韓国の旅
NO!NO!バンド

 2001年8月27日から30日にかけて会のメンバー5人で訪韓した。スケジュールは、8
月27日、駐韓米軍犯罪根絶運動本部訪問、歴史問題研究所メンバーとの対話。8月28
日、ナヌムの家、梅香里、8月29日、大学路散策、水曜デモ、議政府トゥレバン、民主労
総メンバーとの対話、8月30日帰国(その後、名古屋港ゲイリーピースウォッチング)。
 訪韓目的は韓国の反基地・民衆運動について学び、日本の現状を提示し、交流するとい
うものだった。

●駐韓米軍犯罪根絶運動本部

 本部の事務所は恵化駅(地下鉄)から南へと大学路を下り、梨花洞の路地にあるビルの
一室にある。 
 92年におきた東豆川での尹グミさんの殺害事件をきっかけに、米軍犯罪に対する被害者
の救援と、韓米地位協定の改正をもとめる動きが高まり、93年この団体の結成となった。
 韓国には90数ヶ所の米軍基地が存在し、約37,000人の米軍が駐屯している。1945
年以降の米軍犯罪は10万件をこえるという。

 運動本部は全国10ヶ所に米軍犯罪申告センターをひらいて相談や救援をおこない、基地
の実態調査、女性の人権保護、韓米協定改正運動にとりくんでいる。また1994年12月か
ら毎週金曜日にソウルの竜山米軍基地前で、抗議集会をひらいている。

 スタッフは3人、他にボランティアが参加して活動している。当日は高さんとボランティアメン
バーが対応した。事前の連絡が役立ち、高さんが、梅香里、トゥレバン(議政府)へと同行し
てくれることになった。バッジ・ハガキ・ポスターを交換して事務所をあとにした。
 ハガキのなかにあった、侵入を阻止するために、龍山基地の木に装備されたクギの輪の写
真が印象に残った。

 その後、歴史問題研究所のメンバーと会い、教科書問題をめぐる動きを中心に話をきいた。
 86年、民主化運動のたかまりのなかで歴史問題研究所を含め、いくつかの歴史団体が結
成された。今回の歴史教科書をめぐる動きでは、韓日の民衆レベルでの連帯が強化されたこ
とが第一の特徴であること。今回の問題を契機に自国の現代史の見直しについても運動をす
すめていくことが今後の課題という。対話は竜山米軍基地近くの梨泰院の古い農具をならべ
た骨董店のような小さな家庭料理の店でおこなわれたが、たくさんの小皿に食品がだされ、
エゴマのキムチなどの美味に一同感動した。

●ナヌムの家

 元「慰安婦」が共同生活するナヌムの家に日本軍「慰安婦」歴史館が設立されたのは199
8年のことだった。歴史館はソウルから約60キロ(車で1時間15分)の農村(広州郡退村
面)にある。

 館につくとはじめに故姜徳景ハルモニの活動を描いた「私たちは忘れない」(97年作)の
ビデオをみた。姜ハルモニは16歳で不二越工場へと連行されるが逃亡。捕らえられて、軍
隊の「慰安婦」(性奴隷)とされた。みずからの体験を語り、責任者処罰を求めつづけた。一
方で心をいやすための絵画制作に参加し、たくさんの作品を描いた。この歴史館にもその作
品が展示されている。かの女が描いた小鳥は〈自由〉を示すという。かの女は肺がんの闘病
生活のなか、病床で、「パスポートはまだか」と語り、渡日し戦争責任を追及する意思を示し
つづけた。天皇ヒロヒトらしき人物を銃殺する、責任者処罰をもとめる絵の中には鳥の巣と卵
が描かれ、あらたな出立が語られている。姜徳景ハルモニの絵は象徴性のある形象をくみこ
んだ物語のある表現である。

 歴史館のなかをスタッフのソンさんの日本語による案内でみた。歴史館は証言、体験、記録、
告発、誓いなどのテーマで構成されている。館外の広場には平和と人権を示すオブジェがある。
 入口にかけられたイムオクサン作の2つの銅板によるオブジェは歴史を刻むとともに解放へ
の願いを示している。地面の石ころにも願いが記されていた。

 館に入ると金学順の「私たちが強制されたことを歴史に記録せねばならない」という言葉が
ある。金学順は韓国で最初に名のりをあげた元「慰安婦」である。館内には復元家屋、浦添前
ノ町東地下壕で採取されたコンドーム、「慰安所」で使われたホウキやカンなどが展示され、
「慰安所」跡を再訪して撮られた写真などの展示もある。8.15解放はかの女たちを現地に
おきざりとすることでもあった。

 追悼の場があり、前面の壁に木製のオブジェがかざられ、床面には男性器を切断したような
いくつもの器の中にローソクが立てられている。そこで私たちは焼香し、追悼とともに現在の
運動への出立の決意をあらたにした。このコーナーの横には性奴隷とされた人々の顔写真が
かかげられている。匿名のために黒色に閉ざされたままの写真もある。

