飛行第31戦隊による爆撃・戦闘
1937・7・15 飛行第7連隊から飛行第五大隊として華北へ派兵、7・15動員令、7・20動員完結、7・24天津へ(太刀洗・大邱・平壌・奉天・錦州を経て)。地上部隊は宇品から船、釜山から奉天経由で天津へ。 浜松・天津
1937・7・29 天津 福旦大学(保安隊司令部) 天津
1937・7 南苑・盧溝橋 軍部隊 天津
1937・8末 南苑へ 南苑
1937・9 永定河 作戦支援
1937・9 京漢線 沿線部隊
1937・10 太原 5師団・2師団支援
1937・10・1 太原 飛行場
1937・10・3 太原 飛行場
1937・10・12 源平鎮・沂口鎮 陣地
1937・11・6 抗日軍攻撃 太原
1937・11中 保定から南苑へ
1937・12下 彰徳・南京を経て杭州へ
1938・1〜2 銭塘江右岸 抗日軍攻撃 杭州
1938・1〜2 太湖西南方 抗日軍攻撃 太湖
1938・ 南京 付近の抗日部隊 南京
1938・1末 彰徳へ 彰徳
1938・3・16 臨汾 (〜4・6)
1938・3・ 石家荘
1938・3・20 新郷 (〜4・7)
1938・3・21 鄭州
1938・3・21・ 湿縣・石楼 抗日部隊攻撃
1938・4. 浮山 抗日部隊攻撃
1938・4. 1中?州・2中蚌埠を拠点へ ?州・蚌埠
1938・5末 帰徳 陣地
1938・6末 主力を南苑・2中を南京へ、97軽に改変 南苑・南京
1938・8 飛行第31戦隊へと編成
1938・8下 南京・二套口 往復して抗日部隊攻撃 南京
1938・8・25 安慶へ 安慶
1938・8末 安慶 抗日部隊攻撃 安慶
1938・10・6 徳安 部隊救出支援
1938・11・11 南京から台北を経て嘉義へ。 嘉義
1939・1・15 花県東方 大東●の陣地 104師団支援 天河
1939・1・14 肇慶
1939・2・10 海口東方 飛行場近くの演豊墟陣地 三?島
1939・3・20 赤石勘埠
1939・3・28 九江以西 陣地(〜3・30)
1939・3・31 沙坪坪 守備隊救援
1939・4 抗日部隊
1939・5・3 青塘? 余漢謀司令部(〜5・4)
1939・5・12 翁源 張発奎司令部
1939・5・12 高要 舟艇
1939・5・13 輸送車両爆撃
1939・5・25 詔関
1939・5・29 詔関
1939・6・ 海南島 攻撃支援
1939・6・21 潮州・汕頭 上陸作戦支援(〜6・26) 天河・金門島
1939・6・22 竜川南方 紫金の抗日部隊
1939・8・7 8・2天河から台北・南京・北京・公主嶺をへて嫩江(北満)へ8・7 嫩江
1939・8・24 ノモンハン戦参加のためハイラルへ ハイラル
1939・8・25 ソ連軍 8・26,8・31も爆撃 9・24嫩江へ ハイラル
1940・1・6 広東へ(2中) 広東
1940・1末〜 南寧・賓陽 抗日ゲリラ部隊(〜2上) 広東
1940・1 桂林 広東
1940・10・5 南寧からハノイ・ジャラムへ10・5〜9 ジャラム
1940・10・22 華北・南苑へ10・27 南苑
1940・10末〜 華北  抗日軍 南苑・太原
1940・12 白城子で冬季航空研究演習・毒ガスイペリットなどの試験に隊員参加・被毒
1941・2 北満対抗演習
1941・2 嫩江東南・五大連池・小興安嶺 抗日共産軍 嫩江
1941・3・16 嫩江へ戻る(2中) 嫩江
1941・5・ 大連・群山海上航法訓練
1941・10・30 10・30南方へと地上先発隊出発・大連港。空中部隊・11・15嫩江から公主嶺・奉天・南苑・済南・南京・嘉義・広東・三亜・12・6ツーラン(インドシナ)、12・7シエムレアへ。 シエムレア
1941・12・9 12・9ナコン確保、12・10ドムアンへ ドムアン
1941・12・11 タボイ 飛行場 ドムアン
1941・12・19 ロップリーへ移動 ロップリー
1941・12・23 ミンガラドン 飛行場(ラングーン) ロップリー
1941・12・25 ミンガラドン 飛行場 ロップリー
1942・1・5 ミンガラドン 飛行場 ロップリー
1942・1・7 ミンガラドン 飛行場 ロップリー
1942・1・7 モールメン 港湾 ロップリー
1942・1・8 ミンガラドン 飛行場 ロップリー
1942・1・10 ミンガラドン 飛行場 ロップリー
1942・1・12 ミンガラドン 飛行場 ロップリー
1942・1・13 ミンガラドン 飛行場 ロップリー
1942・1・13 ミンガラドン 飛行場 ロップリー
1942・1・17 タボイ 55師団の攻撃支援 ロップリー
