飛行第62戦隊による爆撃
年月日 爆撃先 爆撃目標・行動 拠点基地
1939・7・5 浜松飛行第7戦隊から飛行第62戦隊(1中隊)を編成、12月第2中隊編成。帯広の基地建設完成まで浜松に駐屯。1940年2月ジャムスで耐寒演習、1940年10月21日帯広へ(北部73部隊)。1941年3月菊池で陸海合同訓練に参加。1941年4月帯広凍上現象により一時浜松へ。1941年9月第3中隊を編成(27機編成へ)。 浜松・帯広
1941・10〜12 10月29日飛行場大隊は柏へ、立川から器材を受け11月16日に芝浦からサイゴンへ(さらにプノンペンを経てクラコール飛行場へ11月23日着)。戦隊主力は各務原で機体を偽装し浜松で訓練・整備へ(11・18)。11月29日浜松から三亜へと出発、12月6日クラコール飛行場に到着。 帯広・浜松
1941・12・8 コタバル攻撃 タナメラ飛行場 クラコール
1941・12・9 タナメラ 飛行場 クラコール
1941・12・23 ラングーン ミンガラドン飛行場 ドムアン(バンコク)
1941・12・25 ミンガラドン 飛行場 ドムアン
1942・1・4 ミンガラドン 飛行場 ドムアン
1942・1・6 ミンガラドン 飛行場 ドムアン
1942・1・7 モールメン 北飛行場 ドムアン
1942・1・9 ミンガラドン 飛行場 ドムアン
1942・1・11 モールメン・タボイ 飛行場 ドムアン
1942・1・12 ミンガラドン 飛行場 ドムアン
1942・1・13 ミンガラドン 飛行場 ドムアン
1942・1・14 ミンガラドン 飛行場 ドムアン
1942・1・28 ミンガラドン 飛行場 ナコンサワン
1942・1・31 マルタバン 停車場(モールメン対岸) ナコンサワン
1942・2・1 ミンガラドン 飛行場 ナコンサワン
1942・2・4 トングー 南飛行場 ナコンサワン
1942・2・6 ミンガラドン 飛行場 ナコンサワン
1942・2・7 ミンガラドン 飛行場 ナコンサワン
1942・2・9 サトン・パアーン付近 サトン停車場・サルウィン河渡河作戦協力 ナコンサワン
1942・2・15 サイゴンへ(機種改編97重2型)・2・19プノンペンで飛行訓練 プノンペン
1942・3・14 プノンペンから三亜を経てクラークフィールドへ(3・16着)、バターン作戦へ クラークフィールド
1942・3・24 コレヒドール 要塞 クラークフィールド
1942・3・25 マリベレス 飛行場 クラークフィールド
1942・3・26 パキニアン付近 クラークフィールド
1942・3・26 コレヒドール 要塞 クラークフィールド
1942・3・27 マリベレス・コレヒドール 飛行場・要塞 クラークフィールド
1942・3・28 マリべレス・カプカーベン付近 飛行場・陣地 クラークフィールド
1942・3・29 パキニアン・カプカーベン付近 陣地 クラークフィールド
1942・3・29 コレヒドール 要塞 クラークフィールド
1942・3・30 パキニアン・リマイ付近 クラークフィールド
1942・3・20 コレヒドール 要塞 クラークフィールド
1942・4・3 地上攻撃支援 砲兵陣地 クラークフィールド
1942・4・4 地上攻撃支援 陣地 クラークフィールド
1942・4・5 地上攻撃支援 オリオン山付近砲兵陣地 クラークフィールド
1942・4・7 地上攻撃支援 砲兵陣地・カブカーベン市街 クラークフィールド
1942・4・8 地上攻撃支援 パキニアン・ラマオ付近 クラークフィールド
1942・4・9 コレヒドール 要塞・艦船 クラークフィールド
1942・4・26 クラークフィールドから屏東をへて南京へ、第3中隊は武昌へ(折かん作戦) 南京・武昌
1942・5・4 衡陽 飛行場 武昌
1942・5・5 麗水・玉山 飛行場 南京
1942・5・6  江 飛行場 武昌
1942・5・7 玉山 飛行場 南京
1942・5・8 玉山・衡陽 飛行場・停車場 飛行場 武昌
1942・5・20 ク州・麗水・玉山・龍游 飛行場 南京・武昌
1942・6 作戦支援 飛行場等 南京・武昌
