●2000年11月25日〜26日

●佐世保・戦争協力への道を阻止するための合宿討論会に参加して

 11月25日から26日にかけて、昨年の北九州での合宿討論会につづいて、佐世保市
で第2回目の合宿討論会がもたれた。

@11/25 全体会議での問題提起
 11月25日、「いま私たちに問われているものは?」の問いかけのもと、全体会がもた
れた。その後、改憲有事立法、地域からの反撃、韓・沖・本土反基地民衆連帯の3分科
会がおこなわれた。26日には分科会をうけての全体討論がもたれ、閉会後、佐世保フィ
ールドワークがあった。

全体会での問題提起を順にまとめておく。
 米戦略は中国封じ込めにむけた一面戦略へとかわり、西日本中心の軍事シフトとなっ
てきた。それにともない佐世保・嘉手納・岩国が出撃基地となり、浜松・横須賀などは後
方支援基地となっている。一方自衛隊は米戦略と連動しつつも独自のヤリとしての能力
をもち、西日本を重視した攻撃型編成をとってきている(纐纈厚)。

 南北統一の動きは高まっているが、韓国民のなかには米軍継続駐留の意見がつよい。
 けれども梅香里での反基地闘争、ソウルでの駐韓米軍基地からのホルムアルデヒド
の流出、朝鮮戦争下での米軍による虐殺事件など反米軍感情も高まっている。アジア
での米軍基地撤去にむけての具体的な行動提起が必要だ(都裕史)。
 沖縄サミット以後、名護での基地建設の動きが強まっている。防衛施設庁はジュゴン
調査をはじめたが、基地建設予定地ではなく、周辺での調査をしている。米国の「種の
保存法」をタテに米軍基地の建設の中止をもとめるジュゴン裁判がはじまる。
 那覇市長選はまけたが、2月の浦添の市長選が焦点だ(まよなかしんや)。
 反グローバリズムの戦線が国際的に形成されてきているが、米軍戦略に対する国際
的な戦線形成はできていない。「人間の安全保障」が提起されたが、そこには軍事の問
題がぬけおちていた。非軍事化、軍隊は民衆を守らないという認識の下で攻勢的で国
際的な行動がもとめられている(武藤一羊)。
 築城基地では13年前から日米共同訓練がはじまり、1988年に人間の鎖行動を2,5
00人でやった。それ以来、毎月2の日にすわりこみをつづけている。米軍基地反対は
あっても自衛隊反対はもりあがりに欠けている。地元の基地に対して声をあげていくこ
とのつみ重ねが大切。「戦没者」の死とは何であったのかを問いつつ運動をつくっていき
たい(渡辺ひろ子)。
 これらの問題提起ののち、全国各地〜小樽・函館・東京・三多摩・浜松・大阪・広島・
愛媛・山口・福岡・大分・長崎・佐世保などから現地報告があった。
 浜松からは、自衛隊がヤリとなっていくことを象徴する軍備が海自・LCAC、空自・AW
ACS、陸自ゲリラ部隊化である。今年の東富士での104米軍訓練反対行動ではレッド
カードを示す形で沖縄・韓国などでの反基地行動に呼応した。武装の強化とともに特攻
を賛美するような宣伝もすすめられている。横断的な活動として“平和の鎖”のような形
はできないか。シアトルでのダイレクトアクションネットワークが示した街頭の劇場化、街
頭アートがあるような運動が参考になる。地域の軍隊が過去におこなった侵略の歴史を
ふまえて反軍隊の地域運動をしたいという主旨の発言をした。

A11/25 地域からの反撃・分科会報告
 分科会は地域からの反撃分科会に出た。全員が自分の現場について語るという形で
すすんだ。分科会では共同でとりくむ具体的な課題と現実化するための組織論が話合
われる予定であったが、十分な議論はできなかった。参加地域は小樽・函館・東京・浜
松・豊中・吹田・大阪・呉・築城・北九州・飯塚・佐世保。実践的な運動形成への提起の
あとに街づくりの理論的関心が示されるなど、議論はかみあわず、具体的な共同課題
の追求の場が交流と問題意識の提示の場でおわった。
 「周辺事態」対応の日米統合軍事訓練が現実におこなわれていているなか、反ガイ
ドライン・反基地を軸としての地域運動の展開と全国結合をどう形成するのかを追及
する場とし、より意識的に分科会を運営した方がよかったと思われる。
 分科会後の交流会では、今回の合宿への参加メンバーをみてみると、西日本〜佐世
保・築城・北九州・呉を結ぶ抵抗線の形成はできるし、また来年の11月の日米統合
訓練に対して情報を共有しながら各地で共同の行動を展開する事はできるし、それを
やるべき状況にあるといった話もでた。

