浜松の軍事基地と航空毒ガス戦・年表 |
― 研究・演習訓練・実戦使用・廃棄隠蔽 ― |
その真相究明と民衆の平和にむけて |
年 | 月 | 内容 |
1926 | 10 | 陸軍飛行第7連隊移駐[爆撃隊] |
1928〜32 | 三方原で、きい[イペリット]弾、あをしろ[ホスゲン]弾の試験はじまる |
1930 | 11 | 飛行第7連隊、滋賀・饗庭野で毒ガス投下演習 |
1933 | 8 | 浜松陸軍飛行学校設立 |
1934 | 9 | 天竜川河口でガス雨下演習 |
1934 | 9 | 浜松であか[ジフェニールシアンアルシン]弾投下試験 |
1935 | 9 | ちゃ[青酸]弾試験(浜松飛行学校と習志野学校が協力) |
1936 | 12 | 浜松飛行学校、ガスの使用法の研究を分担 |
1936 | 12 | 下志津飛行学校からガス攻撃部門移管 |
1937 | 6 | 三方原で特爆真毒演習 |
1937 | 7 | 中国全面侵略に伴い浜松から爆撃隊派兵、中国戦線での爆撃隊による空からの毒ガス投下へ |
1938 | 11〜12 | ハイラルでのガス雨下演習、浜松陸軍飛行学校が青酸などを雨下 |
1939 | 第三飛行集団(中国戦線)にきい・あか弾の配備あり |
1939 | 5 | 大陸指452号 きいの使用 |
1939 | 8 | 従化で空からの投下 |
1939 | 11〜12 | 山西省でガス空襲 |
1940 | 11〜12 | チチハルを拠点に関東軍化学部とともに航空演習、浜松飛行学校による投下と雨下 |
1940 | このころ白城子飛行学校で化学戦研究 |
1941 | 10 | 宜昌できい(イペリット)の投下 |
1942 | 5 | 『化学戦重要数量表』にガス投下雨下の項 |
1942 | 8 | 水戸飛行学校からガス防護部門浜松へ 浜松に化学戦教導隊(白城子からも移動) |
1944 | 三方原教導飛行団設立[毒ガス攻撃隊] イペリット20トン保管 |
1944 | 11 | 三方原飛行団から中国・フィリピン・台湾に化学戦普及教育派遣 |
1945 | 1 | 飛行部隊の分散移転(引佐方面へ) |
1945 | 本土決戦に備えて浜松から大阪方面に毒ガス隊を派遣 |
1945 | 8 | 海軍機を使用してのガス攻撃を計画するが敗戦 |
1945 | 8 | 毒ガスを浜名湖等へ廃棄隠蔽 |
1945 | 9 | 米軍化学戦部による調査 |
1946 | 米、日本の毒ガス戦を免責へ |
1947 | 7 | 都田川河口に毒ガス缶、住民に死傷者 |
1950 | 浜名湖の毒ガスを遠州灘に再投棄 |
1976 | 7 | 三方原、初生町で工事中に毒ガス |
2003 | 7 | 静岡県、周辺井戸水調査 |