桜 咲 く 春

                生 駒 孝 子

 

 

息子の就職の内定をいただいた。鬼が笑いそうだが、

桜咲く気分である。

春の足音が高らかに聞こえ始めた頃、進路に悩んだ

    少年が見ず知らずの男性を駅のホームから突き落とし

    た、という報道があった。どんな理由があろうと許さ

れることではない。それでも私は彼が狂気に陥った背

景を思ってしまうのだった。

     四年前、勤める会社を追われそうになった。その頃、

    何度も夢を見た。

『もう大学に通わせるお金がない。』

    息子の足元で額を床にこすりつけて謝った。顔を上げ

られぬまま、いつも夢は醒めた。

     ああ、夢でよかった、と自分の気の小ささを自嘲し

    て呟いた。

「大丈夫、まだ笑える。」

「大丈夫、まだ笑える。」

「大丈夫、まだ笑える。」

    呪文はいつまで効くのだろうか。

     一日一日、誠実に働けば、愛する人と温かな家庭を

    持ち、安心して子を産み、育て、老いていくことがで

    きる。

「失われた十年」の若者たちはそんなささやかな幸せ

の選択にも余程の強運が要る。一時の幸運を手にした

者たちも、薄氷を踏む思いの日々の中で大切な何かを

失っていく。

     武器を買う金はあっても民の生活を守る金はないと、

    口には出さない権力者たち。過去最高の収益を上げて

    分配はしない大企業 。「他人よりまし」な満足感を求

    めて貶めあう労働者たち。

     闘っていこう、そのまやかしをすべての人が知るた

めに。闘っていこう、武器を手に取らないために。闘

っていこう、人としてあたりまえの生活を取り戻すた

めに。

   「どんなに冬が長く厳しくても、桜咲く春はきっと来る。

    きっと来ると信じられる。」

     少年の心に、息子の心に、ニッポン人の心に、そん

    な思いが生き続けるよう祈る。