B11/26 全体会討論〜共同行動の可能性〜
 11月26日の全体会は各分科会の報告をうけたのち、共同のとりくみとして何がやれ
るのかがテーマとなった。
 出された意見をまとめてみると
1・情報を共有し、交流の窓口を占有化しない運動。
2・有事立法・改憲をめぐる対国会行動と共同行動の形成。
3・非軍事化を軸に攻勢的な運動をつくる。
4・反基地反ガイドラインの共同のとりくみをおこない、パフォーマンスなどをおこ
 なう。
5・横須賀での非核条例全国集会2/10〜11への参加。
6・満月まつり4/8を全国各地でとりくむ。
7・Fax通信を利用しての討論の場の継続。
8・韓国・梅香里への訪問団を組織する。
9・世話人会をつくり、一年間の共同行動のスケジュールをつくる。
10・次回は岩国でおこなう。
などが出された。これらの意見には責任主体が明確でないものもあり、意見表明のま
まのものもあった。しかし、これらのいくつかは参加したグループそれぞれがとりくんで
いうことで形のあるものなっていくように思われた。

C参加しての感想
 全体会、分科会での討論をとおして反基地運動の共同のとりくみについて考えたこ
とをつぎにあげておきたい。
 新ガイドライン安保の下、日米が西日本を中心に民間動員を含めての軍事作戦行動
・訓練をとっている状況に抗し、西日本を中心に反基地市民グループが相互に連携し
ながら、情報を共有し、NO!の声をあげていくこと、課題を共有し、各地で同時期に
(1日の共同行動でも1週間ほどの期間での共同行動でもいい)、反戦・反基地・反ガ
イドラインのメッセージを提示すること。その行動は基地前での抗議行動、自治体への
申し入れ、駅前でのチラシまきなど、各地の状況にあわせてさまざまな形でとりくまれ、
団体でも個人でもできる形でとりくんでいけばいい。
 k−ピースのEメール、Fax通信、各団体の会報などがその行動のために活用されれ
ばいい。
 組織的には、「反基地平和共同行動のための全国調整委員会」のようなものを合宿
参加者の個人資格での参加で形成していけばいいのではないか。課題としては、来年
秋の日米統合訓練に対し、反基地・反ガイドラインを掲げての共同行動、ひとりでも参
加できるようなメッセージ性のある行動を考えていったらどうだろうか。
 緊急の事態に対してもよびかけがおこなえるようにすればいい。
 行動の調整、情報の共有、社会的なアピールの共同提示をおこなうための連絡調
整組織は緊急にもとめられている。
 k−ピースのEメール、Fax通信などを利用しながら、だれでもどこでも反ガイドライン・
反基地の意思表示をおこなっていくための行動日や行動週間の提示は現在の合宿
参加者からみて可能ではないかと思った。
 浜松についてみれば、8月末のAWACSの日米共同訓練への参加への抗議、10
月末の基地祭への抗議の際、NO!日米共同訓練の幕をかかげて、NO!AWACS
/NO!新ガイドラインをアピールしてきた。これらの行動を全国の仲間との共同行動
の一環としてくみこんでいくことはできる。すでに各地で反基地行動がつみ重ねられて
きている。それらの動きを調整し、共同化していく作業にむけて知恵を出しあえればいい。

