飛行第98戦隊による空爆(1937〜45)
年月日 爆撃先 主な攻撃目標 拠点
1937・7・15 飛行第7連隊から独立飛行第3中隊を編成・天津へ派兵、 浜松
嘉義
1937・7・28 天津(第3中隊) 南開大学
1937・8・10 飛行第14連隊から独立飛行第15中隊を編成・華中へ派兵 嘉義
1937・9・17 上海(第15中隊) 大場鎮陣地 王賓
1937・9・22 河北(第3中隊) 鉄道
1937・10・1 太原(第3中隊) 飛行場
1937・11・3 太原(第3中隊) 城門、ほかに後廊珍・石家荘・山西省を攻撃
1937・11・11 洛陽(第3中隊) 飛行場 のち1回
1937・11・13 西安(第3中隊) 飛行場 のち2回
1937・11・24 鞏県(第3中隊) 造兵廠 のち1回
1937・12・9 南京(第15中隊) 中華門等
1938・1〜2 山東(第3中隊) 作戦協力
1938・5〜6 徐州 鉄道施設・市街 南苑
1938・8・2 独立飛行第3中隊と15中隊を統合し飛行第98戦隊を編成 王賓
1938・8・5 西安 飛行場 運城
1938・8下 盧山 2回
1938・9・ 武漢戦 8下、杭州へ。9上安慶へ 杭州
1938・9・2 大別山南・京漢沿線 ?陽湖・信陽での地上作戦協力
1938・9下旬 江北・江南 地上作戦協力 安慶
1938・ 漢口 飛行場(2派)
1938・10・19 長沙 飛行場
1938・11・7 衡陽 飛行場
1938・11・8〜9 衡山 軍施設・南岳軍拠点
1938・11・15 漢口へ 漢口
1938・12・26 重慶 市街地東部推測爆撃
1939・1・7 重慶 推測爆撃
1939・1・10 重慶 市街地東部推測爆撃
1939・1・15 重慶 市街地東部推測爆撃
1939・2・12 蘭州 東飛行場 運城
1939・2中旬 延安 軍官学校・市街 運城
1939・2・20 蘭州 東飛行場 運城
1939・3・6 西安 運城
1939・3・18 華中の地上作戦の支援へ、6月第3中隊を第60戦隊へと編入 杭州
1939・3・7 平涼・西安
1939・3・12 洛陽
1939・3・14 西安
1939・3・15 平涼
1939・4 山西作戦・?安作戦 洛陽も攻撃 彰徳
1939・9 奉天へ 97重1型に改変 奉天
1939・11 中・朝抗日部隊攻撃・訓練 敦化
1940・7・26 南方方面軍の指揮下へ
1940・8・10 フランス領インドシナ侵攻の交渉への威嚇飛行 海口
1940・8・24 桂林 飛行場・輸送機関 広東
1940・8・29 韶関 広東
1940・10・15 海口から嘉義を経て敦化へ 敦化
1941・6 岐阜へ、97重2型に機種改変、敦化へ(対ソ戦想定) 各務原
1941・6・6 関特演参加、のち平房へ 平房
1941・8・21 華北へ 南苑
1941・8・26 重慶・攻撃に向け運城へ 運城
1941・8・28 宝鶏 運城
1941・8・29 広元・保寧 市街・飛行場 運城
1941・8・30 重慶 市街 運城
1941・8・31 涼州 飛行場 運城
1941・9・4 潼関・渭南三原・咸陽 爆撃(演習をかねて) 運城
1941・9・12 西安
1941・9・13 南苑へ 南苑
1941・9・24 前山 抗日部隊
1941・9・28 張皮荘 抗日部隊
1941・10・2 鄭州 市内拠点
1941・11・13 南方へ 南苑から嘉義・海口へ 海口
1941・11 桂林・韶関
1941・12・4 サイゴンへ サイゴン
1941・12・7 タイ湾船団援護 サイゴン
1941・12・8 スンゲイパタニ 飛行場 サイゴン
1941・12・8 アルスター サイゴン
1941・12・9 ケダ 攻撃中止・タイ湾に投下
1941・12・11 ペナン ジョージタウン港
1941・12・13 クアラペスト・アナンバス島・シアタン島
1941・12・14 ビクトリアポイント 無電台
1941・12・14 シャンタン 市街
1941・12・22 ドムアンへ ドムアン
1941・12・23 ラングーン 総督政庁・電信電話局付近 ドムアン
1941・12・28 クアラペストへ移動
1942・1・1 シンガポール テンガ飛行場
1942・1・2 シンガポール センバワン飛行場
1942・1・4 シンガポール センバワン飛行場
1942・1・13 シンガポール 雨天推測爆撃
1942・1・14 シンガポール 市街推測爆撃 ケチル
1942・1・15 シンガポール 市街・セレター飛行場 ケチル
1942・1・17 シンガポール 市街中枢 ケチル
1942・1・18 シンガポール 市街・雲上推測爆撃 ケチル
1942・1・21 シンガポール 推測爆撃 ケチル
1942・1・23 パレンバン 飛行場 ケチル
1942・1・25 シンガポール セレタ飛行場
1942・1・27 シンガポール セレタ飛行場
1942・1・29 シンガポール センバワン飛行場
1942・1・30 ジョホールバル
1942・2・1 シンガポール 市街
1942・2・14 パレンバン 飛行場 クルアン
1942・2・15 シンガポール 市街砲兵陣地・司令部・市西南錫工場 ケチル
1942・2・23 オークランズ 飛行場
1942・2・25 メークテーラ 飛行場
1942・3・8 シンガポール市内見学・センバワン・セレタ爆撃状況 ケチル
