つくってはいけない!
       昭和天皇記念館 

  
       

                 

2005130日、東京都内で「昭和天皇記念館をどう迎え撃つのか?」(主催昭和天皇記念館建設阻止団)という討論集会がもたれた。この集会には35人ほどが参加し、昭和天皇記念館問題について話し合いがおこなわれた。

昭和天皇記念館とは、昭和天皇ヒロヒトの生誕100年を記念して、国土交通省によって東京都立川市の国営昭和記念公園の一角に建設中の建物である。建設費は14億円、周辺の整備費を入れれば50億円という。開館は今年の秋の予定である。国営昭和記念公園は1983年に開園しているが、この公園は天皇ヒロヒトの在位50年記念事業(1976年)によって作られたものである。

1983年の開園時の反対行動に対しては、立川警察が市内130箇所の公園の使用申請を出して反対行動を事前に規制する、反対メンバーを軽犯罪法で検挙する、反対団体事務所(テント村)へと家宅捜索をおこなう、開園反対行動日にテント村事務所屋上へと警視庁レンジャー隊を配置する、天皇が立川を出るまでデモ参加者を拘束するために機動隊が開園反対デモ解散地点の公園を封鎖する、といった人権侵害事件がおきている。

公園の建設地は、かつては陸軍航空基地として使われ、戦後には米軍が基地として使ってきた場所である。立川での基地反対闘争によって獲得された場所が陸上自衛隊立川基地と昭和天皇を記念する公園となったのである。

 昭和天皇記念館はこの公園内につくられている。建設をすすめてきたのは1991年に設立された昭和聖徳記念財団である。この財団の前身を昭和天皇崇敬会という。昭和天皇崇敬会は三菱鉱業セメント(現・三菱マテリアル)の会長や日経連の会長であった大槻文平が中心になってつくったものである。昭和聖徳記念財団は記念館の建設がすすむと2003年に事務所を立川市に移した。この財団は昭和天皇を「終戦の御聖断」により国民を「救済」し、地方巡業で国民を「鼓舞」し、民心を「安定」させ、「活力の源」であったと賛美している。その役員をみると、理事長・副会長を藤村正哉、事務局長を濱村恒夫などの三菱マテリアル系が占め、三菱が財団内で力を持ち、政府・財界・神道などと結んできたことがわかる。藤村は三菱マテリアルの会長、日韓経済協会や日韓文化交流基金の会長などを務めてきた人物である。

 2005年に入り、三菱広島高裁・三菱名古屋地裁の朝鮮人強制連行関連裁判の判決が出たが、これらの裁判のなかで、三菱重工は連行の事実を認めず、時効や別会社を口実に、その責任をとろうとする姿勢を示してはこなかった。三菱鉱業(現マテリアル)は数万人の朝鮮人の強制連行をおこなった企業である。鯰田・美唄の炭鉱をはじめ各地に三菱鉱業が戦時下連行し、死後も放置されたままの遺骨が残っている。三菱は過去の戦争犯罪での責任を取ることなく、他方で政府とのパイプを利用し、昭和天皇を賛美する記念館建設を国営事業としてすすめているのである。 

 昭和天皇記念館の展示内容について、情報公開された資料からみてみると、展示では「心あたたまる時の体験」を語り、生物学研究・戦後の地方巡業や天皇の活動(国体・外国訪問ほか)・生活遺品などの常設展示が予定されている。記念館前は「緑の文化ゾーン」とされ、ヒロヒトと緑との交流が示されるという。

ここから昭和天皇を生物研究者と戦後復興の担い手として示し、「緑と平和の天皇」として描こうとしていることがわかる。ここでは、統治・統帥権者、戦争指導者としての戦争責任については隠されている。この館は、新たな天皇体験・賛美の場であり、隷従の精神構造が再生産される場にもなるだろう。

2004年の静岡県・浜名湖花博での昭和天皇自然館の建設と展示は、この昭和天皇記念館の事前展示会の様相を呈していた。そこではヒロヒトの生物学者としての「功績」が賛美され、軍事より博物学を好む人物として描かれ、「エコロジスト」と呼ばれたという記述まで登場した。戦争期や戦争責任にはまったくふれていなかった。

昭和天皇館建設問題は、かつて陸軍基地・米軍基地があり、闘争によって「返還」されたこの立川の場所で、何を記憶し継承していくのかを、世界に問いかけるものである。昭和天皇記念館建設では、戦争責任やアジアへの加害の歴史、平和を求めた民衆の闘いの歴史が欠落し、隠蔽されている。戦後60年と新たな派兵の時代を迎えたいまこそ、隠されているこれらの歴史を、記憶し継承していくべきである。

史実と戦争責任を隠蔽するという意味で、強制連行や軍隊「慰安婦」の教科書からの削除、2000年女性国際戦犯法廷に関するNHK映像の改ざん、政府関係者の歴史歪曲発言などの問題と同質の事態が、立川ですすんでいる。それは立川という一地域の問題ではなく、国際的な問題である。

もし、ドイツ政府が「愛と芸術」をテーマに「ヒトラー記念館」をつくるとしたら国際的な批判にさらされるだろう。「緑と平和」の「ヒロヒト記念館」など、つくってはいけない。この地で記憶し継承すべきものはほかにある。