陸軍飛行第60戦隊による爆撃(1937〜1945)
年月日 爆撃先 主な爆撃目標 拠点飛行場
1937・7・11 陸軍飛行第七連隊から飛行第六大隊の編成7・15派兵命令 浜松
1937・7・19 飛行第六大隊、錦州へと派兵 7・27天津飛行場へ。 錦州
1937・7・28 南苑 南苑飛行場・西苑兵舎 天津
1937・7・30 天津 南開大学 天津・南苑
1937・7・30 天津から南苑にすすみ拠点とする。察哈爾作戦へ。 南苑
1937・8・12 南口 南苑
1937・8・16 張家口・大同 陣地 承徳・錦県
1937・8・26 馬廠 29軍兵営
1937・8・26 大同・柴溝堡 停車場
1937・8・28 王口鎮・小王庄(天津) 兵営・部隊
1937・8・30 滄州 市街・停車場・兵営
1937・9 河北の作戦へ、保定などを攻撃
1937・9・10 馬廠・人和鎮 兵営・土塁
1937・9・14 石家荘 停車場北部 南苑
1937・9・15 ?県 市街・中心部・軍司令部・県公署 南苑
1937・9.16 保定 南部・徐水停車場・線路・給水塔 南苑
1937・9・16 保定 市内各所に250キロ爆弾 南苑
1937・9・17 保定 市街中央・銀行・政府・兵営
1937・9・18 保定・方順橋間 鉄道・千家荘駅
1937・9・19 石家荘 石家荘駅
1937・9・19 満城 市街・軍
1937・9・21 保定 城内外
1937・10・1 太原 飛行場 陽高
1937・10・3 太原
1937・10・8 順徳 南方の沙河鉄道橋 南苑
1937・10・10 順徳 市南部 保定
1937・10・12 楡次 停車場 保定
1937・10・12 寿陽・平定間 鉄道 保定
1937・10・13 楡次 鉄道・駅(楡次西 鎮鉄道)
1937・10・19 忻口鎮
1937・10・21 葦沢関 第20師陣地 石家荘
1937・10・23 汾陽 飛行場(飛行機・格納庫・陣地) 石家荘
1937・10・23 平定 兵営 石家荘
1937・10・25 忻口鎮 陣地・坑道・弾薬
1937・10・31 太原 火薬工廠・軍施設
1937・11・5 太原 西北城門(第5師団支援) 石家荘
1937・11・8 太原 北城門に500キロ爆弾
1937・11 南苑で97式重爆撃機に機種変更・黄河両岸への攻撃へ 南苑
1937・11・11 洛陽 飛行場
1937・11.12 西安 飛行場
1937・12・8 ?県 市街中央部(108師団の支援) 石家荘
1937・12・10 范県 市街中央部 石家荘
1937・12・11 曲陽 集落全体 石家荘
1937・12・15 林県 付近の萬福麟軍 石家荘
1937・12 山東作戦へ
1937・12・24 旧軍鎮・刀家荘 石家荘・徳県
1937・12・24 炒米店 鉄道橋脚 徳県・石家荘
1937・12・25 東平 部隊
1937・12・25 泰安 停車場
1937・12・26 泰安 停車場・機関庫・列車
1937・12・27 泰安 停車場・列車等
1937・12中旬 彰徳を根拠地に済南攻撃支援へ 彰徳
1938・1・下旬 臨汾・徐州・帰徳 飛行場
1938・1・30 洛陽 飛行場
1938・2・19 遼県
1938・2・20 沁源
1938・3・8 西安 飛行場 彰徳
1938・3・14 西安 飛行場西北兵営格納庫 彰徳・運城
1938・3・18 徐州 陣地
1938・ 山東省・黄河左岸地域の攻撃へ 彰徳
1938・4・2 台児荘 彰徳
1938・4・4 西安 飛行場 彰徳
1938・4・6 磊口・下台村 泉門山腹・  軍
1938・4・10 帰徳 飛行場
1938・5・20 蘭封 飛行場
1938・5・29 林県(合澗)
1938・6・7 鄭州 隴海公園・東洋館群
1938・6・21 尉氏 補給支援 蘭封
1938・7・1 潼関
1938・7・5 信陽 飛行場
1938・7・10 潼関 市街地
