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以下は集会での発言です。文責はNO!AWACSの会です。



村瀬隆彦氏の講演から

(文責:NO!AWACSの会)

         爆撃拠点〜教育と運用研究〜の成立

 1926年に成立した浜松基地は主として重爆の要員養成と運用研究の中心地となった。浜松に設立されていた主な基地をあげると、浜松陸軍飛行学校、第7航空教育隊(中部97)、第1航測連隊(中部130)、第1航空情報連隊(磐田・中部129)、三方原教導飛行団などがある。

 産業界との結びつきについてみれば日本楽器は大正期から計画的にプロペラ生産をはじめている。陸軍御用商人防諜団ができるなど(1939年に48商店)地元商店との結びつきもあった。

 戦争の拡大とともに基地の強化がすすみ、第1航測連隊用地の強制取得がおこなわれた。また浜松は都市爆撃の派兵拠点となり、たとえば重慶爆撃の基幹部隊を中国へ出していった。さらに毒ガス戦部隊もおかれ毒ガスの存在と戦後の投棄が地域に被害をもたらすことになった。

         浜松から重慶への爆撃

 戦争の拡大は軍隊への攻撃のみならず文官や民間人を対象とする攻撃(政略爆撃・無差別都市爆撃)を生んだ。ナチスのゲルニカ爆撃以上の空爆が日本軍による中国の重慶への爆撃であったが、この爆撃を担った中心部隊、飛行第60戦隊は浜松飛行第7連隊・第6大隊を核とするものであった。爆撃機は改良を加えられ、武装が強化され、焼夷弾が多用された。重慶爆撃は19395月から1941年にかけておこなわれたが、中国側発表によれば死者は、11,885人におよぶ。投下された爆弾についてみれば、19405月〜9月までの101号作戦では、海軍9,817発、陸軍1,201発もの爆弾が投下されている。

         航空化学戦(毒ガス)

 第1次世界大戦では毒ガスが使われた。このため日本も毒ガス研究をおこなうようになった。陸軍爆撃機には毒ガスを空から散布できる「雨下装置」がつけられた。

 爆撃の分科学校に化兵班がやってきたのは必然的であった。193612月には、下志津から化兵班が移駐、19428月には水戸から防護部門が移駐、19444月には航空化学戦の独立部隊として三方原教導飛行団が成立した。ここではイペリットやルイサイトなどを使っての実戦研究や防護教育がおこなわれた。部隊の人数は約600人。航空戦は99襲撃機が使われた(20機)。敗戦時毒ガスは浜名湖などへと投棄されたため住民への被害も出ている(1947年と1976年の毒ガス被害が有名)。この部隊は中国へも出張して毒ガス教育をおこなっている。

         基地の拡大と民衆の生命の軽視

 戦争拡大のなかで焼夷弾や毒ガス使用がおこなわれ、浜松にそれらの拠点がつくられていった。軍事と官僚が相互に影響しあって基地を拡大していき、その結果他国民や自国民の生命を軽視することに結がっていった。AWACS配備がもたらす結果も同様であろう。市民は浜松空襲でにげまどい、結局3,500人以上の市民の死があったが、市民が間接的とはいえ重慶爆撃を支えていたということは隠すことのできない歴史的事実である。

 以下浜松三方原の主な爆撃部隊の活動地をあげておきたい。

 飛行第7 戦隊⇒満州・ジャワ・ニューギニア・サイパン・九州・沖縄

 飛行第14戦隊⇒浙江・南方・ニューギニア・ソロモン・ジャワ・フィリピン

 飛行第60戦隊⇒重慶・南方・満州・ニューギニア・中国・硫黄島・沖縄

 飛行第61戦隊⇒ノモンハン・満州・スマトラ・ニューギニア・フィリピン・ボルネオ・台湾

 飛行第62戦隊⇒台湾・ビルマ・インドシナ・フィリピン・中国・ボルネオ・沖縄(特攻)

 飛行第65戦隊⇒ノモンハン・満州・浙江・フィリピン・沖縄

 飛行第110戦隊⇒硫黄島・サイパン・沖縄

 飛行第208戦隊⇒満州・ニューギニア・フィリピン

 第1野戦補充飛行隊⇒フィリピン・インドシナ・マレー・スマトラ

 第2独立飛行隊⇒サイパン

 第3独立飛行隊⇒沖縄(特攻)〔=義烈空挺〕

 このほかに戦闘、偵察、教育、通信部隊さらに毒ガス航空戦部隊も編成されていった。教育部隊は、台湾・満州・ジャワ・中国北部で教育をおこなっている。

 

 

 

金承国氏の講演から

(文責:NO!AWACSの会)

         新ガイドライン安保の形

 旧ガイドラインの仮想的はソ連であったが、ソ連邦消滅によって新たな仮想的がつくられた。アメリカの軍・産・政の複合体が「ならず者国家」として敵としたのが第3世界の反米国家と社会主義国家だった。それはイラクや北朝鮮やリビア、セルビアということになる。91年の湾岸戦争、94年の北朝鮮の核疑惑、99年のコソボ空爆とアメリカの新戦略のもとでの戦争行為がつづいた。

 99年のコソボ空爆の際、NATOは創立50周年を迎えた。このときNATOの新戦略概念が提示されたが、それはユーゴのミロシェビッチのヨーロッパ版といってよい考え方である。NATOの新戦略策定と同時進行して日米新ガイドライン法の制定があった。

