飛行第12戦隊による空爆 | |||
年月日 | 爆撃先 | 爆撃目標・行動 | 拠点基地 |
1931・11 | 満州侵略にともない、浜松から飛行第7大隊第3中隊(軽爆)を編成、大刀洗・蔚山を経て奉天へ | 浜松・奉天 | |
1931・12末 | 錦州周辺 | 抗日部隊 | 大石橋 |
1932・2 | ハルピン | 抗日部隊 | ハルピン |
1932・4 | 方正・依蘭 | 抗日部隊 | 寧安 |
1932・6 | 浜松から重爆1中隊を派兵、軽爆中隊とあわせて飛行第12大隊を編成へ | 新京・公主嶺 | |
1932・8 | 錦州付近 | 抗日軍 | 錦州 |
1932・9 | 東辺道 | 抗日軍 | 奉天 |
1932・11 | 拝泉・明水 | 抗日軍 | チチハル |
1933・1 | 開魯 | 抗日宿舎 | 通遼 |
1933・2 | 熱河 | 中国軍 | 錦州 |
1933・3 | 承徳・建昌など | 中国軍 | |
1933・4・18 | 密雲 | 市街 | |
1933・5 | 遵化・豊潤など | 中国軍 | 建昌 |
1934・11 | 飛行第12連隊の編成へ。12・17浜松から重爆2中隊を派兵(第2大隊へ)、飛行12大隊を第1大隊とする。 | 公主嶺 | |
1935・12 | 飛行第12連隊から第2大隊の軽爆を分離して飛行第16連隊(牡丹江)を編成。 | ||
1937・7・9 | 盧溝橋事件にともなう開戦により、公主嶺から錦州へ、7・11連隊長は独断で天津へとすすむ。 | 天津 | |
1937・7・26 | 郎坊 | 兵舎 | 天津 |
1937・8・21 | 張家口 | ||
1937・9・21 | 太原 | 飛行場 | 張北 |
1937・9・22 | 太原 | 張北 | |
公主嶺へもどる | 公主嶺 | ||
1938・8・5 | 飛行第12連隊第1大隊から飛行第12戦隊を、第2大隊から飛行第58戦隊を編成。 | 公主嶺 | |
1938・9・21 | 公主嶺から彰徳へ | 彰徳 | |
1938・9・30 | 信陽・鄭州 | 付近 | 彰徳 |
1938・10・ | 京漢線南部・龍海線西部 (信陽への侵攻を支援) | 彰徳 | |
1938・10・1 | 氾水 | 付近 | |
1938・10・2 | 鞏県 | 停車場 | |
1938・10・3 | ?池 | 市街 | |
1938・10・4 | 洛陽 | 市街 | |
1938・10・13 | 遂平 | 市街 | |
1938・10・14 | 確山 | 市街 | |
1938・10・17 | 許昌 | 鉄道 | |
1938・10・18 | 南陽 | 市街 | 彰徳 |
1938・11・14 | 蘭州 | 飛行場・軍施設(陸軍重爆初の蘭州爆撃) | 包頭 |
1938・11・17 | 五原 | 市街・兵営 | |
1938・11・19 | 神木 | ||
1938・12・29 | 龍陽 | 市街 | |
1938・1・6 | 商城 | ||
1939・1・7 | 重慶 | 推測爆撃 | 漢口 |
1939・1・10 | 重慶 | 市街 | 漢口 |
1939・1・15 | 重慶 | 市街・要地 | 漢口 |
1939・2・12 | 靖遠 | 市街 | 運城 |
1939・2・20 | 蘭州 | 市街・西飛行場 | 運城 |
1939・2・23 | 蘭州・平涼 | 市街 | 運城 |
1939・2・27 | 韓陽鎮対岸 | 砲兵陣地 | 運城 |
1939・2・28 | 韓陽鎮対岸 | 砲兵陣地 | 運城 |
1939・3・6 | 延安 | 軍官学校 | 運城 |
1939・3・7 | 平涼・西安 | 市街 | 運城 |
1939・3・9 | 臨憧・ | 運城 | |
1939・3・12 | 洛陽 | 市街 | 運城 |
1939・3・13 | 清豊 | 運城 | |
1939・3・14 | 宝鶏 | 運城 | |
1939・3・15 | 西安 | 飛行場 | 運城 |
1939・3・18 | 清豊 | 運城 | |
1939・3〜4 | 山西省山岳等(30派) | 抗日拠点集落等 | 彰徳 |
1939・3・29 | 陽城 | 彰徳 | |
1939・3・31 | ?安 | 市街 | 彰徳 |
1939・4・2 | 陽城・西安 | 市街 | 彰徳 |
1939・4・4 | 襄垣 | 市街 | 彰徳 |
1939・4・5 | 渉県 | 市街 | 彰徳 |
1939・4・6 | 楡社 | 市街 | 彰徳 |
1939・4・8 | 南陵場・渉県・姚村集・大菜園 | 市街 | 彰徳 |
1939・4・9 | ?安 | 彰徳 | |
1939・4・10 | 林県 | 城外 | 彰徳 |
1939・4・10 | 夏城 | 彰徳 | |