1938・7・11 潼関 停車場
1938・8 飛行第6大隊を飛行第60戦隊と第96飛行場大隊へと編成
1938・8・5  西安 飛行場 彰徳・運城
1938・8・8 豊楽鎮 軍部隊 彰徳
1938・下旬 南苑で訓練、のち南京を経て安慶へ。武漢戦に投入。 南苑
1938・9上旬 広済・田家鎮 安慶
1938・9・4 徳安・施溝嶺 修水川の船舶 套口
1938・9・4 徳安 市街南部
1938・9・7 英山 市中央部
1938・9・10 葉家集 陣地
1938・9・12 光山 軍部隊
1938・9・12 信陽 市街
1938・9・14 確山 停車場
1938・9・24 田家鎮  
1938・9・24 漕家鎮・竹瓦店
1938・9・25 玉屏山麓 陣地
1938・9・26 武漢 軍需部・飛行場
1938・9・27 田家鎮 北側陣地
1938・9・28 信陽
1938・10・2 信陽 停車場・市街要部
1938・10・3 南昌 市街・軍施設・小舟船団
1938・10・4 徳安 北方陣地
1938・10・5 麻城・永修 部隊陣地
1938・10・6 麻城 集落
1938・10・8 中舘駅
1938・10・11 楊家山 付近の軍部隊(106師団支援) 安慶
1938・10・12 白?街
1938・10・15 小金山・拓林 軍部隊・軍橋
1938・10・16 ?津・甘木関 永集付近の部隊・辻曹家
1938・10・17 株州 停車場・機関子
1938・10・19 平江
1938・10・20 新州 付近の部隊
1938・10・21 中舘駅・麻城 中舘駅・麻城中心部
1938・10・22 株州 停車場
1938・10・23 咸寧 市街地拠点
1938・10・24 帰義 鉄橋
1938・10・27 武漢占領・衡陽攻撃へ。安慶拠点。 安慶
1938・10・31 南昌 市街・部隊・軍需
1938・11・3 荊州
1938・11・5 沙洋鎮
1938・11・7 衡陽 飛行場 安慶
1938・11・8 衡陽 飛行場 安慶
1938・11・8 衡山
1938・11・9 衡陽 飛行場 安慶
1938・11・9 衡山
1938・12 重慶・蘭州などへの長距離侵攻を準備、36機編隊へ。漢口拠点。 漢口
1938・12・26 重慶 密雲のため中止・故障機一機が全爆弾投下 漢口
1938・12・29 常徳 ?江密雲のため常徳攻撃
1939・1・7 重慶 密雲の中、市街を爆撃
1939・1・10 重慶 市街
1939・1・15 重慶 市街要地
1939・2初 運城へと移動 運城
1939・2・6 洛陽 兵営・市街・飛行場
1939・2・8 潼関 軍・施設
1939・2・9 平涼 市街
1939・2・12 蘭州 東飛行場 運城
1939・2・20 蘭州 東飛行場 運城
1939・2・21 潼関 軍・施設 運城
1939・2・23 蘭州 市街要地 運城
1939・3・6 寧夏
1939・3・7 永昌
1939・3・14 西安 付近の軍施設
1939・3・15 西安
1939・中旬 漢口へと移動、襄東作戦へ 漢口
1939・3・18 宣城 漢口
1939・3・19 襄陽 漢口
1939・3・28 ?家店・秋家集
1939・3・29 保安鎮・独樹鎮
1939・4・6 棗陽
1939・4・7 ?江 飛行場
1939・4・26 沙洋
1939・4・27 荊門
1939・4・28 宜昌
1939・5・6 南鄭 飛行場
1939・5・7 南鄭 飛行場
1939・5・20 走馬駅
1939・5・26 鄭県
1939・ 南苑へと移動。36機編成へ。航空兵団直轄部隊となり、第二期「粛清」作戦支援 南苑
1939・6・23 済源 南苑
1939・6・28 洛陽
1939・8 五原
1939・9・8 延安 飛行場
1935・9・15 寧夏
1939・9・20 西安
1939・10・6 運城へと移動、第2次奥地侵攻作戦へ。
1939・10・10 西安 2派の空爆 運城
