飛行第12大隊による中国での爆撃(1931〜1933)
年月日 爆撃先 爆撃目標 拠点
1931・11 満州侵略により浜松から飛行第7大隊第3中隊(軽爆)を編成、大刀洗・蔚山を経て奉天へ 浜松・奉天
1931・11・24 湯崗子 太子河渡河中の抗日部隊
1931・11・27 北寧鉄道・大虎山 抗日部隊
1931・12 浜松から重爆中隊・飛行第6大隊第1中隊の派兵 周水子
1931・12 遼陽・大石橋間 湯崗子ほか(〜1月)
1931・12・25 装甲列車 大石橋
1931・12・29 盤山 市内抗日部隊
1931・12・30 通遼 (重爆機による・1・8浜松へ帰還) 奉天西
1931・12 溝?子 抗日軍・兵舎・駅東南
1931・1・24 大虎山 抗日軍
1932・2・6 ハルピン 陣地・抗日部隊  (2.10奉天へ帰還) ハルピン
1932・2・19 巴彦 抗日司令部 ハルピン
1932・2・20 枷板站 抗日部隊 ハルピン
1932・3・18 五虎林・哈家屯 抗日部隊(中国国民救国軍・〜3・19) 寧安
1932・4・1 方正 市街・東門 抗日部隊・司令部
1932・4・7 依蘭 司令部 ・無線電信所     方正
1932・5・28 ハルピンへ ハルピン
1932・5・30 ハルピン・阿城 北方正紅旗の抗日軍
1932・6・7 ハルピン 五常鎮
1932・6・5 浜松から重爆1中隊を派兵、軽爆中隊とあわせて飛行第十二大隊を編成へ 新京
1932・6・16 黒竜江 間三門宗家の抗日軍
1932・8 錦州付近 大蘆花廟山岳の抗日軍 錦州
1932・8 錦州付近 老爺嶺山地の抗日軍 錦州
1932・9 東辺道 軽爆隊による太刀会等の抗日軍(遼寧民衆自衛軍)攻撃 奉天・山城鎮・鳳凰城
1932・9・11 東辺道 前七台集落の抗日軍
1932・9 皇姑屯 民家の誤爆
1932・10・15 ハイラル 蘇炳文部隊(東北民衆救国軍)が奪った輸送機
1932・11・6 納河県 電信局
1932・11.10 嫩江 右岸の腰庫勤城壁の抗日軍
1932・11・12 拝水・明水 チチハル東方抗日部隊
1932・11・28 興安嶺〜ハイラル 鉄道(〜12・3) チチハル
1932・11 東辺道 帰順部隊への誤爆
1932・12・1 博克図・景県 列車・抗日部隊(〜3) チチハル
1932・12・3 ハイラル 製粉工場 チチハル
1933・1・1 牡丹江へ  第10師団の支援   1・24新京へ 牡丹江
1933・1・22 開魯 ケ文宿舎 通遼
1933・2・20 熱河作戦により錦州へ 錦州
1933・2・25 大営子・太平房 中国軍
1933・3・2 承徳西 中国軍
1933・3・4 承徳西 中国軍
1933・3・5 対杖子 付近の中国軍
1933・3・12 古北口 南方の中国軍
1933・3・16 喜望口 西方の望楼の中国軍
1933・3・23 建昌営 爆撃
1933・3・30 冷口 八道河付近の中国軍
1933・4 関内へ、長城を越えて空爆
1933・4・8 喜望口 南方・撤河橋陣地
1933・4・11 永平 西方樂河橋梁
1933・4・13 開始頭営 市街の中国軍
1933・4・18 密雲 市街地
1933・4・23 南天門付近
1933・4・27 軽爆を承徳へ。 重爆は綏中・戦闘支援、5・9建昌へ 承徳・綏中
1933・5・11 新開嶺 中国軍
1933・5・12 三樂河対岸 陣地
1933・5・13 永平 西方三家唐付近の中国軍 建昌
1933・5・15 遵化 中国軍
1933・5 豊潤 中国軍陣地
1933・5・25 この頃玉田飛行場に展開 玉田
1934・11 飛行第12連隊の編成へ、12・17浜松から重爆2中隊(第2大隊へ)を派兵飛行12大隊を第1大隊とする。のち軽爆隊は飛行第16連隊となリ、牡丹江へ。 公主嶺
参考文献
戦史叢書
飛行第十二大隊満州写真集
伊澤保穂『日本陸軍重爆隊』徳間書店1982年