日本軍性奴隷制問題の現状と課題
2005年2月12日から13日にかけて、東京で第7回日本軍「慰安婦」問題アジア連帯会議がもたれた。ここでは会議での発言や資料から1990年代から現在に至るまでの経過・現状・課題についてまとめておきたい。
○ 概念規定
一般に「従軍慰安婦」と呼ばれてきたが、VAWW−NETジャパンは、日本軍による性的奴隷として連行された女性たちについては、「日本軍性奴隷制」あるいは「日本軍『慰安婦』」とすることを提示した。
○ 運動の形成
日本軍性奴隷制について、被害者が名乗り出て、女性たちの運動が形作られたのは1990年代のはじめのことだった。
1990年6月の国会での日本政府の対応は、「慰安婦は民間業者が連れ歩いた」とするものであり、国家と軍の関与を否定するものであった。しかし、韓国での金学順さんの告発以後、被害者がアジア各地で発見され、関係史料の発掘もすすんでいった。
1992年夏にソウルで第1回の日本軍『慰安婦』問題アジア連帯会議が開かれ、1993年には東京で会議がもたれた。1992年12月には東京で「日本の戦後補償に関する国際公聴会」が持たれ、各地の被害者が参加し、涙ながらに戦争犯罪被害の実態を訴えた。史料集の出版も行われた。
○裁判闘争
1991年12月には元「慰安婦」をふくむ韓国人被害者の原告団が日本政府に対し、謝罪と賠償を求めて提訴した。1993年4月にはフィリピンと在日韓国人、1994年1月にはオランダ、1995年には中国、1999年には台湾など、のべ10件の裁判のたたかいが繰りひろげられてきた。
この戦後補償裁判の中で、政府は、事実認知を拒否したり、日韓協定や時効・除訴を持ち出したり、国家無答責を示して、その責任を回避し続けてきた。関釜裁判の1998年の下関地裁判決では被害者への賠償の立法を怠ってきたことを問う「立法不作為」が示された。この判決を契機に、日本軍性暴力被害者裁判支援連絡会の結成など、元「慰安婦」裁判を支援する団体の共同の取り組みもすすんだ。
その後の裁判の動向を見ると、2004年までに5件の敗訴が確定している。2004年2月の台湾関連の高裁判決では、被害事実にさえ認めずに、国家無答責で切り捨てるものだった。このとき原告は『わたしも人間だ!人間扱いをしろ!』と叫んだという。
国家無答責の発想は天皇主権・天皇不可侵からのものであり、このような論理を今も語っていることは、この政府の戦中国家との連続性と無責任を逆に示すものでる。
中国人関連の裁判が残ってはいるが、2005年4月には海南島「慰安婦」裁判のみとなる。山西省「慰安婦」裁判では地裁が被害事実や日本軍の不法行為を認定している。2004年の西松組中国人強制連行裁判では高裁で被害者への賠償を認めさせ、勝訴しているケースもある。
司法上の解決のみならず、法的な責任をとるための、立法による解決が求められている。
○立法運動
立法不作為の提示は、2000年4月に民主党が参議院に「戦時性的強制被害者問題の解決の促進に関する法律案」を提出し、2001年3月には野党が法案を統一して提出するなど、立法を目指す取り組みにつながっていった。2005年2月には6度目の法案提出がおこなわれている。さらに、真相究明のために『恒久平和調査局設置法案』制定も提起されている。
○国際的動向
被害者政府も被害者支援に乗り出している。1993年6月には韓国で生活安定支援法が制定された。2003年2月には韓国国会で、真相究明・謝罪賠償にむけての法律制定と教科書への記述などによる真の連帯を求める決議が採択された。2004年3月には日帝占領下強制動員被害真相究明法が制定され、同年11月には日帝下強制動員真相究明委員会が設立された。台湾の政府は1997年に200万円を立替支給した。2000年には香港の議会が謝罪と補償を求める対日決議を採択、2001年にはフィリピン下院で問題調査を求める決議が採択されている。
国連人権委員会には、1996年にクマラスワミ特別報告者による「日本軍『慰安婦』問題報告書」が提出されている。さらに1998年・2001年と報告書が出され、2003年には最終報告書が提出された。そこでは賠償・謝罪の必要と加害者不処罰問題が提示された。日本が道義的な責任を認める様子を示しながらも、法的責任を取らずに個人賠償の支払いを拒否している現状が批判されている。1998年のマクドウーガル報告書は、日本軍性奴隷制が人道に対する犯罪であることを指摘した。1996年にはILOが被害者への個人賠償を勧告した(2003年まで5次の勧告)。