1938・3・12 スマトラ 上陸作戦支援威嚇飛行 伝単撒布
1938・3・18 ナコンサワンへ ナコンサワン
1942・3・21 マグウエ 飛行場 ナコンサワン
1942・3・22 マグウエ 飛行場 ナコンサワン
1942・3・23 アキャブ 飛行場 ナコンサワン
1942・3・24 アキャブ 飛行場 ナコンサワン
1942・3・25 ドザバリ 飛行場
1942・3・28 サモンカン・へポロイレム 飛行場 ナコンサワン
1942・3・29 ロイレン 飛行場 ナコンサワン
1942・3・31 ラシオ 軍施設 ナコンサワン
1942・4・1 ラシオ・ローウィン チェンナイ
1942・4・3 マンダレー 市街・軍施設 ナコンサワン
1942・4・4 メークテーラ 主要施設 ナコンサワン
1942・4・8 マンダレー ナコンサワン
1942・4・9 ピンマナ 駅・倉庫
1942・4・10 タウンギー 市街
1942・4・12 メークテーラ 官庁街
1942・4・25 ミンガラドンへ ミンガラドン
1942・4・29 ラシオ 飛行場への挺身作戦(中止) トングー
1942・4・30 サゲーン
1942・5・1 タベイギン トングー
1942・5・2 ミンダン
1942・5・4 保山 市街 トングー
1942・5・5 保山 トングー
1942・5・6 ナバ 停車場
1942・5・8 チッタゴン 飛行場(陸軍航空最初のインド爆撃)                                 トングー
1942・5・9 チッタゴン トングー
1942・5・10 インパール 退路を爆撃 トングー
1942・5・17 インパール 市街・軍施設 トングー
1942・5・19 バタルブール 集落 トングー
1942・5・31 トングーからドムアンを経て6・1スンゲイパタニへ スンゲイパタニ
1942・7 岐阜で97重に20ミリ改良砲 各務原
1942・8・29 マラッカ海峡 対潜警戒
1942・8・30 マラッカ海峡 対潜警戒
1942・12・18 カルカッタ爆撃にむけ第1中隊はタボイ・2中隊はレグ・3中隊はミンガラドンへ
1942・12・20 カルカッタ 石油タンク
1942・12・23 カルカッタ
1942・12・25 カルカッタ 埠頭
1942・12・28 カルカッタ 埠頭東方軍施設
1943・1・15 カルカッタ トングー
1943・1・19 カルカッタ バッジバッジ油槽群 トングー
1943・ ・20 トンバイク 地上軍
1943・1・22 モンドウ 地上軍 タボイ
1943・1.23 チッタゴン 市街 トングー
1943・2上旬 スンゲイパタニへ スンゲイパタニ
1943・2・23 オークランズ 飛行場 メークテーラ東
1943・2・25 チンスキア・ディクボイ 飛行場 メークテーラ
1943・3・2 フェンニー 第3飛行場
1943・3・21 フェンニー 飛行場 トングー
1943・3・22 ランパン
1943・3・23 バザリー 飛行場
1943・3・25 ドバザリ 飛行場
1943・4・1 フェンニー 飛行場 ランパン・レグー
1943・4・5 アコーラ 飛行場 シュエボ
1943・4・28 昆明 飛行場 へホ
1943・5・15 昆明 飛行場 へホ・ランパン
1943・5・15 ラングーン支援 船団の援護 アロルスター
1943・6・18 スンゲイパタニからロクショウマウエ(スマトラ)へ・メダン・サバンに展開 メダン・サパン
1943・ インド洋哨戒 哨戒活動 サパン
1943・10・14 チッタゴン攻撃に向けてスンゲイパタニへ スンゲイパタニ
1943・10・20 チッタゴン 港・船舶 トングー
1943・10・25 コックスバザー 港・市街地
1943・11 ベンガル湾哨戒 哨戒活動 マウピ
1943・12・5 カルカッタ キタポールドッグ トングー
1943・12・26 チッタゴン 港・船舶・埠頭倉庫
1943・12 アンダマン港哨戒 哨戒 ロスマウエ
1944・1・29 日本へ移動、アロルスターから、サイゴン・海口・嘉義・那覇・新田原を経て浜松へ(2・6)
1944・2・8 鹿屋へ、5月整備教育浜松・機種改変訓練豊橋、7・10鹿屋へ戻る 雷撃訓練 鹿屋・豊橋
1944・10・12 台湾沖 (20機中半数を失う) 沖縄北
1944・10・14 台湾沖 (16機中無事帰還は1機) 2派の攻撃で26機を失い130余の死者、残存機は2機のみ。 沖縄北
1945・3・19 九州東方 夜間雷撃 鹿屋・群山
1945・3・20 夜間雷撃
1945・3・28 沖縄沖 太刀洗
1945・3・31 沖縄沖 太刀洗
1945・4・1 沖縄南方 太刀洗
1945・4・4 沖縄沖 太刀洗
1945・4・6 沖縄沖 太刀洗
1945・4・11 沖縄沖 太刀洗
1945・4・12 沖縄沖 沖縄戦で30数機・220人を失う 太刀洗
1945・4・27 沖縄沖 太刀洗
1945・4・28 沖縄沖 太刀洗
1945・4・30 沖縄沖 太刀洗
1945・5・4 赤江へ 赤江
1945・5・5〜10 沖縄沖 夜間攻撃 5・24義烈 赤江
1945・5・27 沖縄沖 赤江
1945・7・7 児玉へ  8・23解散式 児玉
参考文献
飛行第98戦隊誌編集委員会『あの雲のかなたに 飛行第98戦隊誌』1981年
伊澤保穂『日本陸軍重爆隊』徳間書店1982年