飛行第14戦隊による爆撃(1937〜38) | |||
1936・12・1 | 台湾嘉義で飛行第14連隊設立・浜松から要員派遣 | ||
1937・7・10 | 第14連隊から独立飛行第15中隊の編成・ | ||
1937・9・10 | 15中隊・上海王浜へ派兵、上海・南京戦へ投入 | 上海 | |
1938・8・31 | 飛行第14連隊へと改編、 独立飛行第15中隊は飛行第98戦隊へと改編 |
||
1940・7・13 | フランス領インドシナ侵攻にむけ、華南海口へ。 | 海口 | |
1941・3・15 | 福州方面 | 嘉義 | |
1941・3・20 | 台湾集結船団援護、嘉義から太刀洗へ | ||
1941・4・19 | 電光山・●清鎮 | 台北松山 | |
1941・4・20 | 湾口 | 付近の船 | |
1941・4・21 | 福州 | 威嚇飛行 | |
1941・5・15 | 金華 | 補給施設 | 大場鎮 |
1941・5・15 | 義烏 | 市街西部の軍司令部 | 大場鎮 |
1941・5・16 | 蘭谿 | 市街の補給施設 | 大場鎮 |
1941・5・17 | 玉山 | 増援部隊遮断・諸施設 | 大場鎮 |
1941・5・17 | 衢県 | 市街 | 大場鎮 |
1941・5・18 | 広信 | 市街軍施設 | 大場鎮 |
1941・5・18 | 広豊 | 西北郊外 | 大場鎮 |
1941・5・18 | 新昌 | 市街軍施設 | 大場鎮 |
1941・5・20 | 欽県 | 市街軍施設 | 大場鎮 |
1941・5・21 | 麗水 | 市街軍施設 | 大場鎮 |
1941・5・22 | 蘭谿 | 市街軍施設 | 大場鎮 |
1941・7・11 | 嘉義から広東を経て、海口へ | ||
1941・8・1 | 雷州半島 | 船舶 | 海口 |
1941・8・3 | 雷州半島 | 船舶 | 海口 |
1941・8・6 | 鳥石 | 港湾 | 海口 |
1941・8・11 | ハノイへ、8・13海口へ戻る。 | ハノイ・海口 | |
1941・8・20 | 福州撤退支援のため嘉義へ | 嘉義 | |
1941・8・24 | 古田 | 市街軍指揮拠点 | 嘉義 |
1941・8・27 | 小村・白済 | 第107師指揮拠点 | 嘉義 |
1941・8・28 | 東張 | 軍指揮拠点 | 嘉義 |
1941・8・30 | 東頭前 | 地上部隊 | 嘉義 |
1941・8・31 | 福清 | 軍指揮拠点 | 嘉義 |
1941・9・1 | 福清 | 周辺軍 | 嘉義 |
1941・9・2 | 福清 | 軍の前進阻止 | 嘉義 |
1941・9・3 | 福清 | 軍の前進阻止、9・4広東へ | 広東 |
1941・11・27 | 南方軍への動員令・潮州へ(フィリピン攻撃準備) | 潮州 | |
1941・12・8 | ルソン | バギオ米極東軍司令部 | 潮州 |
1941・12・10 | イバ | 飛行場 | 潮州 |
1941・12・13 | クラーク | 飛行場 | 潮州 |
1941・12・14 | デルカルメン | 飛行場 | 潮州 |
1941・12・15 | デルカルメン | 飛行場 | 潮州 |
1941・12・16 | 香港 | 東部要塞・付近軍施設 | 潮州・天河 |
1941・12・17 | 香港 | 址旗山要塞 | 天河 |
1941・12・18 | 香港 | 址旗山要塞 | 天河 |
1941・12・23 | 潮州からツゲガラオへ移動 | ツゲガラオ | |
1941・12・24 | リマイ・キャンプマーフィ・サブラン | 飛行場 | ツゲガラオ |
1941・12・27 | マニラ | ニコラス飛行場 | ツゲガラオ |
1941・12・29 | コレヒドール | 要塞 | ツゲガラオ |
1941・12・30 | マリベリス | 市街・港湾施設(バターン半島) | ツゲガラオ |
1941・12・31 | デナルピアン | 付近の自動車部隊 | ツゲガラオ |
1941・12・31 | オラニ | 市街 | ツゲガラオ |
1942・1・1 | デナルピアン | 付近高射砲陣地・地上部隊 | ツゲガラオ |
1942・1・1 | バランガ | 市街 | ツゲガラオ |
1942・1・2 | バガック | 市街 | ツゲガラオ |
1942・1・2 | スピック | 市街南部 | ツゲガラオ |
1942・1・4 | バガック | 市街 | ツゲガラオ |
1942・1・4 | スピック | 市街中央 | ツゲガラオ |
1942・1・5 | マリベリス | 市街・軍施設 | ツゲガラオ |
1942・1・5 | リマイ | ツゲガラオ | |
1942・1・6 | ツゲガラオから嘉義へ、1・16ハノイへ | 嘉義 | |