このような中で開催されたのが2000年12月の女性国際戦犯法廷であった。そこでは、90年代に提示された責任者処罰にむけての証言・史料提示がおこなわれ、天皇ヒロヒトをはじめとする戦争責任・戦争犯罪の責任が示されたのである。
○法的責任を回避した「国民基金」
このような「慰安婦」問題への国際的な批判と運動の高まりの中で、日本政府は1995年7月に『女性のためのアジア平和国民基金』を発足させた。募金を約5億6千5百万円集め、韓国・台湾・フィリピンの被害者約280人に一人200万円を支払ったという。基金は2006年にその事業を終わろうとしている。
「国民基金」の動きは新たな被害者を作るものだった。それは、国家の法的責任を回避し国民に責任を転嫁するものであり、日本政府によって利用され、被害者内部に分断を生んだ。韓国では、「なぜ受け取らないのか」「一生見ることができない金だ!」と基金の受け取りを求める強要が、電話などによっておこなわれた。また中間ブローカーの動員も行われ、中間手数料を取り、基金に反対する市民団体を誹謗することまでおこなわれた。基金の受け取りの強要は被害者間に不信感を増幅させた。本人の意思に反して受取人として名前が使われていたケースもあった。
さらに政府・自民党はメディアを操作し、歴史教科書への介入をすすめ、強制連行や「慰安婦」の記述を歴史教科書から削ることをすすめている。
○課題
すでに1990年代初めに被害者側から、加害事実の真相究明、国家の公式謝罪と被害者個人への賠償、被害者の追悼、教科書記述や記念館設立による歴史教育への反映・継承、犯罪処罰と再発防止措置による尊厳回復が提示されてきているが、これらは未解決のままである。
逆に日本政府は新たな戦争国家への道をすすめ、過去の戦争犯罪やその責任を隠蔽する方向にある。被害者個人への賠償の視点と、戦時下女性への国家暴力を繰り返さない活動は、戦争予防の核心である。被害者の視点から歴史を学び、教訓とすることが求められている。
アジア連帯会議は以下の行動を呼びかけている。各地での取り組みが求められている。
【戦後60年緊急行動】
1. 日本軍「慰安婦」問題解決促進法を実現し、公式謝罪と補償を実現する。
2. 日本政府に対する国連人権機関の勧告実施を求める国際署名運動を展開する。
3. 日本軍「慰安婦」問題の解決を求める世界同時デモ及び要請行動を8月に行う。
4. 日本軍「慰安婦」問題の事実を各国の教科書に記述し、次の世代に伝える。特に、日本における中学校教科書採択において日本軍「慰安婦」を否定する教科書の採択を阻止する。
5. 残された日本軍「慰安婦」裁判を、アジアで連帯して支援する。
【国際連帯行動】
1. 日本軍「慰安婦」制度の被害女性とともに証言活動をすすめる。
2. 国連人権委員会、北京プラス10、ILO等の国際会議で国際社会に連帯行動を訴 える。
3. 日本軍性奴隷制の責任者を裁いた「女性国際戦犯法廷」を歪曲・縮小したNHK報道 に対する政治介入に抗議し、真相を究明する。
4. 日本軍「慰安婦」制度に関する文書を公開するよう日本及び関係国に求める。
5. 各国・各地で取り組みが始まっている記録・記憶の保存と教育活動のため、ミュージアム・ネットワークを構築する。
6. 女性の人権確立のため、社会にある性差別と闘い、非暴力・平和の社会の実現を目指す国際社会の幅広い運動と連帯する。
2005年3月
2 第9回日本軍「慰安婦」問題アジア連帯会議・東京 08・11
●「慰安婦」問題の国際的認知と決議採択
2007年7月のアメリカ下院での「慰安婦」決議に続き、11月にはオランダ、カナダの下院で「慰安婦」動議が採択され、12月にはEU議会で、日本政府への認知・謝罪・責任・賠償・教育などを勧告する決議が採択された。
とくにEU議会の決議は、奴隷貿易廃止200周年から書き始められ、「慰安婦」制度を20世紀の人身売買の最も大きなケースのひとつとし、その被害者の女性たちに連帯を表明し、国際法の観点から、被害者への賠償のための行政機構の設置や賠償権の実現に向けての法整備を勧告し、政府に「慰安婦」否定の言説への公的反論を求めるものというであり、人権運動の国際的蓄積を示す内容であった。
2008年10月には韓国国会で「慰安婦」被害者の名誉回復のために謝罪と賠償を求める決議が採択され、11月には台湾で日本政府に謝罪と賠償を求める決議が採択された。日本国内では宝塚、清瀬、札幌などで意見書が採択された。
