であるが、虐待か虐殺なのか見分けのつかないような残酷な行為をおこなった。密陽出身の金甲喆は当時19歳であった。大人一人分の仕事をさせられたが、工賃は半人分だった。激しい仕事と棍棒やゲンコツによって生命をすり減らし、2月に逃亡したが捕らえられた。三勝は角棒で殴るだけでなく、裸にして縄で縛り、荷鈎で肌を突き刺し、雪の穴に放り込んだ。三勝の飯場から禹徳東、禹允成、禹仁賛の3人が逃げたが、捕らえられた。裸にして冷水に投げ込み、縛って正座させ、砂利とセメントを身体の周りに詰め込み、水をかけて放置した。同僚の哀願により気絶寸前で助け出され、命だけは助かった。三勝は労働者に往来する手紙を先に読んで悪刑を加えた。申明益への大阪の兄からの手紙に、虐待があまりにひどいようだからこちらに働きに来たらどうかとあるのを見つけ、申をコンクリート漬けにした(「新潟殺人境=穴藤踏査記9」「東亜日報」1922年8月31日付記事など)。
このように虐待を報告しています。虐待から致死に至るような行為が繰り返されていたとみられます。難工事で事故死があったことも他の史料からわかります。
1921年には日本で労働総同盟、22年には日本農民組合や全国水平社が結成されました。土木現場のタコ部屋での虐待も社会問題となりました。労働運動、社会運動の高揚のなかで朝鮮人の虐待も問題とされ、朝鮮人も含めて活動者による現地調査が行われました。この中津川での虐待・虐殺事件は朝鮮人自らが在日本朝鮮労働総同盟を結成する契機となりました。
日本による朝鮮の植民地統治のなかで、1920年代には大倉土木などの土木業者の下には朝鮮人が多数存在していました。大倉土木は1925年から26年にかけて浜松の飛行第7連隊の基地建設工事を請け負いましたが、ここでも朝鮮人が労働していました。
② 強制連行期1939~45年
つぎに新潟県の鉄道省信濃川発電工事についてみます。この工事は1931年から45年にかけておこなわれ、戦後も工事が続きました。この発電工事による電力は現在も首都圏のJRに電力を供給しています。
工事は宮中ダム、導水路のトンネル掘削、浅河原調整池、千住発電所、余水路などを建設する大工事でした。第1期から3期工事は1930年から44年にかけておこなわれ、間組、西松組、飛島組、鹿島組、大倉土木、鉄道工業、佐藤工業、堀内組、栗原組、西本組、星野合資などが請負い、その下に多くの労働者が集められ、そこには朝鮮人もいました。
1939年からの強制連行期にも工事が継続され、朝鮮人が動員されました。工事を請け負った鉄道建設興業傘下の間組と西松組は中国人も強制連行しています。西松組に連行された中国人が裁判を起こしその結果、追悼碑が建立されています。訴訟による和解の結果です。間組の中国人追悼碑はありません。
朝鮮人の被害者については一部の碑に創氏名で数人が記されていますが、その被害の実態については不明なままです。朝鮮人の強制労働を明示して追悼する碑はないわけです。JRや請け負った建設会社は朝鮮人追悼碑を建てるべきなのですが、なにもなされないまま80年が過ぎようとしています。強制労働の責任はとられていないのです。
大倉土木の1939年から45年の主な労働現場をみると発電工事やトンネル工事の現場が多いのです。土木工事の年表をみると、田沢湖導水路工事、富士川発電所水路工事、小野田火力発電所土木、十和田発電所水路工事、砂川発電所工事、久野脇発電所水路工事、相模川発電津久井工事、栗山発電所工事、黒部発電所工事、九州火力発電所拡張、上松発電所工事、関門国道隧道竪坑掘削、新幹線日本坂隧道工事、名古屋鉄道隧道擁壁工事などがあります。
ここにあげた田沢湖導水路、富士川発電所水路、十和田発電所水路、久野脇発電所水路、相模川発電津久井工事、関門国道隧道、上松発電所などの工事は朝鮮人強制連行の現場です。久野脇発電所水路工事は静岡県の大井川の発電工事ですが、そこからの朝鮮人逃亡者の指名手配の史料が樺太(サハリン)の警察署の文書にあります。募集され逃亡するとサハリンにまで指名手配されたのです。
また、軍需工場についても、藤永田造船所第2船渠、中島飛行機武蔵工場拡張工事、広畑製鉄所貯水池、三菱長崎造船所若松工場、三菱長崎造船所福田埋立、東洋高圧砂川工場、東芝播磨余部工場、東芝根岸工場隧道、日本無線長野工場、東邦瓦斯横浜工場などを請け負っています。「大成建設社史」(1963年)には、三菱長崎造船所若松工場工事の9割が朝鮮人であったこと、浜松日本無線工場工事では空襲により朝鮮人が相当数、死亡したことなども記されています。
大倉資本は政商として利権を獲得し、戦争によって成長し、大倉財閥を形成しました。
主な傘下企業をみれば、大倉鉱業の下に大浜炭鉱、山西炭鉱、大倉スマトラ農場、大倉土木、日本製靴、川奈ホテル、大倉帝国ホテル、大倉ビルディング、大松事業、大倉事業、華北石炭販売があります。内外通商の下には、大倉鉄砲店、中央工業、中央ゴム工業、昭和自動車工業、日本無線、国際産業、新陽社などがあります。
3 戦時、軍隊的労務管理の導入
1943年の施工実績をみると上位5社は大林、清水、大倉、竹中、鹿島です。軍需用電力開発、軍工事などで土木企業は利益をあげたのです。