1939・4・11 | 屯留 | 市街・兵営 | 彰徳 |
1939・4・24 | 密県 | 彰徳 | |
1939・4・25 | 平順 | 市街 | 彰徳 |
1939・4・27 | 垣曲 | 対岸渡船 | 彰徳 |
1939・4・29 | 洛陽 | 飛行場 | 彰徳 |
1939・4・30 | ?安・?城 | 兵営・市街 | 彰徳 |
1939・5・8 | 公主嶺へもどる | 公主嶺 | |
1939・6・18 | 平安鎮へ・6・26ハイラル西飛行場へ | 平安鎮・ハイラル | |
1939・6・23 | ハルハ渡河点・コマツ台等 | 偵察・車両部隊爆撃 | ハイラル |
1939・6・27 | タムスク西飛行場 サンベース市街 |
ハイラル | |
1939・6・28 | ハルハ河畔(〜7・2) | ハイラル | |
1939・7・3 | ハルハ河左岸 | 軍車両 | ハイラル |
1939・7・7 | ハルハ河渡河点 | 橋梁 | ハイラル |
1939・7・8 | コマツ台 | 砲兵陣地 | ハイラル |
1939・7・8 | ハルハ河左岸 | 軍車両 | ハイラル |
1939・7・9 | コマツ台 | 砲・高射砲陣地 | ハイラル |
1939・7・9 | ハルハ河左岸 | 高射砲陣地 | ハイラル |
1939・7・25 | 公主嶺へ戻る | 公主嶺 | |
1940・夏 | 97重Tに改編 | ||
1941・2 | 27機編成へ、日本への航法訓練、公主嶺から福生を経て浜松へ | ||
1941・3 | シンガポール攻撃を想定しての陸海共同訓練、12戦隊は群山で訓練 | ||
1941・5 | 97重Uに改編(各務原)・7月関特演へ | 各務原 | |
1941・8・20 | 華北に派兵 | 運城 | |
1941・8・28 | 鳳翔 | 運城 | |
1941・8・29 | 保寧 | 市街 | 運城 |
1941・8・30 | 重慶 | 市街 | 運城 |
1941・8・31 | 蘭州 | 市街 | 運城 |
1941・9・4 | 韓城・朝邑・華陰 | 運城 | |
1941・9・12 | 西安 | 運城 | |
1941・9・21 | 南京から嘉義をへて広東へ(9・29) | 天河(広東) | |
1941・9・28 | 韶関・南雄 | ||
1941・9・29 | 衡陽・椰県 | 停車場 | 天河 |
1941・9・30 | 衡陽 | ||
1941・10・6 | 韶関 | ||
1941・10・23 | 韶関 | 天河 | |
1941・11・16 | 韶関 | ||
1941・12・6 | プノンペンへ(移動で36機中11機を失う) | プノンペン | |
1941・12・8 | スンゲイパタニ | 飛行場・燃料集積所等 | プノンペン |
1941・12・9 | ビクトリアポイント | プノンペン | |
1941・12・11 | ジョージタウン(ペナン島) | 市街 | プノンペン |
1941・12・13 | メルギー(ビルマ) | 飛行場 | プノンペン |
1941・12・18 | ジョージタウン | 市街 | プノンペン |
1941・12・23 | ドムアンへ | ドムアン(バンコク) | |
1941・12・25 | ラングーン | 発電所 | ドムアン |
1941・12・30 | アロルスターへ | アロルスター | |
1942・1・12 | シンガポール | 雲上爆撃 | アロルスター |
1942・1・15 | シンガポール | 市街中枢 | アロルスター |
1942・1・15 | バトパパ | 地上軍支援 | アロルスター |
1942・1・17 | バカンバル(スマトラ) | 飛行場 | アロルスター |
1942・1・18 | シンガポール | ロ地区 | アロルスター |
1942・1・20 | シンガポール | セレター飛行機組立工場 | アロルスター |
1942・1・21 | シンガポール | テンガー飛行場 | アロルスター |
1942・1・23 | シンガポール | セレター飛行場 | アロルスター |
1942・1・25 | シンガポール | コタチンギ付近司令部 推測爆撃 | アロルスター |
1942・1・27 | シンガポール | カラン飛行場 | アロルスター |
1942・1・28 | シンガポール | 市 | アロルスター |
1942・1・30 | シンガポール | 市街・ | アロルスター |
1942・1・31 | シンガポール | 市 セレタ飛行場 | アロルスター |
1942・2・2 | シンガポール | 市埠頭 | アロルスター |
1942・2・3 | シンガポール | 市埠頭・艦船 | アロルスター |
