08・10・15 ギュンターザートホフ講演会・東京 参加ノート

 

2008年10月15日、東京でギュンターザートホフさんの講演会がもたれた。この講演会は強制連行・企業責任追及裁判全国ネットを事務局とするギュンターザートフ氏招請委員会が主催した。

ザートホフさんはドイツの「記憶・責任・未来」財団で活動してきた。この財団はドイツによる強制労働被害者への補償給付をおこなうために政府と企業によって2000年に設立された。これまでに約100カ国170万人以上の強制労働被害者と他の犠牲者に47億ユーロの補償をおこなった。現在、ザートホフさんはこの財団の理事として、財団を引き継ぐ「未来基金」の活動をすすめ、ナチスの不正への歴史的対処、被害者への支援や名誉回復などをおこなう国際振興計画の活動を担っている。

ザートホフさんの講演『ドイツの戦後処理における「記憶・責任・未来」基金の意義』は、日本での強制労働への補償実現にむけて、多くの教訓を示すものであった。

以下、講演資料を基礎にして、内容を要約しておく。

 (はじめに)

この場では、財団の理事としてではなく、真相糾明を求めて歴史的な取り組みをおこなってきた政治的な活動者としての立場で話したい。私が伝えることができるのは、ドイツがナチズムの不正と取り組むために何をし、その取り組みがドイツにどのような意味を持ち、どのような成果をもたらしたのかについてである。

本質的な問いを示せば、国家や社会が自らの過去とその不正の歴史に真摯で説得力のある取り組みをする用意があるのか、ということである。自らを鏡に映し問うことは困難なことだが、人道に対する罪がある国は、犠牲者の要求に応え、勇気を持って歴史と誠実に向かいあう道を自ら見つけなければならない。不正との取り組みを怠り、拒否することは幾世代にわたって社会、国家間の和解を困難にし、新たな紛争の火種ともなる。不正を不正としてみなさず、物的、あるいは道義的行動において不正を認めることを拒否することは、犠牲者の尊厳を永続的に犯すことになる。

(ナチズムの犯罪と不正への補償)

ナチズムの犯罪には、ユダヤ人約600万人、シンティ・ロマ約50万人の殺害、40万人以上の強制不妊・断種と安楽死計画、6000万人の戦争死者を生んだ征服戦争の開始、中欧・東欧諸国への侵略、1200万人以上をドイツに連行しての強制労働の実行などがある。

戦後、西ドイツでは自らを鏡に映せない時期があったが、1960年末に「お父さん戦争のときに何をしていたの」と加害者の子どもたちが加害者であった両親を問う形での取り組みがはじまった。しかしこの時期は、加害者への問いが中心であり、被害者へと視点が移行したのは1980年代以降だった。1980年代には、大量殺害と人道に対する罪についての全体的理解がすすんだ。加害者への責任追及がおこなわれ、被害者の補償要求への配慮がすすんだ。

ドイツ独自の取り組みが求められた。それは「大人はいやなことにも目を向ける」という意味で、ドイツ社会の政治的成熟度が問われるものだった。ナチスの不正への取り組みは、ドイツ社会の成熟の過程を示すものであり、今なお完結していない。

転換点は1989年である。ベルリンの壁の崩壊は旧東欧・ソ連との新たな関係をもたらした。91年にはポーランドの和解機関と関係が始まった。ドイツはこれまで、連邦補償法、連邦返済法、補償年金法、ナチス被迫害者補償法、対イスラエル条約、その他の協定や支給で600億ユーロを超える公的資金による補償をしてきたが、人道に対する罪への新たな取り組みとして、「記憶・責任・未来」財団を設立する動きが始まった。

(「記憶・責任・未来」財団の設立)

財団の成立まで10年以上かかったが、成立には3つの動因がある。それは、ドイツ政界でシュレーダー政権が生まれ、社会民主党と緑の党が政権を担い、1998年には政府が強制労働者のために企業も参加する財団を設立する意思を明文化したこと、ナチスによる強制労働や不正において未解決であった問題の解決を、ポーランド、チェコ、さらにウクライナ、ロシア、ベラルーシ、バルト3国、またユダヤ人組織が要求したこと、強制労働をおこなったドイツ大企業へのアメリカでの訴訟による政治的圧力があったことなどである。このなかで政治的な解決への議論がすすみ、1999年12月に合意に至り、ヨハネス・ラウ大統領は、尊厳を奪った奴隷労働と強制労働に対し「許しを請います」という内容の声明を出した。