 それはアメリカが世界のヘゲモニーを握るためにNATOを先頭にたててヨーロッパを支配し、アジア太平洋では日本を利用して支配をすすめようとするシナリオによっている。

         システムとしての新ガイドライン

 94年の北朝鮮の核疑惑の際、アメリカは戦争を準備したが、2つの点に気づいた。ひとつは北朝鮮民衆の反米意識の強さである。死ぬまで戦う意志を持つ人民を相手にすれば何万人もの米兵が死ぬおそれがあった。もうひとつは日本からの後方支援の態勢がないことだ。米軍は日本に1,400項目もの支援要請をしたというが、支援は軍事的に可能であっても政治的には不安があった。つまり日本の国民が納得しないということだった。そのためにつくられてきたのが戦争のシナリオとしての新ガイドラインシステムである。単に法案としてみるのではなくシステムとして把えておくことが大切だ。

 周辺事態という表現での領域はきわめてあいまいであるが、戦略的なターゲットを中国とし、戦術的なターゲットを北朝鮮としているとみえるだろう。朝鮮半島と台湾を結ぶラインが戦闘地域の線となる

 新ガイドラインは戦争計画である。それは1905年の桂・タフト密約による朝鮮とフィリピンの分割占領計画につづくものである。

         新5027作戦計画にくみこまれるAWACS

 米韓は5027作戦計画をたてていた。かつての計画では平壌を占領して清川江まで侵攻し、北の半分は残しておくというものだったが、現在ではより攻撃的な作戦計画となり、北の領土の100%を支配する計画へとかわっている。中国との戦争にまでいくデメリットをもつが、戦争計画は一層強化されている。この米韓を支援するのが新ガイドライン下での日本である。

 作戦計画では空爆や海上封鎖がおこなわれることになっている。戦争開始から平壌占領、そして北の消滅まで計画は5段階にわかれているが、浜松基地のAWACSは第1段階から動いていくことになる。

         日米の戦争策動を阻止しよう

このような戦争計画は同じ民族同士が殺しあうことを生む。それは民族が消滅していくことになる。米日の支配階級は緻密に計画をたて、法制化している。平和憲法の崩壊の危機でもある。経済が最悪のときにファシズム政権が生まれた歴史を教訓としよう。

 私たちの民族の将来にかかわるだけでなく、日本国民の生命生活にもかかわることであり、戦争策動に反対していこう。

 浜松のAWACS基地についてみれば、これは日本だけの問題ではなく朝鮮半島にとっても問題である。もう一度日帝36年の支配を考え、日本民衆がたたかっていく必要がある。

 2000年には北朝鮮との戦争を前提とした日米統合図上演習もおこなわれようとしている。

  

 日米帝国主義の戦争策動を阻止しなければ日韓民衆の生きる道はないだろう。希望をもち行動をとおしてたたかいをすすめていってほしい。

 

李寿甲氏の講演から

(文責:NO!AWACSの会)

 1905年の桂・タフト協定下、日本は朝鮮を侵略し、その結果として南北分断がある。日米帝国主義の結託により7千万民族が奴隷扱いされ、未だに分断されている。その責任が日本にはある。朝鮮戦争の結果300万人余の同胞が死んだ。南北が手をつなぎ、自主的に統一することが目標だが、自主平和統一のためには日米帝国主義を排撃しなければならない。新ガイドラインは日米の戦争策動であり、平和統一の道ではない。

 現在、民衆の在野運動は自主統一協議会をつくり、活動している。その中心は韓国民主労総である。このたたかう労働者のセンターは自分の賃金のためだけでなく帝国主義が分断しているわが民族の統一を願っている。民主労総は北の職業同盟と共に8月には平壌でサッカーの試合をおこない、来年にも南北労働者のサッカー大会を企画している。

 新ガイドラインに対して、たたかうために私たちは非常対策委員会をつくり、学生や民主労総が運動をすすめている。

 99年には民衆大会をもち、1210日にはソウルで大会を開催する予定である。

 韓国経済に対するIMFの「救済」という名の欺瞞的支配に対してもたたかいをすすめている。経済危機をチャンスにしてIMFによる韓国の資本主義への介入がおこなわれているが、その被害は労働者や民衆に転嫁される。私たちはIMF反対汎国民運動本部をつくり、民衆生存権を死守し、IMFと正面対決をすすめている。金大中政権は、IMFに対しては忠誠を示している。

 私たちは自主的民族統一、アメリカの基地撤去、IMF支配反対、民衆生存権死守のために活動をすすめている。アジア民衆の未来にむけて深く連帯していきましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

集会アピール

浜松市長への要請書

 

 私たちは9月18日の浜松基地の歴史を知る講演・学習会に続き、本日第二回目の集会を開催しました。1941年12月8日は日本軍によってアジア太平洋戦争がはじめられた日です。58年目をむかえ浜松基地が侵略戦争と深く結びついていたことを学びました。

 現在、浜松基地は新ガイドライン安保にともなうAWACSの配備、そして軍隊を肯定し、子どもを戦争へとならす空自広報館の開館、さらには11月14日の航空祭での17年ぶりのブルーインパルスによる戦技・曲技飛行の復活と有無をいわせぬかたちで国軍化=戦う自衛隊を市民の中に浸透させようとしています。

 また、防衛庁は他国領土への攻撃を可能にする、海外派兵のための軍用機=空中給油機の導入を正式に決定しようとしています。そしてその導入先に浜松基地があげられています。

 私たちは浜松基地の強化という現状に“新たな戦前”をむかえている危機感を感じています。

 私たちは再々度浜松市長に直接対話を求めます。

 市長はAWACS配備等による浜松基地強化に反対の意志をもつ市民と直接対話し、意見をかわしてください。

 市長はAWACS・空中給油機・新ガイドラインに反対の意志を示してください。

 市長!平和的生存は願って待つのではなく実行し、実現するものです。実現にむけて市民とともに平和的自治への一歩をふみだしましょう。

 

1999年12月4日

NO!AWACS集会・参加者一同