1942・2・4 | シンガポール | リ地区・公園付近陣地 | アロルスター |
1942・2・7 | シンガポール | カラン飛行場・パンジャール要塞・チャンギ等 | クルアン |
1942・2・8 | シンガポール | タ地区陣地 マンダイ | クルアン |
1942・2・9 | シンガポール | マンダイ・テンガー・東陣地 | クルアン |
1942・2・10 | シンガポール | パンジャン三叉路 | クルアン |
1942・2・11 | シンガポール | ロ地区埠頭・大型輸送船 | クルアン |
1942・2.12 | シンガポール | チャンギー要塞地帯砲台 要塞北地区ブオナービスタ東方重砲兵陣地 | クルアン |
1942・2・13 | シンガポール | エンパイヤドック西方重砲陣地 ロータリー西南2キロ墓地の砲兵陣地 市イ・ロ地区埠頭の高射砲陣地・倉庫群 |
クルアン |
1942・2・14 | シンガポール | い地区砲兵陣地・エンパイアドック西北砲兵陣地 | クルアン |
1942・2・15 | シンガポール | ブランカマチ島要塞・高射砲陣地 | クルアン・アロルスタ |
1942・3・12 | スマトラ・イジ上陸部隊の援護飛行・ 3・17ビルマ侵攻に向けタイ・ランパーンヘ |
アロルスター・ ランパーン |
|
1942・3・19 | パンパカアエーン | 飛行場(濃霧のため標定不能) | ランパーン |
1942・3・21 | マグウエ | 飛行場(推測爆撃) | ランパーン |
1942・3・22 | マグウエ | 飛行場 | ランパーン |
1942・3・24 | アキャブ | 飛行場 | ランパーン |
1942・3・28 | タンギー・ロイレン | パンパカーエン飛行場・へホ飛行場 | ランパーン |
1942・3・29 | ロイレン | 北飛行場 | |
1942・3・31 | ラシオ | 貨物駅 | ランパーン |
1942・4・2 | サジ | 市街 | ランパーン |
1942・4・3 | マンダレー | 市街・停車場 | ランパーン |
1942・4・8 | メイミョー | 市街 | ランパーン |
1942・4・9 | マウクマイ | 市街 | ランパーン |
1942・4・10 | タウンギー | 市街・燃料倉庫 | ランパーン |
1942・4・13 | ケンタン | 市街 | ランパーン |
1942・4・25 | ミンガラドンへ | ミンガラドン | |
1942・4・26 | シバウ・ゴックテーク | 市街 | ミンガラドン |
1942・4・27 | シウエボ | 市街 | ミンガラドン |
1942・4・28 | ロイウィン | 東飛行場 | ミンガラドン |
1942・4・29 | シェウボ | 市街 | ミンガラドン |
1942・5・1 | キタ | 市街 | ミンガラドン |
1942・5・2 | ティング・ キャクティーン | 市街・停車場 | ミンガラドン |
1942・5・3 | アキャブ | 市街 | ミンガラドン |
1942・5・4 | 保山 | 市街 | ミンガラドン |
1942・5・5 | 保山 | 市街 | ミンガラドン |
1942・5・6 | カーサ | 市街 | ミンガラドン |
1942・5・8 | チッタゴン | 飛行場 | ミンガラドン |
1942・5・9 | チッタゴン | 飛行場 | ミンガラドン |
1942・5・10 | インパール | 市街 | ミンガラドン |
1942・5・16 | インパール | 市街 | ミンガラドン |
1942・5・17 | シルチア | 市街 | ミンガラドン |
1942・5・18 | シルチア | 市街 | ミンガラドン |
1942・11・18 | 5月末、ランパーン経由クルアンへ(マレー)、夜間訓練・航法訓練 八月下旬スラバヤへ・ 1中隊ごとにアンボン島を拠点に哨戒(〜1943・3)。 9・10武装改装のため各務原へ、9・20帰還 9・25・アロルスターに移動、 11・18シンガポールからジャワ・スラバヤへ、ラハに進み、オーストラリア海域の哨戒 |
クルアン・ アロルスター・ スラバヤ |
|
1942・11・25 | セレベス・ケンダリーに移動、ポートダーウィン攻撃を予定するが中止、11・28スラバヤへ | ||
1943・3・7 | スラバヤからジャカルタを経てアロルスターへ、3・18レグへ・ビルマ周辺作戦(〜6月) | アロルスター | |
1943・3・21 | フェンニー(インド) | 飛行場 | |
1943・3・25 | フェンニー・ドハザリ | ||
1943・4・1 | フェンニー | ||
1943・4・6 | アコーラ | ||
1943・4・11 | モンドウ | ||
