「レイコさん」      生駒孝子

 

 

その夜あなたは、私の運転する大型トラックの前に飛び出してきた

助手席のドアにとりつき「上がれないから手伝って頂戴!」と私に命令する

そして住所も分からない娘さんのところへ連れて行けというのだ

私は完全にパニックだ

「おばあちゃん、このトラックでどこかに連れていってあげることはできないのよ」

なんとかなだめなくては

 

仕方なく助手席におばあちゃんを乗せ、路肩にトラックを寄せる

私は口実をつくってトラックを降り、警察に迎えに来てもらえるよう会社に電話をする

今度はおばあちゃんをここに留めなくてはならない

 

「レイコさん、綺麗なお名前ですね」私が名前を復唱すると、レイコさんは少し戸惑って「そんなことないけど・・ありがとう」と返してくれた

そうあなたはとても綺麗好きな人だったに違いない

レイコさんはまとめ上げた髪に簪をさしている

簪は冷たい風にも少しも揺るがず髪に留まっている

その飾りは今は消しゴム付の鉛筆になってしまったけれど

 

農道の向こうから赤色灯が近づいてくる

「30分か 何とか納品に間に合いそうだ」私は心秘かに安堵する

 

パトカーから降りた婦警さんは幼い子どもを叱りつけるように言い放った「レイコさん、さっき送ったばかりでしょう!家から出ないでっていったじゃない!」

レイコさんはもはや抵抗する気配もない

「ほら、運転手さんに迷惑かけちゃだめでしょ、降りなさい!」

レイコさんはあぶなかしい足取りでトラックを降り、うなだれて婦警さんに続く

私は一緒に叱られたお姉ちゃんのように小さな声で、レイコさんの背中に「レイコさん、婦警さんの言うことよく聞いてね」というのが精一杯だった

 

レイコさん、あなたはどうして自分を失う時を持ち始めたのだろう

 

何十年か時が過ぎて、あの弾けるような肌の婦警さんも思い出すことがあるだろうか

レイコさんの後ろで小さくなっていたおばちゃん運転手が何に怯えていたのかを

想像力             生駒孝子

 

遠隔操作ウイルスの誤認逮捕から始まって、長く冤罪に苦しんでいる人の

話を友と電話する

「他人事じゃないよね」と私が言えば

「そうだそうだ、恐いよな」と彼も相槌をうつ

「でもさあ、疑われた人にも少しは其れなりの理由があるんじゃないの?」

ああ、彼はとても気のいい男友達なのだが

 

苦い珈琲を飲みながら、従軍慰安婦問題を旧知の友と語る

「同じ女性として許せないよね」と私が息巻けば

「不幸なことだけど、時代、だと思うわ」となだめられる

ああ、彼女は信頼の於ける賢い親友なのだが

 

母と囲む食卓で、沖縄の基地問題を取り上げるニュースが流れる

私が「辺野古の海はとても貴重な生物が多いらしいよ」と付け焼刃の知識を披露すれば、

「でもねえ、沖縄の基地はしょうがないんじゃないの?」と母が困った顔をする

ああ母さん、沖縄はとてもいいところだって言ってたよね?

 

航空ショーに空を仰ぐ親子連れに、喉まで出掛かった言葉を飲み込む

「ねえ、その空を舞うのがオスプレイであっても、そのままシャッターを切り続けますか?」

 

「ご馳走さま」サービス券を使って百四十円でうどんを食べた私にも、丼を洗いながら満面の笑顔を向けるおねえさんがいる

彼女の笑顔は、いったいいくらの時給で支えられているのか

ああ、いくら食費を切り詰めたいからといって

 

「イマジン」を歌うひとは世界中にいるのに

「イマジン」は今日もラジオから流れてくるのに

 

私には「想いを同じく感じてくれる人を増やすにはどうすればいいのか」

その想像力が足りない