教導飛行第208戦隊
年月日 爆撃先 爆撃目標 拠点基地
1931・11 満州侵略にともない、浜松から飛行第7大隊第3中隊(軽爆)を編成、奉天へ 浜松・奉天
1932・6 浜松から重爆1中隊を派兵、軽爆中隊とあわせて飛行第12大隊を編成へ 新京・公主嶺
1934・11 飛行第12連隊の編成へ。12・17浜松から重爆2中隊を派兵(第2大隊へ)、飛行12大隊を第1大隊とする。 公主嶺
1935・12 飛行第12連隊から第2大隊の軽爆隊を分離して飛行第16連隊を編成 牡丹江
1941・3・20 飛行第16戦隊第1中隊・第2中隊から飛行第208戦隊を編成、桃南に移駐。 桃南
1942・12 12・17南方派兵のため浜松へ、準備と訓練、第3中隊の編成。99双軽爆撃機Uに機種変換。 浜松
1943・2・1 横須賀から航空母艦で出発、トラック島で訓練(〜4)
1943・5 トラックからラバウルを経てニューギニア・ブーツ東飛行場へ(〜6月) ブーツ
1943・6 ニューギニア中央高原 飛行場 ブーツ
1943・7 ナッソウ湾 ブーツ
1943・7 ポートモレスビー ブーツ
1943・7 サラマウア南方 陣地 ブーツ
1943・7 ナッソウ湾 陣地 ブーツ
1943・7 テンビ 飛行場 ブーツ
1943・7 マザブ 飛行場 ブーツ
1943・8 ラエ・サラマウア付近 上陸部隊 ブーツ
1943・8 マルイ 新設飛行場 ブーツ
1943・8 ファブア 飛行場(7機全機墜落) ブーツ
1943・9 8月空襲で約10機を失い、ラバウルに後退して訓練、10月ブーツへ戻る。 ラバウル
1943・11 フィシハーヘン 上陸部隊 ブーツ
1943・11 マラッサ 地区飛行場 ブーツ
1943・12 ツルブ付近 上陸部隊 ブーツ
1944・1 ニューブリテン・マーカス 上陸部隊・船団 ブーツ
1944・2 グンビ 上陸部隊 ブーツ
1944・4 部隊主力をホーランジアへ、移動後の空襲により航空部隊200機炎上、208戦隊機は4機のみ残る。空中勤務者の多くはマニラへ。 ホーランジア
1944・4・ 4・22ホーランジア上陸により、ブーツの地上部隊は第41師団第3大隊第10中隊に編入。ホーランジアの部隊はマクノアリへと移動、ほとんどが戦病死・欠食死。
1944・6 ホーランジア マニラ空輸部隊
1944・7 ハルマヘラ・ガレラ地区 対潜哨戒 ガレラ
1944・8 メナド・ラングワン地区 戦力回復訓練 ラングワン
1944・9 マニラ・リパへ飛行第34戦隊ニューギニア残存部隊を合併、10月特攻訓練、99双軽で高砂部隊の強行着陸訓練。 リパ
1944・11 10月レイテ湾上陸により、11月ダグラス4機を受領にシンガポールへ、他の操縦者は飛行第27戦隊に転属、レイテ・リンガエン攻撃に参加、多くが死亡。 リパ
1944・11 ドラッグ飛行場に、ダグラス4機で強行着陸(薫空挺隊)
1945・2 台湾に移動、残存部隊はリパで地上部隊へ編入・3月残存部隊数人が日本へ帰還。
参考文献
本間正七編『回想 ああ戦友 飛行第16戦隊教導飛行第208戦隊』1974年