さらに2008年10月末には国連の自由権規約委員会が、被害者への謝罪、尊厳の回復、加害者の処罰、法的・行政的手段による被害者への補償などを求める報告書を採択した。
このように日本軍の性的奴隷であった「慰安婦」が名乗りをあげてから17年、被害者とそれを支える人々の各地の運動はNGOによる国際法廷の開催などさまざまな活動を通じて、国際的な人権意識の形成に寄与し、国連や各国政府レベルでの認知・謝罪・賠償・教育に関する決議を獲得してきたのである。残されているのは日本政府による謝罪や賠償による被害者の尊厳回復と再発防止にむけての立法化である。
このような情勢の中で、2008年11月23日から25日にかけて東京で第9回日本軍「慰安婦」問題アジア連帯会議が開催された。23日には連帯会議、24日には公開集会、25日には国会行動がおこなわれた。
●「慰安婦」問題アジア連帯会議での報告から
11月23日の連帯会議では、アジア各地の運動団体の報告と行動提起、アメリカ・カナダからの運動報告などがおこなわれ、今後の活動の重点をめぐって討論がもたれた。
以下、「第9回日本軍「慰安婦」問題アジア連帯会議」資料集を参考にしながら、主なものをまとめていく。
▼日本政府の動向と運動の課題
日本政府の姿勢は、サンフランシスコ条約や2国間条約などで法的に解決済み、「国民基金」で道義的責任を果たした、「河野談話」を踏襲するが新たに閣議決定はしない、93年までの発見史料には強制連行を直接示す記述は見当たらない、などというものである。このような立場で政府は被害者の要求や国際社会の勧告を無視し、「河野談話」に反するような暴言を放置してきた。教科書での記述は激減し、マスコミの「自主規制」がすすんだ。
「慰安婦」関係裁判10件のうち、9件は最高裁で棄却され、現在は海南島戦時性暴力裁判が東京高裁で係争中である。裁判では多くの被害事実が認定されてきたが、謝罪と賠償については敗訴をかさねている。10数年わたる裁判とその敗訴によって、司法での解決から立法による解決が求められるようになった。
近年、被害者の声と支援運動が国際社会を動かすようになり、2007年にはアメリカ・オランダ・カナダ・EUなどで、2008年には韓国・台湾などの議会で決議があがり、2008年には国連の勧告も出された。
日本では、日本軍「慰安婦」問題行動ネットワークが中心になって、アジア連帯会議の実行委員会を結成し、テーマを「世界と連帯し日本政府に即時解決を要求する」とした。会議開催までさまざまなキャンペーンがおこなわれてきた。
現在、野党の力が強くなってきていることから、国際的連帯と国連の勧告を力に、国会での公聴会、国会での謝罪決議と「補償法案」の上程可決、教科書への記述をすすめることなどが求められる。
「慰安婦」問題解決に向けての各地で意見書採択、NGOと議員とのプロジェクトづくり、教科書記述に向けての働きかけ、マスコミ・市民への訴え、メディア対策などをすすめることや、国際的な連帯運動、世界同時行動なども求められる。
▼韓国での動き
韓国挺身隊問題対策協議会は発足して18年になる。韓国での水曜デモは1992年1月から始まり、2008年11月には840回を数える。韓国で確認されてきた被害者は200人を超えるが、生存者数は100人を切った。年とともに被害者が減少し、生存者は80歳代が多い。
国際連帯の活動によって、2005年10月にはアムネスティが「慰安婦」被害者の解決に向けての報告書を発表した。07年11月にはアムネスティの招請で韓国・フィリピン・オランダの被害者がオランダ・ベルギー・ドイツ・イギリスで証言した。その活動のなかでオランダとEUで決議が採択された。カナダでは2007年5月に「カナダ議会決議案採択のためのアジア連帯」が結成され、11月には韓国・オランダ・中国の被害者がバンクーバー、トロント、オタワで証言した。このなかでカナダ議会での決議が採択された。国際連合の女性差別撤廃委員会、ILOなどでの活動もすすめている。
ソウルで「戦争と女性人権博物館」の建設運動をすすめ、ヴェトナムやドイツなど海外の平和博物館と連携し、「戦争と女性人権国際展示会」の企画も計画している。「慰安所マップ」の作成や運動史の編集、水曜デモの記念碑建設、世界記録遺産への登録など、継承にむけての歴史化も課題である。基地村の女性の人権問題にも取り組んだ。地域での被害者の生活支援も求められるが、被害者が生きているうちに、日本政府による公式謝罪と賠償を実現することが第1の課題である。
