運輸・通信・情報関連部隊 |
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独立飛行第31中隊 | ||
1944・6・20 | 飛行第58戦隊(重爆)の1中隊から電探中隊を編成、(水戸) | |
1944・11 | フィリピン・バンバンへ | |
1945・1・14 | 空中部隊台湾へ、地上部隊北部ルソンへ(2月ツゲガラオへ) | |
1945・5・1 | 臨時歩兵第2大隊に編入 | |
1945・6・15 | 斬込隊となる | |
1945・9 | ルソンで停戦 | |
西部軍直協飛行隊 | ||
1942・12・30 | 柏で編成 | |
1943・1 | 菊池飛行場へ(〜43・9) | |
1943・9 | 芦屋飛行場へ(〜44・3) | |
1944・3 | 浜松で対潜哨戒・船団援護・洋上航法訓練 | |
1944・4・8 | 群山へ、6月独立飛行第44中隊に改編 | |
陸軍航空運輸部第4飛行隊 | ||
1941・9 | 陸軍航空輸送部の編成 | |
1944・1・31 | 各務原で第4飛行隊編成、 | 各務原 |
1944・5 | 浜松に移駐(〜7) | 浜松 |
1944・2 | ニューギニア・マレー・ビルマの基地への補給(〜44・8) | 各務原・浜松 |
1945・4 | 華中の基地への補給(〜45・7) | 浜松 |
1945・8 | 敗戦・浜松 | 浜松 |
航空通信第6連隊 | ||
1941・7・20 | 浜松で編成、出発、7・31新京着 | 浜松・新京 |
1942・6・1 | 第6航空通信連隊に改称 | 新京 |
1944・5 | 新京発、7〜9マニラ上陸、本部をシライへ、主としてビサヤ地区に展開 | ビサヤ |
1944・10 | 第2飛行師団主力とともに北部ネグロス飛行場群へ | ネグロス |
1945・9 | 敗戦・主力ネグロス島 | ネグロス |
気象第4中隊 | ||
1941・7・20 | 浜松で独立気象第4中隊編成 | |
1941・7・31 | 衙門屯着。野戦気象第2大隊に編入・気象第4中隊へ | |
1941・10・8 | 高雄へ(〜1942・2)大隊本部は12月フィリピンへ。 | |
1942・3・4 | ジャワへ | |
1942・7・31 | ラングーンへ | |
1942・9・30 | 第3気象連隊に編入(シンガポールで各気象隊から編成)、第1大隊マレー・スマトラ・ジャワ・チモール、第2大隊ビルマ・タイ・インドシナに展開 | |
第4対空無線隊 | ||
1944・7・25 | 編成令、下館 | |
浜松など7箇所に展開 | 浜松他 | |
第56対空無線隊 | ||
1945・2・28 | 浜松で編成 | 浜松 |
1945・3・3 | 浜松発、3・15済南着,5・13済南発、5・20平壌着 | 済南 |
第62対空無線隊 | ||
1944・7・20 | 浜松で編成 | 浜松 |
1944・8・10 | 浜松発,8・25台北着、台湾各地に展開 | 台湾 |
第2飛行師団司令部空地連絡中隊 | ||
1943・12・25 | 浜松で編成・航空と地上との無線通信・対空通信、45・5・17復帰 | |
第4飛行師団司令部空地連絡中隊 | ||
1943・12・25 | 浜松で編成・航空と地上との無線通信・対空通信、45・5・17復帰 | |
第1航空情報連隊 | ||
1942・5・3 | 水戸で編成〔航空情報要員の教育〕本部・練成中隊3・教育中隊4・材料廠 | 水戸 |
1942・ | 磐田に移駐、43年改編〜警戒要員教育4中隊・目視情報要員教育3中隊へ。航空情報連隊・航空情報隊を各地に派兵 | 磐田 |
第2航空情報連隊 | ||
1943・7・31 | 磐田で編成 | 磐田 |
1943・11 | ミンガラドン着・11・30第16航空情報隊を編入。 | ミンガラドン |
1944・4・30 | 警戒中隊2を追加 | |
1945・3 | タイ・インドシナへ移動(〜5) | タイ・他 |
第7航空情報連隊 | ||
1944・4・28 | 磐田で編成,44・5・29門司発 | 磐田 |
1944・7 | メダンへ・北部スマトラ防空 | メダン |
1944・7・31 | 主力タンジュンプーラへ。 | タンジュンプーラ |
