02.3 伊江島を訪ねて

 3月下旬に阿波根昌鴻(あはごん しょうこう)さんが亡くなりました。阿波根さんには、岩波新書に「命こそ宝」「米軍と農民」等の著書があります。沖縄県本部町に生まれキューバ・ペルーで移民生活をした後、伊江島にすみました。

 '45年4月、米軍が上陸し、島民の半分が殺されました(一人息子は本島で戦死しました)。米軍占領により島の63%が米軍の基地にされました。以後阿波根さんら伊江島の人たちは土地を守るたたかいを始めます。阿波根さんはつねにその先頭にいました。米軍との戦いの体験のもとに、'54年には「陳情規定」をつくりました。

1、 反米的にならないこと

1、 怒ったり、悪口をいわないこと

1、 耳より上に手を上げないこと

1、 布令、布告など誤った法規にとらわれず道理を通して訴えること

1、 軍を怖れてはならない

1、 人間性においては、生産者であるわれわれ農民の方が軍事に優っている自覚を堅持し、破壊者である軍人を教え導く心構えが大切であること

'61年「伊江島土地を守る会」代表になり、'70年9月 全国からの会員のカンパで団結道場を建てました。壁に“米軍に告ぐ”として「剣をとるものは剣にて亡ぶ。基地を持つ国は基地にて亡ぶ」と大書しました。

 '84年6月23日「反戦平和資料館」(ヌチドゥタカラの家)が完成し、戦争・土地闘争の資料を展示しました。

 阿波根さんの闘いには静かさと落ち着きがあり、そして一歩もゆずらない強さがあったと思います。またその非暴力については世界的に高い評価を受け、ガンジーやキング牧師と並べて語られています。

 ところで、この4月、伊江島の港のターミナルに小学校の卒業式の写真が30枚程掲示されていました。保護者を交え、皆がうれしそうな顔で写っていました。その壇上の中央には「日の丸」が堂々と掲げられていました。阿波根さんのいたこの伊江島でも、こうなのかと少し寂しい気持ちになりました。

 そしてこの現状を少しでも押し返していかなければいけないと考えながら帰ってきました。読者のみなさん、ともにがんばりましょう。      (I)