浜松市長様                     2005年6月30日

                             人権平和浜松

 

浜松市による地下壕の戦争史跡としての調査・文化財指定・保存を求める要請書

 

浜松市には1974年からの『特殊地下壕』綴りがあります。この資料には約200件の市内の特殊地下壕の事例があります。これらは軍による構築物が多いと考えます。

その理由は、トーチカ1つを除き、壕のすべてが馬込川よりも東にあり、東海道線よりも北にあること。壕が集中している地域は都市中心部ではなく、市の北西方向の広沢・鹿谷・冨塚・和合・神ヶ谷・住吉・幸・有玉・半田・大人見・伊左地であり、これらの町は高台に位置する浜松基地の周辺にあること。浜松基地の南部に集中しているこれらの壕に沿って東西に線を引いていくと防衛ラインが見えてくること。上島・鴨江・広沢などの小学校には陣地構築部隊が展開したという文書史料がありますが、その周辺に実際に壕が存在していていること。基地近くの和合・冨塚では丘陵や川ぞいに壕が点在し、疎開のみならず遊撃戦陣地の様相を呈していること。鹿谷・住吉などには拠点とされていた大きな壕があったこと、などです。

これらの軍地下壕群の分布から、壕は市民の安全を守るためにつくられたものではなく、軍事基地防衛と遊撃戦を想定して構築されたものとみられます。壕の中には市による調査の前に破壊されたものも多いでしょう。浜松市北方の都田にも壕が構築されました。市町村合併にあたり、細江や浜北の資料を追加すれば、基地北方に展開・疎開した部隊についての陣地構築状況も明らかにできます。

当時、軍の壕建設への朝鮮人兵士の動員が他の地域の調査では報告されています。伊左見や三ケ日では朝鮮人農耕隊の存在が明らかになっています。1920年代半ばの浜松基地建設においてすでに多くの朝鮮人が動員され、30年代の基地拡張にも動員されていますから、おそらく戦争末期には壕掘削にも動員されたとみられます。

これらの地下壕群は戦争史跡であり、文化財です。現在、全国各地で戦争史跡としての調査・保存がすすんでいます。軍事基地周辺に存在した200余の地下壕群の存在は全国的にも極めて貴重な史跡です。その構築目的・構築主体・構築物についての調査・記録が求められ、文化財として指定し、残存壕については保存も検討されるべきものと考えます。

よって以下を要請します。

 

@       地下壕建設・実態についての総合的な調査を行い、調査報告書にまとめること

A       軍地下壕をはじめ陸軍航空基地関係残存構築物を戦争史跡として認定し文化財に指定すること

B       これらを史跡として保存しその歴史的意義を表示すること