2009「平和の灯を!ヤスクニの闇へ キャンドル行動」

 

●「平和の灯を!ヤスクニの闇へ キャンドル行動」

 200988日午後、東京で「平和の灯を!ヤスクニの闇へ キャンドル行動」による集会とデモがとりくまれた。集会では、靖国合祀に反対する遺族のアピールや平和コンサートがおこなわれた。

 韓国の李熙子さんは、父が中国戦線に連行されて死亡し、靖国に合祀されていることに対し、「靖国側はどこで死んだのかも知らせずに、解放された民族を日本人名のまま、侵略した側の靖国神社に今も合祀している。遺族が合祀の取り止めを求めても止めない」とし、育ててくれた祖母の愛情が自身の生きる力になったことを語った。そして、遺族の辛い訴えを無視する日本政府と靖国神社の態度を批判し、「霊璽簿」から名前を消すことを求めた。

 熊田郁子さんは、父が40歳で徴兵されて沖縄戦に動員され、輸送途中で戦死したことについて話した。日本は兵役年齢を45歳にまで引き上げて戦争動員をおこなった。戦争を批判していた父も徴兵され、空襲で家も焼かれた。熊田さんは、「何も知らぬままヤスクニの神にされている朝鮮や台湾の人々の悲憤を思うべき」とし、「ヤスクニは欺瞞、誰が祀られて喜ぶのか」、「戦死者は千の風になって遺族の上にあるもの」と語った。

 台湾の張嘉hさんと張雅舜さんは、タイヤル民族に対する日本の戦争動員と靖国への合祀の実態を話し、その合祀の取り止めを求めた。母親の実家には叔父1人しかいない。それは4人兄弟のうち3人が「高砂義勇隊」に動員され、南洋に送られて帰ってこなかったからだ。そのうち2人は「有村健三」「有村武夫」の名で靖国に合祀されていた。2人は「母は加害者と被害者の魂を同じところに合祀すべきではないという。この母の決意を受け継ぎ、『反靖国・還我祖霊』の闘い進めたい」と語った。

 会場では台湾の先住民族への侵略と動員、反靖国の闘いを示すパネルが展示され、その冊子『日帝植民地下の台湾原住民』も配布された。この冊子には占領への抵抗闘争への殺戮、皇民化と戦争動員による殺傷、反合祀の運動が示されている。それは日本による2世代に渡る略奪と殺戮を示すジェノサイドの記録であ利、そのような状態からの解放を求めるものである。この間、先頭に立って台湾先住民族による反靖国の闘いをすすめてきたチワスアリ(高金素梅)さんも「靖国NO!」をアピールした。

 中国人強制連行の被害者聯合会の中国人70人も浅草での合同慰霊祭を終えて集会に参加し、代表して王紅さんが集会で、謝罪と賠償、道義の実現を訴えた。

 証言とともに、月桃の花歌舞団、生田卍、寿、金元中、孫炳輝、権海孝、飛魚雲豹音楽公団などが次々に演奏し、命と平和、共同へのメッセージを伝えた。

 集会ののち、キャンドルデモがおこなわれた。デモは3集団に分かれ、第1集団は実行委員会を中心とする日本人、第2集団は台湾先住民族・連行中国人遺族、第3集団は韓国からの参加者で構成された。キャンドルが闇夜に光り、「合祀を取り消せ!」「ヤスクニNO!」「新たな英霊を作るな!」のコールが響いた。それに台湾の平和の灯のオブジェと中国語の力強いコールが続き、韓国からの参加者が会場で作成した大きな横断幕が、夏風に揺れた。

 孫炳輝の歌に「キャンドルの灯」がある。これはソウルでのBSE問題のキャンドル集会のなかでできた歌であるが、その歌詞は反ヤスクニの行動にもあう。

キャンドルの光は悲しみと怒りの表現であり、不正と暴力への抗議の灯である。「消えそうな小さな灯」であっても、その光の海は、「傲慢な暴力の帝国」の歩みを止め、民衆の正義の実現への熱い想いを示すものだ。

 

●中国人強制連行・慰霊と公道を求める8月行動

このキャンドル行動がおこなわれた8月8日の午前には、浅草の本久寺で「世界平和祈願・中国人俘虜殉難者慰霊法要」がもたれた。さらに8月9日には連行中国人死者を追悼する6830足の靴の展示、10日には決起集会と国会デモも取り組まれた。

花岡事件での中国人遺骨の発掘は1949年に始まり、2009年はそれから60年目にあたる。1950年には浅草・東本願寺で花岡殉難者の追悼会がもたれ、1953年には浅草・東本願寺で中国人俘虜殉難者合同慰霊祭がもたれ、第1回目の遺骨も送還された。この遺骨送還の運動は日中友好運動の原点になっている。

1990年代になってこの強制連行への個人賠償の要求が高まったが、日本の最高裁は2007年4月、西松建設中国人連行の判決において、日中共同声明で個人請求権は消失したとし、中国人被害者の請求を棄却した。いまも被害者の尊厳は回復されていない。

今回の8月行動は、このような情勢のなかで結成された強制連行受害労工聯誼会やこの聯誼会連合を支える会を中心に取り組まれ、中国からは受害労工聯誼会の連行被害者も含む遺族70人ほどが参加した。法要には中国側からも僧侶が参加し、中国大使も参列した。

法要では日中友好宗教者懇話会の吉田さんが開会のあいさつで、遺骨発掘から60年にあたり大舘現地の慰霊祭に参加して被害状況を見聞したが、それは「語るも涙、聞くも涙」であり、法要開催について生存者・遺族からの要請があったことなどを話した。
 読経のなか参加者による焼香がおこなわれた。その間、遺族は合掌した。時に目を閉じ、嗚咽がもれる。その時間は父親を奪われた後の70年が凝縮されたものだった。

最後に、遺族を代表して長崎・三菱崎戸炭鉱に連行されて原爆死した喬書春さんの遺族・喬愛民さんが挨拶をした。喬さんは4歳の時に父が連行され、家族は物乞いの生活を強いられ、まる1日食事が取れなかった日もあったこと、母は労苦で口が歪み、生涯直らなかったことなどを、涙とともに話した。そして、この血の債務を取り戻し、加害企業と日本政府に賠償させ、すべての犠牲者の霊を慰めたいと語った。

午後のキャンドルデモでの中国人遺族の力強いコールは、このような遺族の尊厳回復を求める強い想いに裏打たれたものであった。

当初、法要会場は浅草寺であったが、様々な圧力のなかで数日前に本久寺に変更され、当日の追悼行進は中止された。夜のキャンドルデモに対しては、右翼団体が宣伝カーや日の丸の集団で妨害を狙った。過去の強制労働被害の尊厳回復は今も解決されず、靖国につながる戦争賛美の志向は右翼暴力を伴って現実に存在する。被害者を罵倒する行為が公然とおこなわれ、追悼行事の会場さえ確保が困難なのである。このような闇を撃つ民衆の運動がいっそう求められる。  (T)