1942・1・17 モールメン 街道での攻撃支援 ロップリー
1942・1・20 モールメン・タボイ 55師団の攻撃支援 ロップリー
1942・1・21 55師団の攻撃支援 ロップリー
1942・1・23 ミンガラドン 飛行場 ロップリー
1942・1・24 ミンガラドン 飛行場 ピサンローク
1942・1・31 マルタバン 軍施設・モールメン占領支援 ピサンローク
1942・2・3 トングー 南飛行場 ピサンローク
1942・2・3 トングー 南飛行場 ピサンローク
1942・2・3 ラングーン 市街 ピサンローク
1942・2・6 ミンガラドン 飛行場 ピサンローク
1942・2・7 ミンガラドン 飛行場 ピサンローク
1942・2・9 パラン 対岸陣地 ピサンローク
1942・2・9 サトン 停車場 ピサンローク
1942・2・16 ピサンロークからランパンへ移動 ランパン
1942・2・19 ピンマナ ランパン
1942・2・20 ピリン 北方陣地 ランパン
1942・2・21 シッタン河 橋梁南東方高射砲陣地 ランパン
1942・2・22 トングー ランパン
1942・2・23 サジ 駅(トングー東方) ランパン
1942・2・26 レグー 飛行場 ランパン
1942・2・27 ペグー ランパン
1942・3・8 タウチャン 北方の部隊(ラングーン侵攻作戦) ムドン
1942・3・21 マグウエ 飛行場 ミンガラドン
1942・3・22 マグウエ 飛行場 ミンガラドン
1942・3・15 ペグー北方 ニュアンレビン付近戦車群 ミンガラドン
1942・3・28 シュエダン 付近戦車群 ミンガラドン
1942・3・30 シュエダン 付近戦車群 ミンガラドン
1942・3・31 マグウエ 飛行場 ミンガラドン
1942・4・4 マグウエ 飛行場 ミンガラドン
1942・4・10 ミンガラドンからプロームへ。 プローム
1942・4・19 エナンジョン 付近の陣地 プローム
1942・4・23 マグウエへ移動〜5・1 マグウエ
1942・5・2 マニワ 軍陣地 マグウエ
1942・5・6 カレワ チンドウィン河渡河部隊 マグウエ
1942・6・10 満州へ。6・12マグウエ・メークテーラ・トングー・ミンガラドン・ドムアン・サイゴン・広東・屏東・嘉義・南京・北京・を経て7・8奉天へ 奉天
1942・7 99襲撃機(軽量爆弾と低空接敵)への改変のため鉾田へ。軽爆隊は99襲と99双軽の2種に分離。8・29嫩江へ。 鉾田・嫩江
1942・10 10月敦化へ。43年9月、襲撃隊の戦闘隊への改編(「絶対国防圏」設定)。 敦化
1943・10 嫩江へ移動・11月に白城子移動、戦闘隊教育、12月97戦・1月1式戦の補給。 嫩江・白城子
1944・6〜7 南方への派兵へ。6・8命令、6・10出陣式、佳木斯で訓練。約40機が7・5奉天、南苑・上海・嘉義・ラオアッグ・7・10クラーク着アンへレス南飛工場・7・31ファブリカ(ネグロス島)へ。地上部隊は扶桑丸で出発、バシー海峡南端で雷撃により沈没(240人中116人死亡)。 ファブリカ
1944・9・13 米艦船・爆装による米艦船攻撃2機(特攻攻撃のさきがけ)。ファブリカへの米軍空爆。9・14クラークへ。戦力14機・整備兵力不足。9月末には9機のみ出動稼動。10・5マバラカット東に移動 ファブリカ・
クラーク・
マバラカット
1944・10・13 台湾沖 マバラカット
1944・10・24 レイテ航空戦 マバラカット
1944・10・26 レイテ艦船攻撃 マバラカット
1944・10・27 レイテ空戦 マバラカット
1944・10・28 レイテ空戦 タクロバン、 マバラカット
1944・11・23 ファブリカへ。隼集成戦闘機隊の編成(13・31・24・54戦隊から)。特攻隊の編成も。特攻機や輸送機の援護飛行へ。 ファブリカ
1944・11・24 レイテ第2次攻撃
1944・12・7 オルモック 上陸地点攻撃
1944・12・12 特攻機援護出動
1944・12・13 特攻機援護出動 12・23ファブリカへの米軍空爆
1945・1・2 レイテ タクロバン基地
1945・1・6 戦闘隊全員に特攻命令 マバラカット
1945・1・8 マバラカットの31戦隊残置隊、リンガエン艦船への特攻3機、
1・10同4機。
マバラカット
1945・3 3月空中勤務者ボルネオへ、5・25シンガポールで解隊、整備員約130人は脱出できずに遊撃第1中隊を作り現地に残る、生存は30人、住民射殺行動も。31戦隊戦没者370人(うちフィリピン330人)。
参考文献
飛31友の会『飛行第31戦隊誌』1989年