2009・6・28歴史修正主義の問題点を考える集い 主催人権平和浜松
集会を持ち、歴史教科書問題について問題提起をしました。
以下、報告から。
日本での歴史修正主義の問題点
歴史修正主義による歴史の歪曲が問題になっています。歴史修正主義について話すよりも他の史実を学んで話すほうが学習になります。
けれどもここではつくる会が作成した『教科書が大変です!』というパネル〔つくる会HP掲載〕をみながら、その問題点を考えてみたいと思います。
●「つくる会」作成のパネルから
古代史のパネルについてみれば、律令国家を肯定的に捉え、エミシ(蝦夷)の抵抗や農民の負担・窮状を記すことは誤りとしています。
エミシの抵抗について「聞いたこともないような朝廷への抵抗」と記し、古代史への無知を自ら記しています。エミシの抵抗や農民の負担の視点から律令国家を見ようとはしません。渡来人への評価もありません。
中世史のパネルではモンゴル襲来への武士団の抵抗の記述を「国難に身を以て当たった」視点で記すべきとしています。また、正長の土一揆の記載を「階級闘争史観」と記しています。
武士団のさまざまな利害関係を捨象されます。また下剋上の時代での自治とそれを基礎とした一揆を評価する視点もありません。歴史の捉え方が旧来のものであり、進化していません。
近世史のパネルでは秀吉の「朝鮮侵略」という表記について「隣国を侵略しましたと堂々と書く国がどこにあろうか」と記しています。李舜臣の記述については韓国の立場で書かれていると非難しています。
物事は多角的に記されるべきですし、出兵から侵略へと記述が変わったことに問題はありません。戦争は一時ですが、有田焼のように文化は永遠に残ります。
近代史のパネルでは、民権運動の絵があることを問題にし、政府対人民、天皇対民衆という図式であるとしています。
天皇や政府との一体化を示すことが歴史教育であるということなのでしょう。対立構造を否定しているわけです。このような捉え方には近代の社会契約説への理解さえありません。
さらにパネルでは、与謝野晶子の詩については私情を肯定し国家を否定する方向に生徒を誘導するもの、韓国の保護国化は朝鮮からの強い要望によるもの、第2次大戦での加害の記述は「自虐的」、この戦争はアジア独立のためのもの、朝鮮人や台湾人は日本人であったから強制連行はなかった・・・等の記述が続きます。戦争批判は「日本に愛情と誇りをもてる子供」が育たないというのです。
けれども、命を大切にし、隣人を思うという姿勢こそが愛情や誇りの基礎でしょう。自己に都合よくものごとを決め付けてしまう行為は恥ずかしいものです。その意味ではこのような表記は学校でイタヅラをして叱られる子どもが「僕だけじゃない」「僕ばっかり」と自己を正当化する言い訳のようなものです。マチガイはマチガイなのです。
現代の課題のパネルでは、戦後補償問題の写真の提示を、隣国の被害者の訴えに名を借りた「プロパガンダ」と記しています。これでは未来に向けての「希望」が抱けないというのです。
しかし、国際社会の中でこの問題を解決する力が希望を形成するのではと思います。
パネルではさらに次のように歴史教科書を批判しています。
共産主義の幻想による記述、おじいちゃんを人殺し扱い、日本を獣のような侵略国家にしている、英雄が大悪人にされている、近代国家の建設を冷笑している、原爆投下は日本のせいにされている・・・等。総じて、「反日・自虐」の歴史観であり、「左翼と過激派」に支持されているものと決め付け、「奪われた歴史を取り戻す」としているわけです。
●歴史教育について
さて、歴史を学ぶとは、その時代の出来事を多角的な視点で考える作業です。決め付けて刷り込むものではありません。批判的な判断力が必要ですし、行間を読む力が求められます。教材はそのためにあります。
いくつかの教材を紹介しましょう。
たとえば、アイヌ民族については、北海道は独自にテキストを作成し、啓発しています。このようなアイヌ民族についての理解が教科書にも反映されるようになりました。靖国の遊就館の冊子をみると、満州事変については日本軍が鉄道爆破をおこなったとは記していません。記すべき原因を記さずに戦死者を神とするこのありようが教材です。当時のポスターがあります。小学生の行進、中国での日本軍の布告のものなどを見れば、当時の子どもたちの内面、布告を示された側の思いなどを考えることができます。奴隷制度を記した絵本にはもし奴隷を鞭打つことで評価されるという状況であなたは鞭打つことを止めるだろうか、という問いもあります。このような問いかけは良いものだと思います。
最近、韓国の高校近現代史の教科書が翻訳されました。読んでいくと、韓国での民主化がすすむ中で、さまざまな群像が再評価され子どもたちに提示されてきていることが分かります。韓国の独立記念館の作成した映像などを見てもそれを感じます。たとえば間島など朝鮮周辺での人々の活動が調査され、提示されるようになりました。
つくる会のパネルには、昭和天皇のコラムがあり、彼の戦争終結時の短歌と地方を回ったときの「あっそう」のことばが紹介されています。彼は君主の責任を感じる人物であり、「あっそう」に素朴さと真心が含まれているというのです。
このようなコラムを読んでいると、戦時に検挙されて病んでなくなった鶴彬の短詩が浮かびます。「万歳とあげて行った手を大陸へおいて来た」「屍のゐないニュース映画で勇ましい」「胎内の動き知るころ骨がつき」。コラムで伝えたいのはこのような時代と歴史を切り取った彼の批評精神です。彼の生まれた町には「枯れ芝よ!団結をして春を待つ」の句碑があるといいます。
おわりに
奪われてきた歴史を取り戻すとは、私たち自身が、人間の尊厳への理解を深め、平和的な社会を形成していくことだと思います。無名の人々の歴史を調べ、その活動や思いを見つめることも大切な作業です。
歴史を取り戻す、それは過去の歴史を都合よく正当化して「日本への誇りや愛情」を刷り込むことではないと思います。それはたとえば、鶴彬の歴史を語り伝えることであると思います.。