1942・1・17 | 蒙自 | ハノイ | |
1942・1・18 | 南寧 | 市外軍施設 | ハノイ |
1942・1・20 | ハノイからドムアン(バンコク)へ | ドムアン | |
1942・1・22 | モールメン | 飛行場・駅 | ドムアン |
1942・1・24 | ミンガラドン | 飛行場(全機撃墜される) | ドムアン |
1942・1・26 | ミンガラドン | 飛行場 | ドムアン |
1942・2・1 | ミンガラドン | 飛行場 | ドムアン |
1942・2・5 | レグ | 飛行場 | ドムアン |
1942・2・6 | ミンガラドン | 飛行場 | ドムアン |
1942・2・7 | ミンガラドン | 飛行場 | ドムアン |
1942・2・8 | ミンガラドン | 飛行場 | ドムアン |
1942・2・19 | マンダレー | 軍中枢・王宮 | ナコンサワン |
1942・2・22 | メイミョウ | 援蒋倉庫 | ナコンサワン |
1942・2・25 | ミンガラドン | 飛行場 | ナコンサワン |
1942・2・26 | ミンガラドン | 飛行場 | ナコンサワン |
1942・2・26 | ラングーン | 波止場 | ナコンサワン |
1942・3・5 | モールメン | 爆弾空輸 | ドムアン |
1942・3・6 | ミンガラドン | 飛行場 | |
1942・3・8 | ナコンサワンへ移動 | ナコンサワン | |
1942・3・16 | トングー | 市街 | |
1942・4・1 | ドムアン、サイゴン、海口、嘉義、那覇、太刀洗を経て福生へ、4・15着 (97重2型に改変)、5・27浜松で爆撃教育、6・9福生出発、マレー・ケチルへ | 福生 | |
1942・8・21 | 各務原航空廠で武装強化、9・13ケチル着 | ケチル | |
1942・10・1 | ビルマ戦線 | 〜10・22 | ケチル |
1942・10・20 | ケチルからトングーへ、10・24メークテーラへ(インド攻撃へ) | トングー | |
1942・10・25 | オークランズ | 飛行場 | メークテーラ |
1942・10・28 | オークランズ・ ディプルガール |
飛行場 10・30ケチルへ | メークテーラ |
1942・12・5 | チッタゴン | 港船団 | ケチル・トングー |
1942・12・20 | カルカッタ | ダムダム飛行場・パッシバッシ埠頭 | トングー |
1942・12・23 | カルカッタ | 市街埠頭 | マグウエ |
1942・12・24 | カルカッタ | キングジョージ船渠・貯油庫 | |
1943・1 | 南東太平洋方面作戦へ。1・13ケチルからシンガポールをへて天河へ、訓練整備。 |
天河 | |
1943・2〜3 | 2・3ジャカルタ、2・7マランへ。のちケンダリー、バボ、ウェークを経て3・2ココボ(ラバウル島)へ。 | ココポ | |
1943・3・9 | ワウ | 飛行場・時限爆弾 | ココポ |
1943・3・11 | ブナ | 飛行場 | ココポ |
1943・3・25 | オロ湾 | ココポ | |
1943・3・28 | オロ湾 | ココポ | |
1943・3・29 | オロ湾 | 港西集積所 | ココポ |
1943・5・15 | ワウ | 南飛行場東側施設 | ココポ |
1943・5・17 | ワウ | 南飛行場西側施設 | ココポ |
1943・5・24 | ブナ・マンバレー | ブナ飛行場 | ココポ |
1943・5・26 | ブナ | 飛行場 | ココポ |
1943・6・14 | ベナベナ | 飛行場 | ココポ |
1943・6・16 | ベナベナ | 飛行場 | ココポ |
1943・6・18 | オロ湾 | ココポ | |
1943・7・1 | ナッソウ湾 | 上陸地点 | ココポ |
1943・7・2 | レンドバ島 | ココポ | |
1943・7・4 | レンドバ島 | ココポ | |
1943・7・11 | ナッソウ湾 | 上陸地点 | ココポ |
1943・7・12 | ココポからウェーク東に3機を派遣〜7・30 | ウエーク | |
1943・7・14 | ナッソウ湾 | 上陸地点 | ココポ |
1943・7・18 | マンバレー湾 | 陣地 | ウエーク |
1943・7・21 | キリウイナ島 | 飛行場 | ココポ |
1943・7・21 | サガ河口 | 船舶 | ココポ |
1943・7・22 | サガ河口 | 地上部隊 | ココポ |
1943・7・23 | サラモア東南 | 小島 | ココポ |
1943・9・8 | ポポイ | 上陸地点 | ウエーク・アレキシス |
1943・9・9 | ポポイ | 上陸地点ブス川流域陣地 | ウエーク・アレキシス |
