飛行第7戦隊による爆撃 |
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年月日 |
爆撃先 |
爆撃目標・行動 |
拠点基地 |
1926・10・5 |
1925年2月立川で飛行第7連隊(重爆・軽爆)設立・26年10月立川から浜松三方原に移駐(重爆2中隊・軽爆2中隊) |
立川・浜松 |
1931・11下 |
満州侵略にともない派兵・飛行第7大隊第3中隊(軽爆)、のち飛行第12大隊へと再編、中国抗日部隊への空爆 |
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1931・12・23 |
満州へと派兵・飛行第6大隊第1中隊(重爆) |
周水子 |
1932・3・14 |
上海へ派兵・軽爆1個中隊(5月満州の飛行第12大隊に統合) |
浜松 |
1932・12 |
第7連隊の編成が、第1大隊重爆3中隊・第2大隊軽爆2中隊・材料廠〔整備〕・練習部、となる |
浜松 |
1933・1下 |
飛行第12大隊、熱河侵攻へ、長城を越えて空爆 |
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公主嶺 |
1933・8・1 |
第7連隊の練習部から浜松陸軍飛行学校設立 |
浜松 |
1934・11下 |
公主嶺の飛行第12連隊増強のために7連隊から1大隊(2中隊)を派兵 |
浜松 |
1936・8 |
浜松から台湾・屏東に飛行第14連隊(重爆)設立のために派遣、12月編成終了(嘉義) |
嘉義 |
1937・7 |
中国全面侵略開始により浜松から派兵、7・15派兵命令・動員。飛行第5大隊(軽爆2中隊)、飛行第6大隊(重爆2中隊)、独立飛行第3中隊(重爆1中)を編成し派兵。これらの部隊は翌年、飛行第31戦隊・飛行第60戦隊・飛行第98戦隊となる。 |
浜松 |
1937・12 |
第7連隊は動員計画と留守業務を担当、重・軽各1中隊を編成 |
浜松 |
1938・8・31 |
飛行第7連隊、飛行第7戦隊となる |
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浜松 |
1939・9 |
第7戦隊、3中隊編成へ |
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浜松 |
1940・2 |
60戦隊など戦線から将兵を帰還・補充 |
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浜松 |
1940・12 |
鉾田に陸軍飛行学校開設・39年におかれた浜松陸軍飛行学校の鉾田分校から設立。軽爆部門は鉾田へ。 |
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1941・7・30 |
関東軍特別演習の名により満州へと部隊の移動。飛行第7戦隊は7・30三方原から太刀洗・平壌をへて8・1公主嶺へ |
公主嶺 |
1942・9・12 |
9・6南方への出陣式、9・7地上部隊、9・12空中部隊出発。9・12公主嶺から南苑・大場鎮・嘉義・広東・海口・サイゴン・テンガ(シンガポール)・を経て、10・3カリジャッジ(ジャワ)へ。インド洋・ジャワ島周辺船団掩護と哨戒活動 |
カリジャッジ |
1942・11・2 |
マカッサル海峡 |
船団掩護・哨戒活動 |
カリジャッジ |
1942・12・4 |
クリスマス島 |
威嚇爆撃 |
カリジャッジ |
1942・12・6 |
スマトラ・パレンバンへ・12・9パダンへ。12・18カリジャッジへ。 |
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パレンバン |
1942・12・11 |
メンタワイ諸島 |
哨戒飛行 |
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1942・12・13 |
インド洋 |
索敵哨戒飛行 |
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1942・12・17 |
エンガノ島 |
策敵攻撃 |
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1942・12中 |
ココス島 |
偵察・爆撃 |
パレンバン |
1943・3 |
12戦隊の復帰により一部をアンボン島へ、パンダ海哨戒 |
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1943・3・27 |
スマトラ・メダンへ。索敵・哨戒、4・11カリジャジヘ。 |
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1943・4 |
ジャワ・スラバヤで索敵・哨戒 |
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1943・5・18 |
百式重への機種改変のため各務原・宇都宮をへて浜松へ、5月下旬シンガポールへ、6・10カリジャッジへ。5・30飛行第74戦編成のために100人がカリジャッジから転出。 |
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1943・6・10 |
パレンバン |
船団掩護(〜11) |
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1943・7・20 |