1943・4・20 | インパール | ||
1943・4・21 | インパール | 市街 | |
1943・4・28 | 昆明 | ||
1943・5・15 | 昆明 | 飛行場 | ヘホ |
1943・6 | アロルスターからスマトラ・メダンへ、パダンで哨戒 | ||
1943・10 | メダンからアロルスターへ、ドムアン・トングーを前進拠点としてインドアッサム地区の攻撃へ(カルカッタ空爆の前の訓練中に「インド義勇軍」を周辺に投下) | ||
1943・10・20 | チッタゴン | 港 | |
1943・10・25 | コックスバザー | 港 | |
1943・12・5 | カルカッタ | キタポール・ドッグ・ | |
1943・12・26 | チッタゴン | 埠頭港湾 | |
1943・12・30 | ラムレー島付近 | 艦船 | レグ東 |
1944・1 | アロルスターからビルマ・レグへ、哨戒・ビルマ周辺攻撃 | レグ | |
1944・2・6 | ボリバザー | (アキャブ正面の陽動) | |
1944・2・9 | ナケドーク | ||
1944・2・10 | ボリバザー | ||
1944・3 | インパール作戦支援、シエボに前進 | ||
1944・3・8 | レド | 推測爆撃 | |
1944・3・18 | モーニン | 飛行場 | |
1944・4・4 | インパール | ||
1944・4・9 | インパール | 北飛行場 | |
1944・4・17 | パレル | 飛行場 | |
1944・5・5 | ラム(コックスバザー東) | 飛行場 | |
1944・5・10 | インパール | ||
1944・5・25 | ミートキーナ | ||
1944・5・29 | シュウエボ資材投下 | ||
1944・7・ | レグからサイゴン、ボルネオ・ラブアンを経てフィリピン・クラークへ、のちサンダカンへ。跳飛弾攻撃訓練 | クラークフィールド | |
1944・8・12 | ソリド(ビアク島) | 飛行場 | ナムレア |
1944・10・9 | 9月、62戦隊と雁部隊編成、 ヌンホル島攻撃 |
||
1944・10・11 | モロタイ付近 | ||
1944・10・24 | 雁部隊・レイテ湾へ(4機とも墜落) | 艦船 | クラークフィールド |
1944・10・25 | 雁・レイテ攻撃 | ||
1944・10・31 | レイテ島ダラック | 飛行場 | ポーラック(ルソン) |
1944・11・4 | セレベス・ケンダリーへ、モロタイ攻撃 | ケンダリー | |
1944・11・5 | モロタイ | ケンダリー | |
1944・11・7 | モロタイ | ケンダリー | |
1944・11・9 | サンサポール(ニューギニア) | ナムレア | |
1944・11・12 | モロタイ | ケンダリー | |
1944・11・14 | モロタイ | ケンダリー | |
1944・11・22 | モロタイ | ナムレア | |
1944・11・23 | モロタイ | ケンダリー | |
1944・11・25 | モロタイ | ||
1944・11・27 | モロタイ | ||
1944・11・29 | モロタイ | アンベシア | |
1944・12・5 | モロタイ | ||
1944・12・7 | モロタイ | ||
1944・12・9 | モロタイ | ||
1944・12・14 | モロタイ | ||
1944・12・16 | モロタイ | ||
1944・12・19 | モロタイ | ||
1944・12・22 | モロタイ | ||
1944・12・24 | モロタイ | ||
1945・1・8 | モロタイ | ||
1945・1・11 | ケンダリーからフィリピン・マランへ | マラン | |
1945・3・22 | ビアク島 | ||
1945・4 | マランからカリジャッジへ | カリジャッジ | |
1945・6・4 | ビアク島 | ||
1945・6・17 | ブルネイ周辺 | スラバヤ | |
1945・7 | カリジャッジからテンガー、コンポンクーナンをへて屏東へ7・10着 (群馬・新田への後退準備中に敗戦)、ジャワ・カリジャッティ、ボルネオ・サンダカン、シンガポールに残地隊 |
屏東 | |
参考文献 | |||
『陸軍航空の鎮魂総集編』航空碑奉賛会1993年 | |||
『飛行第12戦隊中国要地写真帳』『飛行第12戦隊写真帳』(防衛研究所図書館蔵) | |||
飛行第12戦隊戦友会『無題の便り』1〜33 1955〜1993年 | |||
飛行第12大隊『満州事変記念写真帖』 | |||
伊澤保穂『日本陸軍重爆隊』徳間書店1982年 | |||
粕谷俊夫『山本重爆隊の栄光』二見書房1970年 |