食べる

地引 浩

 

 

食べる 食べる

あなたは 食べる

去年と一昨年と同じように

ずーっと昔から そうだったように

食べる 食べる

 

あなたが 耕し 種を蒔き

水をやり 草をとり

汗を流して育てたものだから

食べれないことなどあるものか

 

ほら

なすはなすらしく

きゅうりもきゅうりらしく

あんなに艶やかでみずみずしいではないか

どうして「食べるな」なんて言えるのか

 

 

食べる 食べる

あなたは 食べる

去年と一昨年と同じように

ずーっと昔から そうだったのだから

食べる 食べる

 

あなたは 食べる 食べる

身体のなかの放射能が増えている と聞いても

あなたは 食べる 食べる

食べることを止めはしない

あなたが慈しんだものだから

食べなければ 申し訳ないではないか

 

食べる 食べる

あなたは 食べる

去年と一昨年と同じように

ずーっと昔から そうだったように

食べる

 

フクシマゲンパツから

三十三キロの菜園の

あなた

(2012.5.16)

「安全」という電車

地引 浩

 

 

「安全」という電車の

キップを買う前に

五分でいいから

目を閉じて疑ってみよう

本当に 子供たちが自由に遊べる

[幸福]行なのだろうかと

 

 

「復興」という電車に

乗ろうとしているのなら

ベルがなる前に

深呼吸して確かめてみよう

本当に 親たちが過労死などしない

[幸福]行かどうなのかと

 

 

「安全」という電車に

乗ってしまったのなら

ドアの閉じるまでに

いま一度考えてみよう

本当に 放射能に汚れていない

[幸福]行があるのだろうかと

 

(2012.6.1)

名 前

地引 浩

 

わたしには 名前がある

わたしには わたしだけの名前がある

 

わたしが名前で呼ばれなくなって二年になる

あの頃まではわたしも確かに名前で呼ばれていた

働いて働いて働きすぎて 身体を壊して 

あの会社を辞めなければならなくなったときまでは

 

八ヶ月通院した

「もう大丈夫 仕事していいよ」

先生が保証してくれて

ハローワークで見つけた工場で働き始めた

 

本当は正社員の仕事があればよかったのだけれど

一度会社を辞めて仕事を替えると

ケイヤクとかハケンでないと働き口がなくなってしまう

わたしは その工場の社員ではなくハケンになった

 

工場はどこも同じような匂いがする 懐かしい 

仕事は単調だけど 急がないと追いついていけない

前の会社ではがんばってリーダーにもなった

今は指示されたことを遅れずにやるのがわたしの仕事だ

 

「ハケンさん」「◯◯技研さん」

工場の班長とか技術の社員は わたしをそう呼ぶ

胸の名札にはわたしの名前も書いてあるけれど

わたしは「ハケンさん」か「◯◯技研さん」になった

 

◯◯技研の事務所には面接のとき一度だけ行ったことがある

工場にはネクタイをした担当の人が週に一度来る

何かあればケイタイで担当に連絡することになっている

給料は銀行振り込みだから「◯◯技研さん」といわれると当惑してしまう

 

わたしには 名前がある

「ハケンさん」「◯◯技研さん」と呼ばれたくない

夜勤の時に自転車のペダルをこいでいると涙が止まらなくなる

夜の闇にわたしの名前が溶けていってしまうからだ

 

わたしが名前で呼ばれなくなって二年になる

わたしには 名前がある

わたしには わたしだけの名前がある

工場では わたしに名前があってはいけないのだろうか

 

わたしには 名前がある

わたしには わたしだけの名前がある

(2012.8.20)

ぼくたち きみたちの戦争

地引 浩

 

 

空は青

F15の爆音が轟く

今日は年に一度のエアーフェスタ

戦争というテーマパークに ようこそ

AWACSからF15まで

オスプレイはいないけど PAC3も近くで観れる

ブルーインパルスの曲技飛行もあるよ

遠くで観る戦争 今日は日曜日

「ぼくたち きみたちの戦争」

 

空は青

F15の爆音が轟く

今日は年に一度のエアーフェスタ

はるばる遠方から ようこそ

豊橋 品川 岐阜 川崎 沼津 一宮 湘南 足立 

三重 名古屋 静岡 石川 千葉 山梨 伊豆 豊田 

富士山 岡崎 尾張小牧 三河 練馬 鈴鹿 浜松 習志野

とぎれなく車列は続く 続く 続く

「ぼくたち きみたちの戦争」

 

空は青

F15の爆音が轟く

今日は年に一度のエアーフェスタ

戦争というテーマパークに ようこそ

父さんと男の子 孫を連れた熟年家族

手をつなぐ恋人たち ベビイカーを押す若夫婦

こどもたちの手を引くお母さん 自転車の中学生たち

あこがれの戦争 今日は日曜日

「ぼくたち きみたちの戦争」

 