カリジャッジからスラバヤを経てラウチン・バボ分散移動、ホーランジアからニューギニア東ブーツへ。 |
ブーツ |
1943・8・12 |
ハーゲン |
飛行場 |
ブーツ |
1943・8・14 |
ワウ・サルス湖 |
砲兵陣地 |
ブーツ |
1943・8・15 |
ファブア |
飛行場 |
ブーツ |
1943・8・16 |
ファブア |
飛行場 |
ブーツ |
1943・8・17 |
ファブア |
飛行場 |
ブーツ |
1943・8・21 |
ファブア |
飛行場 この頃7戦隊の戦力は4機のみとなる。 |
ブーツ |
1943・8・31 |
ブーツ |
500キロ周辺索敵飛行 |
ブーツ |
1943・9・1 |
ウエーク |
船団掩護 |
ブーツ |
1943・9・4 |
ホポイ |
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ブーツ |
1943・9・6 |
ホホイ |
上陸付近 |
ブーツ |
1943・9・8 |
ホポイ |
上陸付近 |
ブーツ |
1943・9・10 |
ホポイ |
付近 |
ブーツ |
1943・9・13 |
ファブア |
飛行場 |
ブーツ |
1943・9・20 |
モミ・ファブア |
飛行場 |
ブーツ |
1943・9・21 |
ポポイ西方 |
船団 |
ブーツ |
1943・9・25 |
フィンシュハーフェン |
飛行場 |
ブーツ |
1943・9・26 |
ヘルツバッハ |
付近部隊 |
ブーツ |
1943・9・27 |
フィンシュハーフェン |
北西重砲陣地 |
ブーツ |
1943・10・5 |
フィンシュハーフェン |
飛行場 |
ブーツ |
1943・10・13 |
ファブア |
飛行場 17日までマサフ・カイアピット・フィッシュハーフェン方面空爆 |
ブーツ |
1943・10・15 |
カイアピット |
飛行場 |
ブーツ |
1943・10・9 |
マーカス岬 |
上陸艦船 |
ブーツ |
1943・10・23 |
サッテルブルク |
食糧投下・10・27にも投下 |
ブーツ |
1943・11・23 |
ジベバネン |
付近砲兵陣地 |
ブーツ |
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1943・12・12 |
マザブ |
飛行場 |
ブーツ |
1943・12・15 |
ランゲマーク湾 |
船団 |
ブーツ |
1943・12・16 |
マーカス岬 |
艦船 |
ブーツ |
1944・1・31 |
戦力の低下。7戦隊から約50名を61戦隊へと転属。4式重(キ67)への機種改変と雷撃訓練のために2月東ブーツから浜松へ、2・11到着 |
浜松 |
1944・9・4 |
鹿屋へ移動・10.21赤江(宮崎)へ移動・雷撃訓練。 |
鹿屋・赤江 |
1944・11・9 |
台湾・高雄へ。11・14,11・16索敵 |
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高雄 |
1944・11・19 |
フィリピン東方 |
艦船(雷撃) |
高雄 |
1944・11下 |
タクロバン沖 |
艦船 |
高雄 |
1944・12・16 |
赤江から香取へ移動(サイパン攻撃のため)、長距離飛行・高高度飛行訓練。1・15赤江に戻り、雷撃・夜間飛行訓練。 |
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香取 |
1944・12・25 |
サイパン |
アスリート飛行場 |
香取 |
1945・3・26 |
沖縄周辺 |
艦船 |
赤江 |
1945・3・29 |
九州東方 |
艦船 |
赤江 |
1945・4・2 |
喜界島周辺 |
艦船 |
赤江 |
1945・4・11 |
喜界島・沖縄周辺 |
艦船(〜4・12) |
赤江 |
1945・4・14 |
南西諸島東方 |
艦船 |
赤江 |
1945・4・16 |
南西諸島東方 |
艦船 |
赤江 |
1945・4・21 |
奄美大島東方 |
艦船 |
赤江 |
1945・5・5 |
沖縄周辺 |
艦船(〜6) |
赤江 |
1945・5・9 |
沖縄周辺 |
艦船(〜10) |
赤江 |
1945・5.14 |
九州東方 |
艦船 |
赤江 |
1945・5・16 |
沖縄周辺 |
艦船(〜17) |
赤江 |
1945・5・24 |
徳之島付近 |
艦船 |
赤江 |
1945・5・27 |
沖縄沖 |
北中飛行場沖艦船 |
赤江 |
1945・6・5 |
沖縄周辺 |
艦船 |
赤江 |
1945・6・7 |
沖縄周辺 |
艦船(〜9) |
赤江 |
1945・6・21 |
沖縄周辺 |
艦船(〜22) |
赤江 |
1945・8 |
6・29沖縄作戦失敗、本部を伊丹へ、中隊は公主嶺・群山・美保・亀山ほかに分散展開。ソ連参戦によりにより8・10公主嶺の中隊は亀山に、児玉で8・15。伊丹に集結、8・23飛行停止。 |
児玉・伊丹 |
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参考文献 |
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飛行第7戦隊史編集委員会『飛行第7戦隊のあゆみ』飛行第7戦隊戦友会1987年伊澤保穂『日本陸軍重爆隊』徳間書店1982年 |
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