生 駒 孝 子

 

 

「ああ、ちょうどいいところに来たな。」

   お得意さんに廃業の挨拶に行くところだ、と父は助手席のドアを開けた。

   父は口の重い、作り笑顔のできない人だった。

「旭ちゃんはホントにお人好しなんだから。」と妹に揶揄されるほど

商売下手な人だったようだ。

嫌々自転車屋を継いだ三男坊である。

70歳を過ぎて病を得た父は、バイクを操れなくなっていた。

   

配達用のバイクを買ってもらっていた餃子屋へ向かう。

   父は大将に、愛想のない袋に入れたエンジンオイルを差し出し、

深々と頭を下げた。

若大将は「 親父さんには父の代から世話になった。 」と

労ってくれた。

「ちょっと待って。」の言葉に足を止めると、

若大将は山ほどの餃子を持たせてくれた。

   私はその日、手帳にこう記した。

  『父がどんな仕事をしてきたのか、

どんなおつきあいをしてきたのか偲ばれる。

   誇りに思う、武骨な父を。

終える時には、私もこうありたい。』と。

   

三年後、父が灰になるまで見送ってくれた女性は

父娘二代のお得意さんだった。

温かいものが胸を満たしてくれる。

一方で、昔の同業者仲間が岐阜提灯の前を素通りしていった、と

継母は口惜しい表情を浮かべた。

   今、私があの日の手帳に書き加えるとしたら、こう記すだろう。

『しかし、黒い縁取りの中に私の名を見つけ、

舌を出して笑う人がいるのも悪くはない。』

  父はいつものように苦い顔で笑ってくれるだろうか。

困ったやつだ、でも、まあ俺の娘だで、しょうがないな、と。