神戸港平和の碑―神戸と強制連行  神戸の旅097

 

2009724日から25日にかけて神戸で第4回在日朝鮮人運動史研究会・日韓合同部会が開催された。24日には韓国での強制動員被害への支援状況、占領期の在日朝鮮人政策、三井財閥と強制連行についての報告があり、25日には神戸港平和の碑の見学がおこなわれた。

神戸港には戦時下、朝鮮人・中国人・連合軍捕虜が連行され強制労働を強いられた。

朝鮮人については厚生省勤労局名簿があり、神戸地域では、川崎重工兵庫工場・葺合工場、三菱重工神戸造船所、神戸鋳鉄、神戸製鋼、阪神内燃機、大阪ガス神戸支社、中央ゴム、日本制動機、鐘紡神戸造機、川崎車両、川西航空機甲南、神戸船舶荷役、神戸貨物自動車などへの連行が確認できる。残されている名簿だけで5300人をこえるものである。連行者総数は7000人を超えたであろう。川崎重工・三菱重工関係で5000人を超える朝鮮人が連行され、港湾荷役などの運輸関係でも連行がおこなわれた。

中国人は神戸の港湾労働に1000人ほどが連行された。連行は7次に及んでいる。神戸から函館、七尾、敦賀へと転送された中国人もいる。

連合軍捕虜は540人ほどが神戸に連行され、川崎重工、川崎重工艦船工場、昭和電極といった軍需工場や神戸船舶荷役、三井倉庫、住友倉庫、三菱倉庫、上組といった港湾運輸関係の現場で労働を強いられた。

神戸港の鉄鋼・造船と港湾・運輸の現場で、朝鮮人・中国人・連合軍捕虜の強制労働がおこなわれたというわけである。神戸の市民グループはこの問題の共同調査をすすめ、2004年に『神戸港強制連行の記録・朝鮮人中国人そして連合軍捕虜』という本にまとめた。20087月には、日英朝中の4ヶ国語で、かれらが神戸の港湾と造船などで苛酷な労働を強いられ多くの人々が犠牲になったこと、それを心に刻み平和と共生を誓うことを記した「神戸港平和の碑」を建てた。碑は神戸市中央区海岸通りの神戸華僑歴史博物館が入っているKCCビルの前に、「非核神戸方式の記念碑」とともにある。

神戸の明石大橋の近くには孫文記念館がある。在神戸華僑は孫文の活動を支援し、孫文は神戸を訪問し、講演会ももたれた。民国形成への孫文とその仲間の熱い想いが記念館には展示されている。塔状の建物を「移情閣」という。その建物のなかに展示の最後の部分があるのだが、孫文の記した「革命」「博愛」の額が展示されていた。

在日朝鮮人運動史研究会の前日に同じ会場で「不逞社(金子文子・朴烈たち)の時代から東アジアの未来・平和の自由共同体に向けて」というワークショップがもたれた。1926723日に金子文子が宇都宮刑務所で亡くなったという命日に合わせての開催だった。王制に反逆したという意味では、彼らもまた民国の歴史的な風のなかで生きていた。慶北聞慶市麻城の地では金子文子・朴烈の記念事業をすすめているという。

「大逆」の名によって尊厳を奪われ処刑されたひとびとも復権が求められる。過去の人権侵害の歴史的な清算なくして、平和も自由も民衆自身のものにはならないと思う。美しい音色が心に響くこと、曲を弾く者の心が聞く者に移ること、それを「移情」という。歴史の表現もそのようなものでありたい。