浜松の陸軍航空部隊による毒ガス戦について
浜松は陸軍航空の爆撃の拠点とされていた。爆撃機による毒ガスの投下・雨下のための兵器開発や実験が浜松陸軍飛行学校によっておこなわれていた。浜松陸軍飛行学校は「満州」にまで出向き、関東軍と毒ガス弾投下・雨下の実験をおこなっている。中国戦線に浜松から派兵され、現地で増殖していった爆撃隊は中国各地で実戦において毒ガス弾を使用している。戦争末期には浜松の三方原を拠点として、毒ガス戦用の独自部隊が三方原教導飛行団という形で編成された。この部隊は空襲が激しくなると北方の引佐郡下へと疎開した。敗戦にともない毒ガスは浜名湖などへと投棄され、のち遠州灘に再投棄された。
これまで、吉見義明・松野誠也編『毒ガス戦関係資料U』(1997年)に何点かの航空毒ガス戦関係史料の記載があり、中国側が編纂した『侵華日軍的毒化戦』などにも毒ガス弾投下の記載があった。地域での他の研究をふまえ、浜松での航空毒ガス戦関係史料を探していたところ、アジア歴史資料センターのHPでの史料検索で、何点かの航空毒ガス戦関係のものを発見した。それらの史料をもとに、静岡県近代史研究会の会誌第28号に「浜松陸軍飛行学校と航空毒ガス戦」を記した(2002年)。
2003年、神栖での遺棄毒ガスが問題となるなか、かつて浜名湖へと投棄された毒ガスも問題視され、静岡放送が浜名湖への投棄毒ガス問題の取材を始めた。その際、私もいくつかの史料を提供した。その後、番組は2003年11月に「アクセス静岡土曜スコープ」で『浜名湖の毒ガスはどこへ? 旧日本軍処理の真相は』と題して放映された。この番組は遺棄毒ガス発見現場、毒ガス部隊疎開地、遺棄毒ガス被害者家族、三方原教導飛行団関係者などへの取材を含むものであり、遺棄毒ガスをテーマとしたものであった。そのため、浜松での毒ガス兵器の開発・研究の実態やそれを経ての中国での演習や実戦での使用については踏み込むことができなかった。
日本軍の遺棄毒ガス問題については、その処理のみならず、戦争犯罪である実戦での使用状況について明らかにされるべきであり、浜松の関連でいえば、航空毒ガス戦についての解明が求められているといえるだろう。
政府自らが毒ガスの実戦での使用について明らかにすべきである。毒ガスの使用については隠蔽し、遺棄物の処理のみをおこなうことは誠実ではない。毒ガスについては、製造・開発・研究・訓練・実戦使用・遺棄の総体について解明されるべきであるし、その解明の中心とすべきはその使用状況である。毒ガスの使用によって多くの民衆が死を強いられ、後遺症に悩まされたのであり、その解明について誠意をもって対応することによって国際的な信頼が得られるといえるだろう。
航空毒ガス戦については中国の宜昌(イーチャン)での使用が明らかにされている。ここでは包囲された日本軍を救出する作戦として航空機でも毒ガス弾が使用されていった。この戦闘での使用について現地調査を含めて、被害実態・使用状況の解明をおこなうことができればと考えている。 (竹内)