「光州事件」ではなく「518光州民主化運動」

2025年5月16日から19日まで旅行社が企画した光州への旅に参加しました。17日の「518光州民主化運動」前夜祭、18日の式典参加等、少しきつい日程でしたが、内容は大変充実していました。


          前夜祭                 全南大学

17日は「518光州民主化運動」の前夜祭。光州市の中心街が人であふれていました。韓国の民族音楽の鉦、チャッパ、チャングで民族衣装の老若男女が踊っていました。メイン会場では大音響で“ロック”が鳴り響き、聴衆も一緒に歌い、労働組合や大学の大きな旗がなびいていました。道路の両脇のテントでは1980年当時に配られていたものと同じ塩で握られただけの質素な“おにぎり”が無料で配られていました。多くの人はこの“おにぎり”が楽しみで100人を超える人が列に並んでいました。“光州事件”を忘れてはいけないという市民の一体感が感じられました。

18日は式典にも旅行者の案内で参加できました。式の前に光州市長が、私たちの席まで来てくれて、遠く日本から参加してくれてのお礼と団結の言葉をくれました。式は全南大学の学生による“詩の朗読”や合唱があり、最後は「イムのための行進曲」の大合唱になりました。私たちもカタカナのハングルで参加しました。

式の後「少年が来る」のトンホ少年の墓に行くと偶然、少年のお母さんが墓参りに来ているところに出会いました。同行していた方の通訳で当時起こった大変悲惨な話を聞くことができました。

全南大学では事件当時、女子高校1年生だった方の体験を聞きました。それは、戒厳令下、二人の兄を探すためにデモ隊のバスに乗ったところ、このバスに兵隊が襲い掛かり、乗っていた18人の中でただ一人だけ生き残ったという恐ろしい体験でした。「事件後もKCIAに付きまとわれ、脅迫され、周りから「赤」「スパイ」「共産主義者」と言われ差別を受けました。父親はKCIAの言うことを聞かされ、お金やお酒、食べ物をえました。KCIAに協力した人は金持ちになりいいところに就職できました。8年後国会の聴聞会で体験したことを証言し、それで嫌がらせはやっと終わりました。デモに参加した人は一般の人が多く、略奪等の犯罪は全くありませんでした。市民とデモ隊との信頼関係は強く、また信頼関係がなければ民主化はできなかったと思います」と語りました。

このほか、事件当時のなまなましい弾痕が残るビル「全日会館245」を見ました。ソウルの「植民地歴史博物館」を見学し、関東大震災のとき「私も殺されるのではないか」と恐怖に感じた朴慶南さんの体験談を聞くことができました。

今回の旅では多くの貴重な体験をすることができました。残念ながらその場面での“熱気”は言葉では言い尽くせません。時間が許すようでしたら5月17日、18日に光州を是非訪ねてみてください。  (池)