最 後 の 宿 題
生 駒 孝 子
「ヒロシマへ行っていない」
それだけが心残りだと、父は呟いた。
庭には若葉がむせるように上気していた。
新盆の休みが取れるとわかった日の午後、
せきこむように父に電話する。
「明日ヒロシマへ行こう!」
思い立ったが吉日。
父は電話の向こうで苦笑いをしていただろう。
だが、父も負けてはいなかった。
「泊まりは宮島がいいな。」
神の島から渡るヒロシマに
父は何を見出していたのか。
「列車とホームの間に落ちたことがある。」
継母は心配しながら、渋々父を送り出した。
ジリジリと肌を焦がす太陽が約束されたような
朝、私たちは最初で最後の父娘二人の旅を始めた。
広場に連ねてある原爆投下のパネルを見て歩く。
歩き始めたばかりの赤子の足取りだ。
陽に焼けた父の顔に刻まれた深い皺に
涙が細い糸になって吸い込まれていく。
骨だけがあらわに残るドームを見上げて
父は茫然と動かない。
自由を失った指先だけが
細かなリズムで生命の証を刻んでいた。
私にもやがて訪れる「やり残したことを振り返る日」
今はまだ」わからない自分自身への最後の宿題に
私も果敢に挑んでいこう。
遺していく者たちへ、凄絶な魂の躍動を
刻んでいくのだ。
あのヒロシマを見据えた父のように
ひとつだけ、わかっていることがある。
私はその日、この裁判を思い出すことはない。
( 2008 ・ 1 ・ 25 )