D 軍都佐世保の海自佐世保史料館
 佐世保の弓張岳から港をみると強襲揚陸艦エセックスなどを配備している米軍基地
が中央にみえる。左に海自のイージス艦などの軍艦をもつ海自の基地、右に佐世保重
工SSKの工場・ドッグがある。かつては海軍と海軍工廠の街だったこの佐世保は、今
では米軍の上陸作戦のための最前線基地である。日米の共同作戦体制のもと海自は
それを支援するための掃海と駆逐を担うようになっている。
 海自は佐世保史料館を1997年に開設している。この史料館は旧軍の水交社の建
物を利用して増築されていて全7階の大きなビルである。7Fは海自の宣伝映画、6〜
4Fは海軍の軌跡の展示、3〜2Fは海自の展示、1Fは特別展示場(掃海艇)・売店と
なっている。
 史料館のシンボルは海軍旗とその下での掃海艇とイージス艦のように思われた。
 7Fで映像をみると、「勝利と凱旋」「進出」「交戦」「祖国防衛」「国際貢献」といった表
現が出てきた。「侵略からわが国を守る」という場面では「東大闘争」の画面もあらわれ
る。「国の安全を思う心はいつの時代もかわらず」とナレーションがあり、最後にイージ
ス艦の姿が出てきた。
 ここでは過去の侵略戦争は「進出」とされ、その原因や責任は問われない。憲法を無
視した無法な現代の軍拡は批判されない。反戦をもとめる市民の行動は「侵略」の手先
とされていくのである。
 勝利への煽動、戦争行動の正当化、地域紛争多発を口実とした軍拡、国際貢献と愛
国心を結合させてのプロパガンダ・・・これらが映像の軸になっている。
 6〜4Fの海軍の展示をみると「列強の圧力」による開国と建軍、そして「列強への仲
間入り」の発想のもとで海軍拡張の歴史が示されている。
 中国に対しては日清戦争の理由として「中華帝国を解体」して「対等をめざす」などと
理解に苦しむ文があった。1Fの館員に問うと「ここに学芸員はいないけんね」と話に
ならなかった。
 義和団の項をみていくと佐世保の陸戦隊が太沾に上陸したことなども示されていた。
 まさに佐世保は侵略の拠点であったことがわかる。「帝国国防方針」については純軍
事的であり「国家戦略ではない」と批判的な記述が示されていた。アジア太平洋での戦
争は、「日本の対中国政策に対する列強の干渉を排するため」のものとして正当化され、
自らの中国への介入、干渉を批判しえてはいない。「日本と中国が対立」したとしている
が、日本の侵略行為が対立の原因であったことにはふれずに自らの侵略戦争を合理
化している。
 太平洋戦争期の展示には日本海軍の「進出」が示されている。海戦で艦艇502隻を
失ったとしているが、海軍兵士の死者の数は示されていない。人間の生命の尊厳は語
られていない。
 軍拡と戦争を「列強との対抗」を理由に正当化し、侵略を「進出」と表記し、艦艇の損
失は記しても人間の生命の尊厳は示されていない。そこにあるのは戦争肯定、アジア
への差別、人間の尊厳の否定、国家への民衆の奴隷化の軍事思想である。
 これらの海軍の展示をうけて、3〜2Fに海自の展示がある。
 戦後の掃海作業で77人が死亡し、負傷者が200人出たとし、ここでは死者が示され
る。
 軍事訓練としての遠洋航海は「海のロマン」とされる。災害出動や国際平和協力を前
面に出して、装備の充実=軍拡が正当化される。
 2Fには「自衛隊の心がまえ」が示されている。「心がまえ」として、侵略から守るため
に身を挺して任務を遂行し、公に奉る心で持場を守ること、積極的服従の習性を育成
し、法令を遵守し、命令に服従することなどが示されている。この心がまえをみると、隊
員から社会を批判し変革する芽をつみとって国家奴隷とし、「積極的服従」と「挺身奉
公」の精神をもつロボットにしていることがわかる。逆に、抵抗や不服従の精神が国家
のマインドコントロールを絶つ力であることを考えていくこともできる。
 2Fには、文書展示室があり、軍事関連の図書が充実している。その室の横には震洋
特攻艇の模型や佐世保の旧海軍港としても歴史も示されている。
 全般的な感想をいえば、展示の形式は上手につくりあげているが、その内容は戦争を
正当化するものであり、人間の尊厳や、アジアの人々への視点はない。平和への想い
や差別意識の克服にむかう契機はなく、海軍旗の日の丸のもと「積極的服従」をたたえ
て戦闘にむかうといった硬直した精神に充ちた展示空間である。
 ハイテクを賛美し、子供に軍服を着用させる空自の浜松広報館、特攻隊員を「栄光の
間」でたたえる浜松基地資料館のような露骨ないやらしさはない。しかし、佐世保史料
館では愛国心の名により、戦争や軍拡が正当化され、自己の侵略行為への自省的視
点はない。このような展示館は、反戦・平和を希求する精神を育てることはできないとい
える。

E 天望庵
 佐世保市の北方に北松浦郡吉井町がある。そこに小さな平和祈念館・天望庵があ
る。この館は12年前に藤原辰雄さんがつくったものである。
 そこには佐世保の軍都の歴史、佐世保空襲、戦後の軍拡と民衆の抵抗を示す資料
がおかれ、読書室や談話室もある。各地から原爆瓦などの平和資料が寄贈され、書籍
やパンフレットなどが紹介されている。
 この部屋の中にいると人間の生命の尊厳、人々の平和にむけての活動の日々、抵抗
への想いなどが波のようにおしよせるかのようであり、やわらかな気分を感じる。佐世
保史料館の硬直した雰囲気とは全く別のものである。積極的服従精神ではなく、解放と
抵抗不服従の精神のちがいということもできるだろう。平和の原点を問いかける各地
からの遺品やパンフレット・ポスターなどが思索の場としての空間を形づくり、平和への
意志を拡充していく。
 藤原さんは「葬りさろう、いくさ世を」「心のチャンネルを平和にきりかえよう」「戦争ボ
ケこそ迷惑千万」という。最近では吉井町内での平和運動をすすめている。
 ひとりひとりが立ち、戦争不服従と直接行動をもって平和への表現をすすめていけ
ば、平和への水路はひらけていく。それが小さな平和館からのメッセージである。
 そして、このような行動のアンサンブル・横断性をどう作っていくのかが今回の合宿を
終えての課題である。