戦争が近くまでやってきた

 

(2012.11.18 自衛隊浜松基地正門前にて)

世界文化遺産     地引 浩

 

ぼくは富士山が大好きです。冬の晴れた日に校舎の三階からずっと遠くの富士山を見ることができます。白い雪の帽子をかぶった富士山にぼくの胸はわくわくします。新幹線で東京に行ったときに窓いっぱいに見えた富士山は最高でした。曇っていて少しも見えないときにはほんとうにがっかりします。

 

富士山は昔からぼくたちの先祖の信仰の山だったと先生から教わりました。江戸時代には人々が連れだって富士山に登ったそうです。女の人は登ることができなかったと聞きました。昔の絵にも富士山がたくさん描かれていて葛飾北斎という人の浮世絵の富士山はどれもすごいと思います。

 

そんな富士山が世界遺産にならなくてとても残念な気持ちになりました。しかし今度、世界文化遺産になれるかもしれないと県の人たちががんばっているのでぼくも応援しています。

 

小学校にあがるまえ、富士山の近くの自衛隊の演習場に家族で見学に行ったことがあります。富士山がすごく近く、大きく見えました。そのぼくたちのすぐ目のまえで戦車が走り回り、大砲も撃ってくれました。ロケット弾も発射されてとても感動しました。ヘリコプターの編隊も低空から敵を攻撃していました。富士山をバックにした戦争の訓練はまるで映画のように見えました。

 

今度、その演習場にアメリカ軍の最新鋭のオスプレイという飛行機が訓練にくるそうです。テレビで言っていました。富士山の目のまえのあんな広いところで訓練できるなんてアメリカの兵隊も幸せだと思います。ぼくたちのひいおじいさんのときにアメリカと戦争をしたそうです。それで日本が敗けたのですが、それからずっとアメリカが日本を守ってくれています。日本の沖縄という島にはアメリカ軍の基地がたくさんありますが、沖縄の人たちの心配や苦労を考えれば、オスプレイが富士山のまわりの演習場で訓練することはとてもいいことだと思います。

 

富士山を世界文化遺産にするための宣伝に富士山のまえを編隊で飛ぶオスプレイを写した写真を使えば、世界の人たちは感動して賛成してくれると思います。富士山は平和の山だからです。

「しんちゃん」「しんこ」

二〇年前に逝った友へ

地引 浩

 

 

しんちゃん ぼくらはあなたのことをそう呼んだ

しんこ もっと親しく想うときはそう呼んだ

 

しんこ しんちゃん 

あのころ いつもあなたはぼくらといっしょだった

別々の道があり それぞれを歩んでいても

こころの中では ずっと同じ道を歩いていた

 

同じ空気につつまれ

同じ悲しみや 驚きや 嬉しさや 

同じ怒りを感じていた日々があった

生きていることの意味を 確かめ合っていたんだ

 

しんちゃん あなたは かなり不器用で

ちょっとドジで すごくシャイなひとだった

しんこ あなたは 強がっていても

純粋すぎて きずつきやすいひとだった

 

あなたが生きた時間を ぼくらも生きてきた

あなたが生きれなかった時間を ぼくらは生きてしまった

 

そのことで

あなたが見なかったものを

あなたが感じとっていたものを

にんげんの世の 終わりのはじまりを

ぼくらは見てしまった

 

だから 言ったろう

あなたは 真顔で きっとそう語るだろう

ひとには

やってはいけないことがある

あってはならないことがある

ひとは

つつましく暮らしていければいいのだ と

あなたは きっとそう言うだろう

 

見えないもの

地引 浩

 

 

見えないものに

心を震わせる子らがいる

見えない明日に

絶望するしかない若者がいる

見えない未来を

 諦めようとする人々がいる

 

あなたがたは はるか離れた地から 

泣くのはよそう とでも言うのか

希望はきっとある とでも告げるのか

がんばればなんとかなる と諭すのか

 

そこで暮らし 息をし

 渇きを癒し 食事をし

人々は 確実に見えないものに

 汚れ 蝕まれているというのに

 

なぜ ぼくらは大きな声で言えないのか

見えないものを 怖れ 怖れ 怖れ

  いくら怖れても  怖れすぎることはない と

そこで暮らすのは もうやめよう と

 

なぜ ぼくらは 申し出ることができないのか

せめて子らや若者たちにだけでも

少しでも汚れていない土地や 

少しでも確かな希望や未来を と

 

ほんとうに申し訳ないけれどと

人々に申し出ることができないのか

 

(2013.3.13福島県県民健康管理調査結果の報に)