朝鮮では1992年以降、200件以上が確認され、46人が公開証言に賛同した。日本軍が駐屯していた清津では建物などが確認され、鏡興・雄基・恵山・羅南・咸南・豊山などでも慰安所の設置を確認している。日本の謝罪と賠償による法的な責務の実行によって真の和解が実現する。
▼中国での動き
中国では1995年に4人の被害者が謝罪と賠償を求めて裁判に立ち上がり、さらに19人がつぎつぎに裁判をおこした。
2006年8月に中華全国弁護士会と中国法律援助基金会が被害事実共同調査委員会を結成し、2007年6月には第1次報告書を発表した。
この調査で、日本軍が中国各地で数多くの「慰安所」を組織的に設置したことが判明した。調査によれば、日本軍が村や街に駐屯すると農民の住宅や兵営内に「慰安所」を置き、日本軍が直接に監視した。これらは駐屯部隊用のものであり、看板などは掛けなかった。県政府の所在地に駐屯すると民家が「慰安所」とされ、「酒保」「慰安所」といった看板がかけられて軍や軍に委託された民間人が監視した。駐屯する部隊が移動すると「慰安所」は後続部隊に引き継がれた。都市にあった日本軍の「慰安所」には「倶楽部」「館」「慰安所」などの看板が掛けられ、軍や憲兵が監視し、日本人や中国人に委託させたところもある。日本軍が一定期間駐屯すれば「慰安所」が設置されている。また、山西省に残留した日本軍は1947年まで専用の「慰安所」を持っていた。
2008年までの調査によって山西、広西、海南などで44人の生存者が確認されている。日本軍による性奴隷制は重大な戦争犯罪であり、被害者に対して心からの謝罪・賠償をおこなわない日本政府の姿勢は社会道徳に背くものである。
台湾では1992年以降、58人が被害を訴えた。台北市婦女救援社会福祉基金会が活動をすすめ、日本政府に対して、歴史の真相と向き合って戦争の責任をとり、尊厳と名誉の回復のための被害者賠償の立法化を求めている。2008年11月には台湾の立法院で日本政府に謝罪と賠償を求める決議が採択された。「サイバーミュージアム・女性の人権と『慰安婦』」の年末の開設に向けての活動もすすめている。
▼ フィリピンでの動き
フィリピンではリラフィリピーナ、ロラズカンパニエラ、ロラマシンネットなどが活動している。
リラフィリピーナへと174人の被害者が登録したが、すでに3割が死去した。性奴隷とされた被害女性の正義の回復のみならず、外国軍隊による干渉や侵略の中での女性への性暴力にも反対する活動をおこなっている。調査・支援・ロラズハウス(歴史資料研究センター)の維持などの活動もすすめている。ロラズカンパニエラが把握した被害者は135人であるが、その内半数以上が死去した。『癒しの正義』という本を出版した。ロラマシンネットは「女性に関する暴力」国連特別報告官との会議で「慰安婦」問題をとりあげるなど戦争による女性の人権侵害について提起し、特別報告書に「慰安婦」問題をとりあげさせた。
2008年には国連が紛争地域での性暴力を戦争犯罪とし、ジェノサイドを構成するものとして廃絶を呼びかけるなど、戦争と性暴力を問う運動は国際的な正義になりつつある。
2007年にはアメリカで在米フィリピン人団体も全米共同キャンペーンを立ち上げ、正義の回復を求めた。ヨーロッパではフィリピンの被害者も証言し、EU議会などでの決議につながった。フィリピン下院ではガブリエラ女性政党の議員が07年8月に性奴隷被害の認知・謝罪・責任・被害者補償を求める決議案を提出した。2008年3月に下院で採決されたが、日本政府が干渉し、差し戻された。
▼ インドネシア・東ティモールでの動き
インドネシアでは、エカ・ヒンドラディ『モモエ〜彼らは私をそう呼んだ』が発刊された。日本統治下のインドネシア「慰安婦」についてのサイトが立ちあげられ、証言や写真、文書などを紹介している。インドネシア人「慰安婦」の地図作りもすすめている。08年には「兵補」や労務者の調査がおこなわれた。
東ティモールでは東ティモール人権協会HAKによる調査・支援活動が取り組まれている。2005年からの調査では被害者15人を含む調査がおこなわれた。2006年には被害者の尊厳回復をもとめて公聴会が開催された。2007年にはHAKの慰安婦問題担当が日本の数ヶ所で講演した。