第10航空情報連隊 | ||
1944・7・20 | 磐田で編成 | 磐田 |
1944・10 | 主力マニラ上陸、一部サンフェルナンド、本部材料廠はマニラ,中隊は各地 | マニラ |
1945・2・3 | 本部と一部中隊はイポへ。2月以降中隊は地上戦へ | イポ |
第4航空情報連隊 | ||
1942・11・29 | 磐田で第4航空情報隊の編成 | 磐田 |
1942・12・8 | 宇品発、12・29ラバウル上陸。本部ラバウル、ラエ・ツルブ・ウェアク・マダンに展開 | ラバウル他 |
1943・8・10 | 主力ニューギニアへ | ニューギニア |
1943・12・5 | 第4航空情報連隊へ改編(ウェアク) | |
1944・1・20 | 警戒中隊2・材料廠を増設 | |
1944・3 | 主力をビアクとホランジア付近に移動、西部ニューギニア・濠北方面情報網強化 | ビアク・ホランジア |
1944・6 | サルミ周辺の戦闘・警備 | サルミ |
1946・6 | 名古屋へ復員 | |
第8航空情報隊 | ||
1943・11・29 | 磐田で編成、本部・情報中隊1・警戒中隊2、材料廠 | 磐田 |
1943・12・27 | 宇品発・44・2・2アンボン着、情報中隊本部はリアン、中隊は濠北方面島嶼、警戒中隊(現地編成)はラウテン・小スンダ列島方面に展開 | リアン他 |
1944・8・3 | マカッサルに移動 | マカッサル |
1945・3・28 | ジャワへ | ジャワ |
第9航空情報隊 | ||
1944・4・28 | 磐田で編成、本部・警戒中隊2 | 磐田 |
1944・5・12 | 磐田発、6・1マニラ着。 | マニラ |
1944・7 | 第1中隊バコロド・第2中隊マニラ付近に展開 | |
1945・1 | 第2中隊、集成通信隊の一隊となり、クラーク山中へ | クラーク |
1945・2 | 本部・第2中隊本部、イポ付近で戦闘 | イボ |
第18航空情報隊 | ||
1944・9・18 | 磐田で編成 | 磐田 |
1944・9・25 | 本部・1中隊博多発・被爆し台湾へ | |
1944・10〜11 | 第2・3中博多発。12月パレンバン着。本部パレンバン,バンカ島・クチン・タンバランに展開 | パレンバン他 |
第1航測連隊 | ||
1942・4・22 | 水戸で編成、4月浜松へ移駐 | 水戸 |
1942・8 | 第3・第4中隊編成 | 浜松 |
1942・11 | 浜松・小豆餅の新隊舎へ | 浜松 |
1942・12 | 第5〜第8中隊編成 | |
1945・5 | 空襲により周辺疎開 | |
1945・7 | 滋賀県日野町に疎開 | 日野 |
第6航測隊 | ||
1942・12・31 | 第1航空情報隊の航測中隊(のち第2中隊)ラバウル上陸 | |
1943・4・29 | 浜松で本部・第1中隊を編成、6・24ラバウル上陸 | 浜松 |
1943・6・30 | 編成完結 | |
1943・7 | 本部ウェアクへ、第1中隊はニューブリテン島、第2中隊はニューギニアに展開 | ウエアク他 |
1944・4 | 主力ホランジアに移動、連合軍のアイタぺ上陸とあい、全員死亡。 | |
第9航測隊 | ||
1945・2・18 | 浜松で編成・2・19浜松発、3・13台北着。台湾各基地に航測分隊を展開。 | 浜松・台湾 |
第1航空路連隊 | ||
1941・10・30 | 浜松で編成。本部・航空路中隊2・固定無線中隊1・材料廠 | 浜松 |
1941・11・8 | 大阪発。12・6サイゴン着。航空路の保安と通信担当。本部サイゴン、第1中隊インドシナ、第2中隊マレー、第3中隊スマトラ・ジャワ〔12・5編成)、 | サイゴン他 |
1942・2・25 | 飛行班・第4中隊編成〔ボルネオ) | |
1943・8・31 | 復帰・第2航空路部に編入〔シンガポールで第1航空路連隊と南方航空輸送部一部から編成)、シンガポール・メダン・ポートプリンセス・に展開。マレー・ビルマ・タイ方面の航空路勤務担当。 | シンガポール |
1944・8・20 | 復帰・南方航空路部に編入(マニラで、第1・第2航空路部・第5飛行場司令部を統合) | マニラ |
1944・12・22 | マニラからサイゴンへ(45・1・2) | サイゴン他 |