飛行第74戦隊
1942・12・20 公主嶺で編成(〜1944・2)・一部で立川・マニラ空輸 公主嶺
1943・5 部隊編成のため、カリジャッジの飛行第7戦隊から100人が編入
1944・4・7 計根別へ、千島・オホーツク海・太平洋上哨戒 計根別
1944・11・15 11末〜12レイテ作戦へ。 ルソン・デルカルメン
1944・12・6 ブラウエン飛行場へ高千穂空挺部隊の輸送・援護・(2機ドラッグ飛行場の特攻着陸) クラークフィールド
1944・12・8 オルモック湾 米艦船
1944・12・14 12月菊水特攻隊を編成(2機13人・95戦隊と)。
残地隊は地上戦闘へ(高千穂挺身団へ1945・9・2停戦)
1945・1〜2 ルソンから嘉義への空輸
1945・4 熊本へ、7月サハリン落合へ 熊本
1945・8・12 松本へ 松本
飛行第95戦隊
1942・12・18 鎮東で教導飛行第95戦隊を編成 鎮東
1944・1・30 拉林で飛行第95戦隊へ 拉林
1944・2・16 鉾田へ、 鉾田
1944・4・26 帯広へ、哨戒。5月エトロフへ、8月計根別へ 帯広
1944・11・19 クラークへ クラークフィールド
1944・11・24 第2次フィリピン戦へ(〜12) クラークフィールド
1944・12・6 ブラウエン飛行場への高千穂空挺部隊降下作戦(タクロバン飛行場特攻着陸) クラークフィールド
1944・12・14 菊水特攻隊を編成(74戦隊2機3人と。95戦隊から7機49人、12・24死亡計57人)、ネグロス近海。
1945・1・4 嘉義へ・一部クラークへ残置、2月フィリピン残地隊はルソン北部で戦闘(〜9月)、3・9一部をマレーに派兵 嘉義
1945・4 帯広へ 帯広
1945・5 飛行第74戦隊に合併