6・28静岡 沖縄情報館ライブトーク「沖縄と植民地主義」
竹内さんは「戦世から80年 沖縄戦 根こそぎ動員の実態」(沖縄テレビ(OTV)、2025年3月19日)、「復帰50年 国会爆竹事件と沖縄の今」TBS報道特集 2022年5月14日)の映像を紹介し、沖縄戦での学徒の戦争動員が沖縄の植民地支配による不法なものであったこと、「沖縄返還」がアメリカと日本による2重の植民地支配であり、植民地主義が清算されずにいまもあることを示した。そして最後に歌で民衆の抵抗を表現した。講演の概要は以下である。
今回は「植民地主義と沖縄」の題で話します。
沖縄テレビは「戦世から80年」の短編ドキュメントを制作しています。久米島での住民虐殺や日系2世の戦争動員、遺骨の収集など、現在の研究成果をふまえて制作しています。「沖縄戦 根こそぎ動員の実態」では、日本軍(第32軍司令官、沖縄連隊区司令官)と沖縄県知事が協定を結び、県が名簿を作成して軍に提出していたことを指摘しています。その名簿をもとに防衛召集を行ない、14歳以上の学徒を軍人として召集する手順を決めていたのです。法令では学徒の動員は第2国民兵役に編入する手続きが必要でしたが、沖縄戦突入のなかで、それをせずに鉄血勤皇隊などに兵士として違法に動員したのです。この問題点は、最近出た林博史『沖縄戦』(集英社新書86頁~)に詳しく記されています。
つぎに紹介したTBS報道特集は『沖縄青年同盟』の闘いを描いたものです。1960年代後半の全共闘運動や沖縄返還の動きの中で、沖縄人を中心に海邦委員会が1967年に結成され、それが沖縄青年委員会となり、1971年に沖縄青年同盟が結成されました。結成と共に国会で爆竹を鳴らして「沖縄返還協定粉砕」「全ての在日沖縄人は団結して決起せよ」と訴えました。裁判では沖縄人として沖縄語で対応しています。かれらは沖縄返還や沖縄奪還ではなく、沖縄人として植民地主義を批判、沖縄解放を呼びかけました。
TBSの映像では当時健在だった本村紀夫さんやチラシを書いた仲里効さんが証言しています。仲里さんは沖青同の闘いを「沖縄を丸ごと背負い込んで(ウチナーマンガタミー)の行動」、「沖縄の転換点での、歴史から呼ばれた、歴史を呼ぶ、必然的で、不可避的な行動」と語っています。映像で最後に武藤一羊さんが日米の2重の植民地支配の問題を指摘しています。このTBS特集は、現在の日米による沖縄の戦争拠点化の根底にある仕組みを、沖青同の活動を追いながら示したものです。TBS特集はTBSアーカイブで、ネット上でみることができます。
この沖縄青年同盟の活動は2023年10月に『沖縄青年同盟資料集 「復帰」に抗した「在日」沖縄青年運動』(琉球館)としてまとめられています。活動の概要は大野光明『沖縄闘争の時代 1960/70』(人文書院2014年)にもまとめられています。
琉球処分を沖縄の強制占領、植民地支配とし、1940年からの「標準語励行運動」(方言撲滅運動)を戦争動員、皇民化政策の一環としてとらえるべきでしょう。沖縄返還も日米の2重の植民地支配としてみるべきです。辺野古だけが問題ではなく、沖縄の島々から九州にかけて進む軍事化と戦争準備に反対し、沖縄の自決権、自治権を擁護し、植民地主義を克服する内実を持った運動の形成が求められていると思います。
浜松基地も特別注視区域(監視区域)とされ、地下司令部の建設の予算も今年度、承認されました。沖縄の海兵隊は島から島へ移動して攻撃する部隊へと再編され、自衛隊の長距離ミサイルの配備もなされようとしています。大分には長距離ミサイルも運用する特科部隊が編成されました。広島の呉には自衛隊の輸送部隊も置かれています。大分、鹿児島、京都など各地に弾薬庫の建設が狙われています。沖縄の住民の避難計画も策定されています。住民を避難させるのではなく、ミサイルを撤去すればいいのです。ミサイルよりも食料です。中国を仮想敵とする戦争準備の動きを止めるべきです。
このような話のあと、竹内さんは歌とギターで「夜明けの扉」「戦争準備絶対反対」「チムグクル」「フリーガザ」などの自作と「沖縄よどこへ行く」「命の海に杭は打たせない」などの抵抗歌を歌い、会場を盛り上げた。沖縄情報館の第1回ゆんたくは盛会だった。次回のゆんたくにも、ぜひご参加を。 (まとめ、佐野雅之)
静岡の『沖縄情報館』にて、「ゆんたく」(沖縄語で「おしゃべり」)シリーズの第1回がおこなわれた。ハレのスタートゆんたくは竹内康人さん(人権平和・浜松)のライブトーク。竹内さんは「植民地主義と沖縄」と題し、まず短か目の動画を2本紹介し、それについてレクチャーし、その後、ライブに移った。沖縄の抵抗歌のほか自作の反戦平和の歌をうたいながら、情報館ゆんたくのスタートを盛り上げた。
動画の1本目は、「戦世から80年 沖縄戦 根こそぎ動員の実態」という沖縄テレビのもので、九死に一生を得た動員生存者たちの苦難の体験が語られていた。
竹内さんは「軍と県が協力して少年を動員したやり方が当時の法令に照らしても不法なものだった。それを認識すべき」と強調した。
沖縄戦での「鉄血勤皇隊」は、学徒を学校ごとに編成して軍事訓練をおこなった。軍と県の協定により県が名簿を作って軍に提出し、それをもとに召集した。未成年の召集だから、親の承諾書等々細やかな手続きがあったが、多くの場合、それらは省略され、「志願」の名で、強制的に軍に組み込まれていった。ヤマトでは45年6月に義勇兵役法が制定されたが、男は15歳から、女は17歳からとされていた。沖縄の少年たちの戦時動員は不法なものだった。
沖縄でなぜこのような不法がまかり通ったのか? 竹内さんは「沖縄の大地と人民を「国体護持」のために棄てた。それは植民地主義のあらわれである」と批判する。
詳細は竹内さんが紹介した『沖縄青年同盟資料集~「復帰」に抗した<在日>沖縄青年運動』に譲るが、番組での仲里効さんの「『在日』沖縄人」(日本人から差別され「他者」として扱われながら、逆に自ら選び直し、自らの主体を作り、創造していく沖縄人)という言葉が心に残った。
竹内さんは、朝鮮人の強制労働問題に関して、それを日韓の対立の問題とするのではなく、日本の歴史認識、植民地主義の克服の問題としてとらえるべきと話した。
植民地主義と闘う意思とその熱量を改めて感じた「ゆんたく」ライブだった。沖縄戦と植民地主義について考えるよい機会となった。 (静岡・沖縄を語る会 山河進)
(参加者の感想から)
植民地化ってひじょうにいけませんね。よその国を乗っ取るなんて絶対やっては行けない。欧州がこぞってやってるのを見て、日本もそうだ、やって良いんだ!と認識し、朝鮮、中国、東南アジアに侵攻しました。戦争に負けて今度はアメリカに植民地化されて、今も続いている。パレスチナへの侵攻もウクライナへの侵攻も続きです。先日はゆんたくなので、マッタリしましたが、今度は講演で深掘りして頂けたらと思います。私がリクエストした曲が聞けて嬉しかった。浜松駅の北口のスタンディングで竹内さんが歌っていたのを聞いて、耳に残りました。