1939・10・11 西安 2派の空爆(10月計6回) 運城
1939・10・12 渭南
1939・10・15 延安 2派の空爆
1939・10・25 南鄭 飛行場・市街
1939・10・27 ?陽・蒲城・同州
1939・10・29 洛陽 陝県付近(10月2回)洛陽へは2回
1939・10・30 宝鶏 停車場
1939・10 平涼
1939・10・31 奥地侵攻中止、南苑へと移動。第3次侵攻作戦により運城へ。 運城
1939・12・26 蘭州 市街東半部 運城
1939・12・27 蘭州 市街・飛行場 運城
1939・12・28 蘭州 市街中枢 運城
1940・1〜2 五原
1940・3 第3飛行師団の直轄部隊へ、南苑に移動。単独での奥地侵攻困難
。新戦隊長に小川小次郎。
南苑
1940・4・7 衡源 鉄道橋(浙江) 南苑
1940・4 漢口に移動、宜昌作戦へ。
1940・5・1 興安 飛行場 漢口
1940・5・2 転斗湾 渡河点 漢口
1940・5・4 襄陽・焚城鎮・張家湾 漢口
1940・5・4 比源  漢口
1940・5・5 光仁・老河口 漢口
1940・5・6 南陽 漢口
1940・5・8 南苑へ移動。5・17運城へ移動。 南苑
1940・5・19 西安 運城
1940・5・20 南鄭 飛行場 運城
1940・5・24 南苑へ移動・侵攻準備。第4次侵攻作戦により運城へ(6・3)。 南苑
1940・6・6 重慶 密雲のため白市駅飛行場・梁山飛行場爆撃 運城
1940・6・10 梁山 飛行場 運城
1940・6・11 重慶江北 重慶対岸の江北 運城
1940・6・12 重慶江北 江北市街 運城
1940・6・16 重慶 中心部 運城
1940・6・24(2) 北碚 重慶・合川の中間地 運城
1940・6・25 梁山 飛行場・軍施設 運城
1940・6・29 重慶 大学・工場地帯・南川 運城
1940・6・30 西安 成都密雲のため市街・軍施設 運城
1940・ 天候不良のため南苑へ、7・20運城へ戻る。 南苑
1940・7・22 合川 工場群 運城
1940・7・24 成都 市街西南部・軍施設 運城
1940・7・31 北碚・銅梁 飛行場工場 運城
1940・8・2 壁山 重慶は海軍が爆撃のため 運城
1940・8・3 壁山(銅梁) 運城
1940・8・18 宝鶏 運城
1940・8・19 重慶 市街へ250キロ爆弾90発カ四弾53発
1940・8・20 重慶 最大規模空爆
1940・8・21 南充 市街・梁県・綏定
1940・8・30 武功・咸陽
1940・8・31 宝鶏
1940・9・2 宝鶏
1940・9・3 興安
1940・9 南方転用により南苑へ、9・18南苑から漢口・天河・海口を経て南方へ(フランス領インドシナ占領作戦)。 南苑
1940・11 海南島・広東
1940・11・12 霊山城 司令部・周辺部隊陣地
1940・11・13 陸屋・平吉 部隊
1940・11・14 欽寧 周辺要地(平吉・牛岡・平銀・大筒・小筒・久隆)
1940・11・15 雅子踊・平銀
1940・11・16 高橋麗・平銀
1940・11・17 欽県 周辺要地
1940・11・18 広東から嘉義・南京を経て南苑へ。 南苑
1941・1 第60戦隊は27機編成へ、(単独侵攻の放棄)。
1941・3・14 2・28南苑を発ち、広東へ。3下旬ジャラム、のちハノイへ。 広東
1941・4.8 昆明 市街
1941・4・10 龍川 橋梁
1941・4・11 蒙自 工場
1941・4.18 阿迷 市街
1941・4.21 攻果橋・保山
1941・4・26 昆明 飛行場・工場群
1941・4・29 昆明 市要部
1941・5・7 谿街
1941・5・8 昆明
1941・5・11 箇旧
1941・5・12 昆明
1941・5 攻果橋攻撃は失敗。華中へ戻る。5・31嘉義をで、南京を経て運城へ 運城
1941・8・3 保?