1942・7・3 衡陽 飛行場 武昌
1942・7・27  江・衡陽・桂林 飛行場 武昌
1942・7・30 衡陽 飛行場 武昌
1942・7・31 衡陽 飛行場 武昌
1942・8・7 南京から各務原へ、さらに帯広へ(8・11着),
1943・3帯広の凍上現象により一時浜松へ、
4月美幌で飛行訓練(対潜哨戒・千島航法)
南京・帯広
1943・3・5 飛行場大隊は第六三飛行場大隊として独立。44年4月エトロフ島天寧へ、8月には飛行場建設のためウルップ島に派遣。45年4月エトロフから帯広へ戻る
1943・5・23 アッツ・キスカ島への空輸 北千島幌筵島柏原・武蔵湾飛行場 帯広
1943・6 空輸 北千島幌筵島柏原 帯広
1943・11・22 浜松に移動、100式重に機種改編・飛行訓練 浜松
1943・12・12 第一中隊ニューギニア・ホランジアへと器材人員輸送
1944・1・24 1・24浜松発,新田原・屏東・クラークフィールド・サイゴン・を経て、ビルマ・レグへ、2・20サイゴンへ、2・24マレー・スンゲイパタニで訓練、3・5ビルマ・マウビへ、インパール作戦へ。 浜松・マウビ
1944・3・13 インパ―ル攻撃(〜18) トングー
1944・3・18 フェンニー 飛行場
1944・3・26 レド油田 (100式重9機中8機撃墜され、70人戦死) メークテーラ
1944・4・3 インパ―ル攻撃 市街 マグエ
1944・4・8 インパール 北飛行場
1944・4・17 パレル 飛行場
1944・5・9 インパール トングー
1944・5・11 インパール市街・ボリバザー付近 「マ一〇二弾」攻撃・飛行場視界不良のため市街を攻撃 トングー
1944・5・17 ザドズップ 飛行場
1944・5・25 ミートキーナ地上軍への物資投下
1944・5・28 ミンガラドンからスンゲイパタニへ(戦力回復訓練) ミンガラドン
1944・7・26 サバン島哨戒(3機) 潜水艦 サバン島
1944・8・22 シンガポールを経て北ボルネオ・アピへ、跳飛攻撃訓練・船団護衛。
9・20スンゲイパタニヘと後退。12戦隊と62戦隊で一中隊(雁部隊)を編成(11・3)、サンダカンに集結、西部ニューギニア攻撃へ(11・3原隊復帰)。10月部隊はセレベスのビンランヘ。
アピ・スンゲイパタニ
1944・10・7 モロタイ島 ナムレア
1944・10・9 モロタイ島
1944・10・9 (雁部隊)ヌンホル島 飛行場 ラングール(カイ諸島)
1944・10・20 レイテ湾 艦船 マナプラ(ネグロス)
1944・10・21 レイテ湾 艦船 マナプラ
1944・10・24 (雁部隊)レイテ湾 艦船 クラークフィールド
1944・10・25 (戦隊・雁) レイテ湾 クラークフィールド
1944・10・28 タクロバン 飛行場
1944・11・2 (戦隊・雁)タクロバン・ドラッグ飛行場
1944・11・3 アピへと移動
1944・11・10 モロタイ島 飛行場 ナムレア
1944・11・16 モロタイ島 ナムレア
1944・11・19 モロタイ島
1944・12・7 モロタイ島
1944・12 12・14スンゲイパタニ出発、アピ、サイゴン、海口をへて嘉義へ、航空廠に機を返して福岡に着(12・31)、陸路福生へ。1・3四式重の飛行訓練へ。
1945・1・21 3機で台湾残留者の輸送に向かうが上海で被弾、1機墜落・1機不時着。1機で18人を台北から浜松を経て福生へ輸送(1・22)。1・27西筑波へ、2・24特攻部隊に指定、特攻に批判的な戦隊長解任。3月大分別府湾で跳飛攻撃訓練。空襲により西筑波へ、特攻命令をうける。 福生・大分・西筑波
1945・3・19 東海沖特攻 艦船未発見 西筑波
1945・4・17 沖縄東方特攻 艦船 鹿屋
1945・5・25 沖縄周辺特攻 艦船 太刀洗
1945・6・13 沖縄特攻作戦中止、西筑波へ。
8・12西筑波への空襲により決定的な打撃を受ける
西筑波
参考文献
『七三部隊回想記 飛行第62戦隊第63飛行場大隊』1980年
伊澤保穂『日本陸軍重爆隊』徳間書店1982年