 2階にはハルモニたちによる絵画が展示されている。また円筒形の“生存者は歴史だ”とい
うメッセージを示すオブジェもある。出口近くには手形をあつめてつくられた壁面作品や来館
者の指紋で構成された肖像作品もある。絵画集・ビデオ・CD・館の展示パンフレットもおかれ
ている。

 展示をみおえた私たちはハルモニに語りかけ、
屋外の階段をステージにして未来への想いをも
ってサンシンとパーランクで「安里屋ユンタ」・「ア
リラン」・「アチミスル」などの歌をうたった。もっと
うたおうとハルモニが語り、ハルモニは「赤トンボ」
を唄い、それにあわせて合唱した

●梅香里

 ナヌムの家から水原をぬけ華城郡の梅香里にむ
かった。水原で昼食をとっていると、烏山基地所属と思われるジェット機が轟音をたてて上空を
飛んでいった。

 梅香里まではソウルから約80キロ。朝鮮戦争以来、米軍の射爆場となり、陸海を米軍が使
用しつづけている。団結小屋があり、周辺には横断幕やオブジェがおかれている。梅香里の米
軍の爆弾破片などを再利用してつくられた人間像のオブジェ(イムオクサン作という)が疎外さ
れた米軍存在と米軍による人間疎外の強要を示す作品として印象に残った。

 団結小屋の上には退色してほころびた旗が風に吹かれている。外壁にはたたかいをアピー
ルする絵がかかれている。



 小屋(といっても大きな建物)のなかで韓国語の梅香里のビデ
オを見、1988年に結成された現地の合同騒音対策委員会の
金さんから説明をうけた。部屋の中には激布やスローガンがは
られ、なかには統一を求める作品も展示されていた。対策委員
会は88年韓国初の米軍基地占拠のたたかいをおこない,20
00年には事故を契機に基地撤去争が高まり、支援の全国組
織が結成されている。
(右写真・団結小屋の前にあるアート。砲弾の破片などで構成)
 その後射爆場の周辺を歩いた。鉄条網の一部は2000年6月
のたたかいで倒されたため、新しいものが内側につくられ、周辺
は2重の柵でかこまれていた。車でゲート前にむかい、海に出た。
境界線の干潟を歩いていると空中で米軍機が機銃を発射した。
“ヒュールーンタンタンタン グァーン”という高音が空気をふるわ
す。さらに地上にむかって空爆がおこなわれた。白煙が遠くから
もみえる。これらの音が人体に与えるストレスは大きい。実際、
騒音性難聴、神経症不安、粗暴、自殺などの被害を住民にもた
らしている。このような長年にわたる基地被害のなか、14人の
住民による被害補償裁判が勝利したことにより、今年8月には
2,222人が計440億ウォンの補償をもとめて、裁判闘争にた
ちあがった。

 団結小屋で梅香里のパネル・ハンカチ・バッチと浜松のポスター・チラシ・ステッカーを交
換。NO!NO!バンドは連帯の意思を示すために一曲演奏し、この地をあとにした。

●水曜デモ

 翌日、大学路周辺でバンドのレパートリーアップのために金敏基・安致煥他のCDや長鼓な
どをもとめ、昼、日本大使館前で毎週水曜にひらかれている水曜デモに参加した。この抗議行
動は今回で474回となる。集会は、強制連行の事実をみとめ、公式謝罪、事実究明、慰霊碑
建設、賠償、再発防止にむけての歴史教育、責任者処罰などをおこなうことを求めて1992年
からおこなわれている。

 大使館前を機動隊や警官がかためている。警察や大使館担当者が日本人に対し集会参加
理由、人数などを聞きにきた。この日はVAWWネットのメンバー31人も参加。集会参加者は
90人余となった。

 集会は活動のなかで亡くなった60人余のハルモニを追悼する黙悼ではじまった。かつては
立って抗議したハルモニたちは高齢のため椅子にすわっての抗議だ。挺隊協の梁さんが、「つ
くる会」の教科書採択の阻止と国連での活動状況を報告、日本からは松井やよりさんが女性
法廷での戦犯ヒロヒトの有罪判決、教科書・靖国にみられる戦争責任追及の不十分性などを
報告し、日韓市民の連帯をよびかけた。

 そののち、政府への謝罪要求や靖国参拝抗議のコールをおこなった。「ハルモニ、がんばっ
てください。私たちがそばにいます」という意味の激励もおこない、「ハルモニがいきているう
ちに問題を解決せよ」と訴えた。

●議政府トゥレバン

 ソウルから北方へ約30キロ先に議政府市がある。ここにはキャンプスタンリーなど8ヶ所
の米軍基地があり、韓国軍兵士の姿も多い。南北分断のなかでこの地域が軍事支配とその
文化を強いられてきたことを感じる。