1941・8・4 延安
1941・8・5 天水・武功
1941・8・6 宝鶏
1941・8・9 西安・咸陽
1941・8・11 重慶北西 工場倉庫
1941・8・13 西安・渭南・潼関 運城
1941・8・16 保? 軍施設・物資 運城
1941・8・17 自流井 製塩所 運城
1941・8・19 自流井 製塩所・市街 運城
1941・8・27 重慶 市街北西部・工場 運城
1941・8・30 重慶 対岸要人住宅地 運城
1941・8・31 重慶 武昌
1941・9・1 重慶 大波口製鉄所 武昌
1941・9・ 奥地侵攻作戦中止(9・7)、南方転用へ。浜松へ帰還。 浜松
1941・11・14 浜松を出発、新田原・嘉義・海口・を経てプノンペンへ。12・6攻撃命令 プノンペン
1941・12・8 アロルスター ペナン悪天候のためアロルスター(ケパラパタス)飛行場を空爆 プノンペン
1941・12・9 ペナン・アエルタワル ケダに行くが中止 プノンペン
1941・12・11  ペナン・ジョージタウン 輸送船・埠頭施設 プノンペン
1941・12・13 メルギー マレー西海岸地・飛行場 プノンペン
1941・12・18 ジョージタウン プノンペン
1941・12・23 ラングーン 港・輸送船・埠頭 プノンペン
1941・12・25 ラングーン ミンガラドン飛行場 プノンペン
1941・12・30 シンガポール攻略にむけてタナメラへ、のちプノンペンに戻る。 タナメラ
1942・1・10 シンガポール攻略にむけ、アエルタワル(北部マレー)へ。 プノンペン
1942・1・12 シンガポール テンガ飛行場 アエルタワル
1942・1・15 シンガポール 市街 アエルタワル
1942・1・18 シンガポール アエルタワル
1942・1・20 シンガポール アエルタワル
1942・1・21 シンガポール アエルタワル
1942・1・25 シンガポール テンガ飛行場 アエルタワル
1942・1・26 シンガポール テンガ飛行場 アエルタワル
1942・1・29 シンガポール 夜間 アエルタワル
1942・1・30 シンガポール アエルタワル
1942・2・1 シンガポール センバワン 軍港・油槽群 アエルタワル
1942・2・2 シンガポール  市西北 アエルタワル
1942・2・3 シンガポール 市街・埠頭 アエルタワル
1942・2・4 シンガポール 港東方 アエルタワル
1942・2・5 シンガポール カラン飛行場 クルアン
1942・2・6 シンガポール カラン飛行場・市中央軍事施設 クルアン
1942・2・8 シンガポール パンジャンマンタイ陣地 クルアン
1942・2・10 シンガポール 陣地・停車場 クルアン
1942・2・11 シンガポール 陣地・停車場 クルアン
1942・2・12 シンガポール ブランカマチ要塞 クルアン
1942・2・13 シンガポール 陣地 クルアン
1942・3 シンガポール占領に伴ないフィリピン戦へ。
3・16サイゴンからクラークへ。
クラークフィールド
1942・3・24 リマイ クラークフィールド
1942・3・24 コレヒドール
1942・3・25 コレヒドール・カブンカベン
1942・3・26 ベニヤン
1942・3・28 コレヒドール
1942・3・31 コレヒドール
1942・4・1
1942・4・2
コレヒドールほか オリオン山歩兵陣地・サマセット陣地コレヒドール マリベレス
1942・4・4 リマイ山 リマイ山陣地
1942・4・5 リマイ山 リマイ山陣地
1942・4・6 リマイ山 リマイ山陣地
1942・4・7 リマイ山 リマイ山陣地