1943・9・10 | ポポイ | 上陸地点 | ウエーク・アレキシス |
1943・9・14 | ナッソウ湾 | 付近海上探索爆撃 | ウエーク・アレキシス |
1943・9・20 | マザブ | 飛行場 | マダン |
1943・9・21 | ファブア | 飛行場 | ウエーク |
1943・9・21 | ダンビール海峡 | 哨戒 | |
1943・9・25 | フィンシュハ―フェン・クレチン岬間 | 上陸地点 | ココポ |
1943・9・26 | フィンシュハ―フェン | 重砲陣地・飛行場 | マダン |
1943・9・27 | フィンシュハ―フェン | 上陸地点 | アレキシス |
1943・10・4 | 夜間攻撃隊ココポからウエークへ、10・9帰還 | ウエーク | |
1943・10・15 | アント岬付近 | 陣地 | アレキシス |
1943・11・6 | マザブ | 飛行場 | ウエーク |
1943・11・7 | マザブ | 飛行場 | ウエーク |
1943・11・23 | 濠北バンダ海方面へ、ココポからナムレア(ブルー島)へ、12・15マランへ | マラン | |
1944・1・15 | チモール・ラウテン、ハルマヘラ・ガレラ、ニューギニア・ソロン、パラオに展開、哨戒船団護衛、1・29ナムレアへ戻る | マラン | |
1944・3 | ハルマヘラ等 | 船団護衛・対潜哨戒 | |
1944・3・20 | ナムレアからクラークフィールドへ。3・21各中隊から数機パラワン・プエルトプリンセア、マニラ・ネルソン・アパリ、ルソン・ラオアグに展開、対潜哨戒。 | クラーク | |
1944・4・15 | クラークからアンへレスへ・船団護衛対潜哨戒 | アンへレス | |
1944・5・28 | パラワン島 | タイタイ村の抗日ゲリラ | ポートプリンセサ |
1944・7・7 | フィリピンから嘉義へ、花蓮港で跳飛弾攻撃訓練(浜松から教官)・哨戒飛行 | 嘉義 | |
1944・9・6 | キ67伝習教育(浜松)に一部参加 | ||
1944・10・1 | 杭州へ、夜間訓練。10・12台湾へ米軍空襲、10・21嘉義へ、 10・22クラークへ |
杭州 | |
1944・10・25 | レイテ湾 | 輸送船団 | クラーク |
1944・10・26 | レイテ島 | タクロバン飛行場 | クラーク |
1944・10・27 | レイテ島 | タクロバン飛行場 | クラーク |
1944・10・28 | レイテ島 | タクロバン飛行場 | クラーク |
1944・10・29 | レイテ島 | タクロバン・ドラッグ飛行場 | クラーク |
1944・10・31 | レイテ島 | タクロバン・ドラッグ飛行場 | クラーク |
1944・11・1 | レイテ島 | タクロバン・ドラッグ飛行場 | クラーク |
1944・11・2 | レイテ島 | ドラッグ・サンパブロ飛行場 | クラーク |
1944・11・3 | セレベスののピンラン飛行場へ(モロタイ島飛行場攻撃のため)。地上部隊約100人はクラークに残留。11・5ピンランからケンダリーをへてナムレアへ、(〜11・11)、再派兵11・22ケンダリーへ | ピンラン ケンダリー ナムレア |
|
1944・11・5 | モロタイ | 飛行場 | ナムレア |
1944・11・22 | モロタイ | 飛行場 | ケンダリー |
1944・11・24 | モロタイ | 飛行場 | ナムレア |
1944・11・27 | モロタイ | 飛行場 | ナムレア |
1944・12・5 | モロタイ | 飛行場 | ナムレア |
1944・12・7 | モロタイ | 飛行場 | ケンダリー |
1944・12・9 | モロタイ | 飛行場 | ナムレア |
1944・12・14 | モロタイ | 飛行場v | ケンダリー |
1944・12・31 | 戦力消耗・日本でのキ74への機種変更にむけ、マランからジャカルタへ。シンガポール・サイゴンを経て嘉義に集結、水戸へ(1月中旬〜2・28) | 嘉義・水戸 | |
1945・1・14 | 嘉義への空爆・1・16戦隊事務室を大崙へ疎開 | 嘉義 | |
1945・4・10 | 義烈空挺隊第3独立飛行隊要員の転出4人、4・17直接整備支援隊20人、浜松へ | 水戸・浜松 | |
1945・5・11 | キ67伝習教育再開に要員参加(浜松) | ||
1945・5・26 | 水戸から新田へ移動、新田・浜松でキ67教育、立川では爆撃照準眼鏡教育、7・1八日市へと要員空輸中の1機・攻撃され浜松で墜落 | 新田 | |
参考文献 飛行第14戦隊会『飛行第14戦隊戦記ー北緯23度半』1994年 久保義明『97重爆隊空戦記』光人社1984年 伊澤保穂『日本陸軍重爆隊』徳間書店1982年 |
|||