飛行第61戦隊による爆撃 | |||
年月日 | 爆撃先 | 爆撃目標・行動 | 拠点 |
1935・8 | 浜松飛行第7連隊から2中隊をチチハルに派兵、偵察飛行第10大隊とあわせて、飛行第10連隊を編成 | 浜松・チチハル | |
1937・8 | 大同 | ||
1938・5 | 運河車站 | 停車場・電信局・司令部 | |
1938・8 | 飛行第10連隊第2大隊から飛行第61戦隊を編成 | ||
1939・5 | ノモンハン事件により5・31ハイラルに派兵、サッパ・サンベース・タムスクを爆撃 ホロンバイル高原の機甲部隊を攻撃 | ハイラル | |
1939・5・31 | ハルハ河岸 | 軍 | ハイラル |
1939・6・27 | タムスク・サンベース | 飛行場 | ハイラル |
1939・7・3 | 部隊・重砲兵陣地 | ハイラル | |
1939・8・21 | タムスク | 南飛行場 | ハイラル |
1939・8・22 | サッパ貝子 | 飛行場 | ハイラル |
1939・8・20 | 対地協力(〜31) 9・1チチハルへ | ハイラル | |
1941・11 | フランス領インドシナ上陸船団の空中援護(〜12) | ||
1942・9・25 | スマトラ・メダンへ・インド洋哨戒 | メダン | |
1943・3・14 | スラバヤへ | スラバヤ | |
1943・6・20 | オーストラリア侵攻 | ポートダーウィン飛行場 | ラウテン |
1943・6・23 | ブロックリーク | 飛行場 | |
1943・8・15 | 百式重へと機種変更・浜松へ | 浜松 | |
1943・9・6 | ホポイ | ブーツ | |
1943・9・11 | ホポイ | ブーツ | |
1943・9・21 | ホポイ西方 | 船団 | |
1943・9・22 | フィンシュハーフェン | ||
1943・11・7 | ラエ・マダン | ||
1943・11・19 | フィンシュハーフェン | 地上軍支援11・23にも | |
1943・10・13 | ニューギニア作戦へ | ワクデ島飛行場を基地にブーツ西飛行場に前進,飛行第7戦隊と協同・東部ニューギニア戦線 | ワクデ |
1943・12・12 | マザブ | ||
1943・12・15 | フィンシュハーフェン | 南方 | |
1943・12・16 | マーカス岬 | 船舶(5機墜落) | |
1943・12・26 | ダンピール海峡 | ツルブ岬周辺輸送船団 (出撃5機全機撃墜される) | |
1944・1・7 | フィンシュハーフェン | 周辺基地 (このころまでに戦力の大半を失う) | |
1944・1・17 | 飛行第7戦隊から五〇余の戦力補充。 | ||
1944・4 | 4月、ワクデからハルマヘラを経て5・6ナムレアへと撤退。 ワクデ残置隊員87人は4・26サルミヘ移るが、4・29サルミ空襲・陸路での栄養失調、乗船した文山丸への6・26空襲等で六〇名余が戦死戦病死。 |
ナムレア | |
1944・5 | 西部ピアク・モロタイなど基地爆撃 (戦力を失い戦闘不可能へ) | ナムレア | |
1944・10・16 | 残り少ない基幹人員は浜松へ、四式重へと機種改編・人員補充 | 浜松 | |
1945・1・31 | 浜松から31機でシンガポールへ移動(2月)、雷撃訓練 2・9コンポンクーナンに展開 |
コンポンクーナン | |
1945・6・25 | ボルネオ | パリックパパン沖艦船への特攻(七生神雷隊) | スラバヤ |
1945・7・16 | 嘉義へ | 地上部隊はシンガポールに残置 | 嘉義 |
参考文献 | |||
竹下邦夫編『追悼 陸軍重爆飛行第61戦隊』飛行第61戦隊戦友会1974年 | |||
『陸軍航空の鎮魂総集編』陸軍航空碑奉賛会1993年 | |||
伊澤保穂『日本陸軍重爆隊』徳間書店1982年 |