2008年2月には日本による東ティモール侵攻66年を記念して「1942-45年日本占領下の東ティモール女性、語る」というパネル展をおこなった。性奴隷制と日本の戦争責任を問うラジオ番組(5回分)も制作し、国営放送などが放送した。被害者の健康支援のための定期訪問もおこなっている。ドキュメンタリー映画には『アボたちは語る』がある。
▼ アメリカ・カナダでの動き
カナダのトロント・アルファ(ALPHA・アジア第2次大戦史学習保存会)は教育用ガイドブックを作成し、2004年からは「平和と和解の見学旅行」をおこなっている。2007年には『アイリスチャンと南京大虐殺』という記録映画を制作して公開した。『南京大虐殺と70年の健忘症』を出版し、虐殺70周年記念のコンサートも実施した。他のグループと運動体を作り、07年5月にはカナダの全国紙に全面広告を掲載し、07年11月には、4人の被害者によるカナダ議会やトロント大学での証言会をもち、カナダ議会の決議を得た。社会的正義と世界平和の実現にむけ、共同作業をすすめている。
アメリカでは2007年2月に、アメリカ下院に提出された「慰安婦」決議案121を実現するための「121連合」が結成された。ここには、アメリカや国外から200以上の団体が結集した。決議案の成立に向け、50人ほどの活動者が情熱を持って行動し、議員435人に働きかけ、167人の賛同署名をとり、7月には決議を成立させた。目標を共有し、具体的にボランティアに依頼し、効果的なコミュニケーションを確保することが大切だ。
生存者と活動者が事実を過去に葬らなかったことは人間の精神力の勝利である。国際的な決議の存在は日本の市民が政府に圧力をかけるチャンスである。世界は透明、参加、協力の関係へと変わろうとしている。謝罪は美しくパワフルな行為であり、心からの謝罪が新しい社会と新しい意識を生む。「慰安婦」への正義の実現は未来への土台である。
以上が報告の主な内容である。
●問題解決に向けて
被害者の声と支援の運動は国際社会を動かし、日本政府が問われるという情勢を切り開いてきた。この状況を踏まえて、会議では今後の課題についての討論がもたれ、謝罪や賠償、国会決議や立法化についての活発な議論が交された。
11月24日には公開集会がもたれ、被害者の証言や追悼のパフォーマンス、ミュージカルが上演された。証言者は韓国・台湾・中国・フィリピン・東ティモール・日本などから参加した。11月25日には国会前で問題の即時解決を求めるデモと院内集会が持たれた。
連帯会議は、尊厳の回復と正義の実現にむけての熱い想いが交差する場だった。日本政府が歴史的責任をとり、被害者の尊厳回復に向けて、公的謝罪し、賠償のための法を制定し、そのための行政組織を設立することが求められている。
最後に2008年10月末の国連の自由権規約委員会の報告にある「慰安婦」問題関係の項目(22)をあげておく。ここに示されているような視点の共有が大切であり、それを踏まえて国際的な関係が構築されるべきである。日本政府の誠実な対応が求められている。
「(22)委員会は、締約国(日本)が第2次世界戦争での「慰安婦」制度に関して、今もその責任を認めていないこと、責任者が訴追されていないこと、被害者への補償が公的資金というより民間募金によって措置され、不十分であること、歴史教科書で「慰安婦」問題に触れているものは少ないこと、政治家およびマスメディアの一部が被害者を貶め事実を否定し続けていることに、懸念する。
締約国(日本)は、「慰安婦」制度について大多数の被害者が受け容れられる方法で、法的責任を認めて無条件に謝罪し、かの女たちの尊厳を回復し、生存している加害者を訴追し、権利の問題としてすべての生存被害者に十分な補償をおこなうために、速やかで効果的な法的・行政的手段をとり、この問題について生徒と一般公衆に教育し、そして被害者を貶めこの事実を否定するいかなる行為に対しても反駁し、制裁を加えるべきである。」
なお、23日の会議終了後にカナダのトロント・アルファが制作した『アイリスチャンと南京大虐殺』(2007年)が上映された。この映画は、アイリスチャンの作家活動の歴史を追いながら、南京の幸存者の証言を収録し、アイリスの情熱的なスピーチも収めているものである。また、カナダの教員による中国の南京やハルビンなどへの「平和と和解の研修旅行」を収録した15分ほどのDVDは、日本軍による戦争犯罪を示すものでもあり、草の根の連帯活動を示している。作品から多くのことを学んだ。