1942・4・7 コレヒドール 要塞・高射砲
1942・4・10 コレヒドール
1942・4・11 コレヒドール
1942・4・14 コレヒドール 4月下旬からは500キロ爆弾も使用
1942・5・5 コレヒドール
1942・5・22 フィリピン米軍降伏(5・7)、5・16クラーク出発、5・22嘉義を経て、浜松へ。7月初め普済寺で第六大隊派兵以来の戦死者追悼会 浜松
1942・7・6 浜松から拉林へ(約6ヶ月の訓練警備)。関特演参加 拉林
1943・2 拉林から南苑・南京・嘉義を経て、アエルタワル・ロスマウェル・マナに飛行場建設(第3中隊)
1943・6・25 華南・華中に移動、嘉義を経て南京へ。7・22武昌を拠点へ 武昌
1943・7・23 衡陽・零陵 飛行場・25師団支援 武昌
1943・7・29 衡陽・零陵 停車場・7・30も
1943・8上旬 衡陽・零陵・桂林・
建甌・?江
1943・9 9・8ツーラン、9・19ハノイに展開、昆明攻撃へ ハノイ
1943・9・20 昆明 飛行場 ハノイ
1943・10・4 桂林
1943・12・18 昆明 飛行場 ロイレン
1943・12・22 昆明 飛行場 ロイレン(メダンへ)
1944・2 2・18シンガポールからハルマヘラ島カレラへ、ブーツ東へ進む。2〜4マダン方面作戦へ。4月ワクデへ(61戦隊と交代)・ホランジアへと後退。 ホランジア
1944・3・1 アドミラル諸島 沖の艦船の上陸予定地点
1944・3・2 ロスネグロス島 上陸点、3・3も
1944・3・29 ホランジアへの大空爆により、4月末フィリピン・ミンダナオへ
1944・4・23 ホランジア 自動車部隊 ビヤク
1944・7・7 水戸へ(マバラカットから嘉義を経て)のち宇都宮へ(訓練回復) 水戸・宇都宮
1944・8・24 8・17宇都宮から南京へ(25機) 南京
1944・8・30 遂川 飛行場・燃料・弾薬庫 南京
1944・9・4 建昌 飛行場
1944・9・8 重慶 付近の新津・広湲・興中・双流の飛行場 運城
1944・9・9 運城から後方へと移動
1944・9・9 成都
1944・9・12 ?州
1944・9・25 梁山 飛行場
1944・10・3 西安 飛行場
1944・10・8 成都 新津飛行場・彭県・大平 運城
1944・10・11 児玉へ移動 児玉
1944・10・16 フィリピン 空輸(12機で出発、8機を失う) 児玉
1944・10・23 サンマリセリノ 飛行場へと空輸(失敗)
1944・10・24 フィリピン 富嶽特別攻撃隊に参加
1944・12・5 フィリピン 空輸(12・14クラークへ12機で出発、3機を失う)
1945・2・4〜12 硫黄島 空輸 立川
1945・2・17 硫黄島 周辺艦船 児玉
1945・2.19 硫黄島
1945・ 健軍に移動。沖縄戦に投入。 健軍
1945・3・28 沖縄 周辺艦船 健軍
1945・3・29 沖縄 周辺艦船 健軍
1945・4・7 沖縄 集積所 健軍
1945・4・12 沖縄 北中飛行場 健軍
1945・4・16 沖縄 北飛行場 健軍
1945・4・22 沖縄 北中飛行場 健軍
1945・4・28 沖縄 北飛行場 健軍
1945・5・10 沖縄 北飛行場等 健軍
1945・5・18 沖縄 健軍
1945・5・24 沖縄 北中飛行場(義烈特攻隊) 健軍
1945・6・8 沖縄 物資投下 健軍
1945・6・10 沖縄 物資投下 健軍
1945・6・16 沖縄 物資投下 健軍
1945・7・5 沖縄 健軍
参考文献
飛行第60戦隊小史編集委員会『飛行第60戦隊小史』1980年
伊澤保穂『日本陸軍重爆隊』徳間書店1982年