ドイツ企業による基金設立の動きは1999年2月、ダイムラークライスラー、ジーメンス、ドイツ銀行、クルップ、アリアンツ、ヘキストなどの12社から始まり、のちに発起企業は16社となった。2003年はじめの賛同企業数は6544社を数えた。

政府の役人たちは強制労働への補償はありえないという認識であったが、法律の制定に協力するようになった。キリスト教民主・社会同盟や自由民主党も補償に反対していたが、この流れに吸い込まれていった。全会派が賛成し、全会派から財団の管理委員会に各1名代表を送り込む構想が生まれた。生きている世代の「歴史への責任」、「ドイツ国民全体の歴史的義務」が課題となった。財団法は与野党によって議決され、政権交代に左右されないものになった。

このような財団の設立において重要であったことは次の点である。政府や企業、世論にドイツの歴史的責任、道義的なまとまりが問題であることを意識させること、今日の世代の「罪」ではなく歴史に対する「今日の責任」が問題であり、犠牲者に関心を持ち、過去が今日の現実を形成していることを自覚すること、政党間の意見対立の問題ではなく、他の政党、政治勢力や企業に行動を共にするように誘うこと、まずは近くの内外の「同盟相手」と関わり、企画に対する「敵」とも関わっていくこと、などである。

(「記憶・責任・未来」財団と未来基金)

財団の特徴についてみれば、大統領による公式の謝罪や財団法の前文には道義性が盛り込まれている。財団の管理委員会にはナチス体制で苦しんだ国々の代表者と重要な犠牲者機関の代表者も参加している。補償金の申請は、ドイツの部局によるのではなく国際的なパートナー機関によって受け付けられ、審査・決定される。国家間の対立などデリケートな問題の解決策を見出せるようになった。補償金は強制労働の度合いで支払われ、民族での差別はなく、パートナー機関での各国の特殊性に応じた決定を認めている。パートナー機関にはIOM(国際移住者機関)、JCC(ユダヤ人請求会議)、ポーランド「和解」財団、ロシア「相互理解と和解」財団、チェコ「未来」財団などがある。

財団は170万人の強制労働、ナチス犠牲者に対し49億1000万ユーロを、個人補償と人道的支援計画で支給した。このうち強制労働関係は166万人、47億ユーロとなる。個人補償の支給は2006年末に終了し、財団は「未来基金」の活動という新たな段階に入っている。2005年には強制労働をテーマにした展示会を内外で実施した。

 「未来基金」は記憶を維持し、生存する犠牲者の社会的状況を支援するものである。再発防止の視点から振興計画をつくり、少数者への差別の問題や極右の問題にも取り組んでいる。そのために継続して年約800万ユーロを準備している。被害者の側と加害者の側の記憶の文化を対話させる企画も始めた。出会いの企画では、若者が現地に行くものや、被害者にドイツに来てもらうものがある。ヨーロッパの共存のために、国際理解や人間と少数者を守るために、歴史から教訓を引き出す国際的な企画をすすめている。また、強制労働の犠牲者の名誉回復をすすめている。

基本的なテーゼは、国家の不正による犠牲者にある国家とある社会がどう対峙するのかは、不正の歴史的取り組みがどの文化的段階に達しているのかの尺度となる、ということだ。不正との取り組みは終わらず、ヨーロッパ全体の問題となっている。それはヨーロッパのアイデンティティ形成につながる。

歴史的な不正とのたたかいには道義がある。目標実現にむけて皆さんを心から支援する。がんばってください。


 以上が講演内容の要約である。この講演を受けて、会場からは多くの質問がだされた。その回答のなかで、申請者数が200万人であること、600人のインタビューの映像化、具体的には98カ国に及ぶ被害者への補償があり、日本でも3人が補償されたこと、2007年に最終報告書が出たこと、強制売春や人体実験被害者も補償されたことなどがわかった。

ドイツの経験からは学ぶことが多く、日本での強制労働被害者補償基金の形成に向けて、数多くの課題が提示された講演会だった。            (竹内)