統制経済が強化されると、1944年2月に日本土木建築統制組合が設立され、8月には主要土建業者に軍需会社法が適用され、徴用扱いとされました。1945年に入ると戦時建設団が設立され、土木会社はここに組み込まれていきます。戦時に大倉土木は朝鮮や台湾、中国、南方での工事も請け負っています。
軍工事では、陸軍は軍建協力会、海軍は海軍施設協力会を設立し、大倉土木などの土木会社を動員しました。軍建協力会は「軍建協力会会報」を発行しています。その印刷は海軍施設協力会がおこなっています。その第2巻第12号(1943年12月)は「労務特輯」です。そこに、矢野豊作(陸軍建技少佐)「土建労務雑感」、齋藤一男(大林組東京支店)「土建労務者の規律と訓練に就いて」、大原博二(清水組)「土建労務者の厚生施設に就いて」。宇野實(大倉土木)「半島労務者の補導」などが収録されています。
この特輯には総力戦体制で軍工事を推進するための労務管理が記されているわけですが、その特徴は軍隊的規律訓練を行い、国旗掲揚や朝礼をおこない、作業訓を唱和させるというものです。具体的には労働者を10人ほどで分隊、2から5分隊で小隊、2から3小隊で中隊に編成します。そして敬礼、教練などの訓練をおこない、朝礼で点呼し、宮城遥拝をさせ、作業訓を唱和させるというわけです(「土建労務者の規律と訓練に就いて」)。
この会報には「我等は日本臣民なり」と最初と終わりに唱和させる「作業訓(案)」も掲載されています。作業にあたり、「高度国防国家建設の事業に従事」、「大東亜共栄と世界新秩序建設の為に勤労」、「国家総力戦の使命に応えん」などと唱和させることを勧めていたのです。
大倉土木の宇野實は「半島労務者の補導」で朝鮮人の増加と逃亡の理由、対処の方法について次のように記しています。
労務動員計画により1939年から割当認可によって事業主が募集してきたが、1942年2月からは総督府の官斡旋により派遣社員は補導員とされて供出に従事、現地で規律訓練を実施し隊組織を編成して輸送、就業させるようになった。しかし離散(逃亡)・減耗に手を焼いている。事業場を訓練場として皇国精神を鼓吹し勤労訓練を行なうべきである。離散の理由は、集団移入への便乗、ブローカーによる巧言、供出のための無理な充足、実際とは違う条件の提示、安易な仕事を求めての逃亡、食糧の不足、高賃金を得ての余裕、親方や世話役らの労務管理が適切でなく一時での多数の離散、環境の相違による不便等がある。指導員、親方や世話役は親心を持って心を把握し、命令を厳格に実行するよう習慣づけねばならない。供出の際での訓練で叩き込まれた産業報国の士気をくずしてはならない。協和会などとも協力し国語習得、衛生教育、時局講演、勤労精神の鼓吹などを行う必要がある。よく世話をして貯金や送金をさせ、郷里と職場の一体化を進めて定着させ、職場を第2の故郷とさせるとよい(要約)。
このように記して、「日本精神への全面的誘導」をし、「皇国勤労観の徹底を期する」としています。しかし職場の軍隊化と労働の強化は世話役らの一層の暴力的管理をともなうものになります。逃亡は止むことはなく、朝鮮人に皇国勤労観を注入することは土台、無理でした。
おわりに 戦争責任をとり戦争加担の中止を
強制労働問題の解決に関しては、第1に日本政府が植民地支配を反省し、韓国併合の不法、その強制性を認め、その下での動員の不法、強制性についても認めるべきです。企業もこの観点で責任をとるべきです。大法院判決にある「日本の不法な植民地支配や侵略戦争の遂行に直結した日本企業の反人道的不法行為」という判断を理解すべきです。この問題に解決には、事実認定などの真相究明、謝罪・賠償、遺骨返還などの被害者の尊厳回復、追悼、教育などの記憶継承が欠かせません。過去の強制労働を清算し、その被害の救済ついては、強制動員企業が中心になって強制動員被害救済基金を設立すべきだと思います。
国連の「ビジネスと人権に関する指導原則」では、人権を尊重する企業の責任が示されています。戦争は最大の人権侵害ですから、企業は過去の戦争加害の責任をとり、新たな戦争への加担を止め、戦争準備については拒否すべきです。宇宙の軍事化は拒否し、軍事基地の建設やAI/ロボット兵器生産からは撤退すべきなのです。
三菱重工業は戦時の強制労働の責任を問われています。しかしそれを拒否し、現在はミサイル開発や宇宙の軍事化を担っています。このような軍備拡大、敵地攻撃用兵器の生産は即、中止すべきであるし、戦争に向けての新基地建設も止めるべきです。三菱には過去、現在を貫く戦争責任があります。また辺野古新基地建設を設計する日本工営や実際に工事を進める大成建設も戦争加担の責任があります。
2015年の日米防衛協力指針の再改訂と戦争法の制定以後、日米の軍事的一体化がすすみ、、2024年には自衛隊に統合作戦司令部を置き、日米の統合軍司令部も置く動きになっています。2024年10月の日米共同統合演習(キーン・ソード25)は、北海道・東北沖、三沢沖、四国沖、沖縄東方の4つの海空域でおこなわれ、沖縄から北海道にロケット砲システムを空輸して共同訓練をおこない、奄美や沖縄でも上陸訓練やミサイル訓練がなされるというものです。沖縄での戦争が想定され、自衛隊基地がミサイル攻撃を受けたという理由で民間空港や港湾も利用します。このような憲法の平和主義に反する動きは止めるべきですし、企業は戦争に加担しての利潤追求を止めるべきと思います。
(2024年11月9日のSTOP!辺野古埋め立てキャンペーン集会での発言に加筆、竹内)