 駅近くの米軍基地の壁には韓国の民族衣装をきた人々が描かれていた。

 議政府市の東南にあるキャンプスタンリー周囲は鉄条網でかこまれ、そのうしろにはコンク
リートの壁があり、上部には鉄条網がうずまいている。この基地の横に「基地村」があり、現
在13のクラブがある。ここで米兵相手の売買春がおこなわれている。

 この基地村の入口近くにトゥレバンという女性支援団体の事務所がある。トゥレバンは長老
教会の支援の下で1986年に設立された。スタッフは現在3人、活動をボランティアが支援
している。活動は売買春から女性たちを救出することであり、出ていこうとしない女性たちに
も脱出にむけて説得をする。対応してくれたシスターの劉さんは現状をつぎのように語った。

 基地村の女性たちの現状は、7〜80人のロシア人(ウズベキスタン出身が多い)、3〜4
0人のフィリピン人、3〜40人の韓国人。女性たちは「韓国特別観光協会」といった団体の
斡旋によって連れてこられる。クラブのオーナーが約8万円を出す。それが女性に4万、協会
に4万といった形で支払われる。他の地区では協会が女性のパスポートをとりあげ、全額を協
会に支払うところもある。全羅北道群山基地にはタイ女性もいる。スタンリー基地の村へと議
政府各地の基地から米兵があつまってくる。ロシア女性は3〜4年前から増えた。70年代、
基地村には女性が1,000人余もいたが今では10分の1に減っている。

 トゥレバン(英語ではマイシスターズプレイス)は、女性の売買春からの脱出にむけてのと
りくみとして、クリスマスカード・手紙用紙・マグネットなどをつくる作業や、アートセラピーとし
て絵画表現もおこなっている。絵画展が01年の7月にソウルと議政府でひらかれている。
 作品には閉ざされた心を反映する色彩と形象を示すものが多い。描くことで閉ざされた心
が開かれていく。そこに描かれた世界の不協和音は女性の性的収奪のうえに存立する米
軍の軍事支配、軍事文化の姿を示しているように思われた。

 トゥレバンの作成した写真展のパネルをみた。基地村の20年が写されていた。結婚式で
も喜びを顔に表せないでいる女性の写真が印象に残った。

 トゥレバンは軍事基地・文化と対抗し、平和と人間の尊厳の確立にむけて基地村の現場で
活動している。女性の抑圧・売買春のうえに存立する軍事支配とその文化は生命の否定を
核心とする。このようなあり方に対しトゥレバンは個の尊厳の地平から人間の主体の転換を
呼びかける。この基地村でのトゥレバンの活動は、軍事文化に対し生命を宝とする倫理を民
衆基層の中に再確立する試みであるといえるだろう。

 NO!NO!バンドはトゥレバンの活動に敬意を示し、今後の活動の成功を祈り、ここで一
曲を歌った。

 夕方、雨が降りはじめ、私たちはキャンプスタンリー基地の村をあとにした。

民主労総メンバーとの再会

 この日の夜、今年の6月教科書問題で浜松を訪れ市へと共同の申し入れをおこなった劉さ
ん、そして2年前の冬、浜松を訪れた李さんと再会した。

 劉さんは2度の解雇をうけつつ、公務的色彩のつよい通信現場で組合を結成し、民主労総
の中心組合へと育てた。そして、民主労総副委員長となり、現在はメーデーフォーラムの委員
長として新自由主義反対運動を解雇者とともに支えている。李さんは古くからの活動歴をもつ
元鉄道労働者、何度も弾圧されるなか、不屈の闘魂をもって民主運動を担ってきた。

 おりしも北を訪問した姜禎求氏らが空港で連行され拘束された直後のこと。李さんらは姜禎
求氏釈放対策委員会を結成し救援運動をはじめたところだった。

 民芸風の店で飲んだ薬茶と松の葉をちらしたマッコリはとてもおいしかった。

 軍隊、軍事基地のもたらすものは野蛮である。軍「慰安婦」、不当な占拠による軍事訓練の
継続と住民への被害の続出、基地村でつづく性売買、軍事文化の宣伝。軍事支配とその文化
は、兵士と女性との間に凝縮される形でしめされる。このような支配的な姿ではないオルタナ
ティブな関係をもとめて、歴史、労働、基地のさまざまな領域で人々の活動はすすんでいる。

 軍事文化と拮抗する志を詩曲にのせて今後も活動していきたいとバンドメンバーは帰国の
飛行機のなかでそれぞれ考えていた。円の価値で世界をきりとり、自らの欲望を消費の形で
解消するありようにどれだけ自らが自由でありえたのかを自問しながら。

〈*費用:昼出発朝帰り3泊4日ホテルつき5万円のパックツアー〉

(報告・竹内)