9・19軍人軍属の遺骨を家族の元へ!厚労省交渉

●9・19厚労省交渉

2025年9月19日、軍人軍属の遺骨を家族の元へ!厚労省交渉が衆議院会館で行われた。この交渉は「戦没者遺骨を家族の元へ」連絡会、太平洋戦争被害者補償推進連絡会、遺骨奉還宗教者市民連絡会の呼びかけでおこなわれた。

交渉では「戦没者遺骨を家族の元へ」連絡会と太平洋戦争被害者補償推進連絡会は韓国人軍人軍属のDNA鑑定を行うように求めた。これまで厚労省は8600体ほどの鑑定依頼のうち7200体ほどの鑑定を終えている。厚労省は鑑定数が多いことを理由に韓国人のDNA鑑定を拒んできたが、いまはその余地があるわけである。ところが厚労省は、DNA鑑定は遺骨の返還に関わることであり外交交渉を進めて適切に対応すると答えた。あらたに返還(外交)をもちだしてDNA鑑定をしない口実としたのである。

これに対し「身元の特定から始めればいい」「返還協議なしで米兵の遺骨は速やかに返すのに韓国人はしないのか」「遺骨返還への責任を感じないのか」「80年間返そうとしない体質は変わっていない。人として見ていない」などの批判が出た。

本来、身元の特定と返還の方法はセットにすべきものではない。交渉では厚労省の消極的な姿勢、無責任な姿があらわになった。朝鮮人軍人軍属の動員数は37万人を超え、死者は2万人以上ある。アジア太平洋各地に残る日本人とされる軍人軍属の遺骨には朝鮮人の遺骨が必ず含まれている。遺族の高齢化がすすむなか、早急な鑑定の実行が求められる。

遺骨奉還宗教者市民連絡会は東京の祐天寺の遺骨について、浮島丸275体、朝鮮北部出身者425体、壱岐天徳寺の遺骨の返還について問いただした。厚労省は返還に際しては、外交上のやり取りが必要とし、主体的に責任をもって返還をするという姿勢を示さなかった。祐天寺の遺骨拝観については遺族の要望があれば個別に対応するとした。

●厚労省の遺骨返還に関する歴史的責任

未返還朝鮮人遺骨に関する厚労省の発言を聞くと、返さないための口実を並べているにすぎない。そうではなく、大切なのは、誠意をもって返すための論理を構築することだ。遺骨返還による友好の扉を閉ざしているのが、厚生(人々のヘルスとウェルヘア、健康と福祉)を担当する省であることに問題がある。遺骨返還を求める市民と返そうとしない国家公務員の溝を埋めたい。厚労省は歴史的な責任を自覚し、積極的に行動してほしい。厚労省の遺骨返還に関する歴史的責任について5つあげてみよう。

1 軍人軍属の遺骨の積極的返還に関する責任

陸軍海軍へと徴兵、徴用された朝鮮人の軍人・軍属は約37万人、死者は2万人を超えた。敗戦により陸海軍は解体し、陸軍は第1、海軍は第2復員省となり、その後の業務を担った。業務は厚生省の引揚援護庁に移管され、引揚援護局(1954)、援護局(1961)、社会・援護局(1992)と変遷した。厚労省は軍人・軍属の動員処理と遺骨返還の業務を継承している。遺骨を自ら、積極的に返還する歴史的責任を負っているのである。

2 朝鮮人の労務動員を推進した責任

厚生省は1938年に内務省の衛生局・社会局が分離して設置されたが、国家総動員の動きでのことであり、労務動員、国民動員を担った。厚生省勤労局の下には動員部が作られ、企画課、登録課、動員課が置かれた。朝鮮からの動員も担い、厚生省が各企業への動員数を承認した。朝鮮人動員の1939年の通牒「朝鮮人労務者内地移住に関する件」は内務次官と厚生次官の名で出された。厚生省は労務動員の責任部署であった。いわゆる徴用工は戦時下、厚生省による動員の結果である。その遺骨についても積極的に返還する歴史的責任がある。

3 産業報国会を作って多数の殉職者を生んだ責任

大日本産業報国会は1940年に全国組織となったが、政府が労働組合を解散させ、戦争に動員するための組織だった。決死増産を煽動し、現場で過酷な労働を強いた。結成時の総裁は金光庸夫(つねお)厚生大臣であった。大日本産業報国会は1942年に「殉職産業者名簿」を編纂している。300頁を超えるが、6000人を超える労働者の事業所名、氏名、住所、遺族名、連絡先が記されている。炭鉱では朝鮮人の名が多数みられる。42年2月の長生炭鉱の死者も含まれている。厚生省には産業報国、決死増産を語り、殉職者を多数生んだ責任があり、厚労省はその遺骨があるならばそれを集め、返還する歴史的責任がある。

4 労務統制を強化し労働を強制した責任

1938年国家総動員法、1939年国民徴用令と天皇主権の下で総力戦体制により労務統制がすすんだ。1941年12月8日には労務調整令が出され(翌年1月10日施行)、炭鉱など主な現場では自由に転退職できなくなった。逃亡すれば逮捕され、処罰された。1944年には主要な企業で軍需徴用がなされた。戦時下、労働者の権利は奪われ、労働が強制された。動員された朝鮮人は募集であり強制ではないなどと喧伝する歴史否定論者がいるが、当時の労務統制の歴史への無知を示すものだ。現憲法での認識では、苦役と奴隷的拘束が支配的な社会であり、強制労働によって戦争政策が維持されていたのである。それを厚生省勤労局は主導したのであり、朝鮮人遺骨はその結果である。厚労省は強制労働、労働の強制性を認め、遺骨を返還する歴史的責任がある。

5 戦後、日本国憲法に反して軍人軍属死者をヤスクニに合祀した責任

戦死したある朝鮮人軍属(海軍施設部工員)の軍属個票をみると、青い丸印で靖国神社昭和34年(1959年)合祀手続済とある。その横には縦長の印が押され、34年(1959年)10月17日、靖国神社合祀済とある。この個票は厚生省の引揚援護局が管理していたものであり、厚生省自らが靖国神社への合祀手続きをしていたことがわかる。厚生省は、遺族に連絡もせず、本人の宗派を無視し、政教分離原則に反して合祀をすすめたのである。このような行為は日本国憲法違反であり、この過去を反省し、撤回すべきである。援護活動はヤスクニに合祀することではなく、遺族に死者の情報を伝え、遺骨を積極的に返還する活動を行うことである。今残っている遺骨については早急に返還すべきである。厚労省はヤスクニ合祀を撤回する歴史的責任を負う。

このように厚労省は、軍人軍属の遺骨の積極的返還に関する責任、朝鮮人の労務動員を推進した責任、産業報国会を作って多数の殉職者を生んだ責任、労務統制を強化し労働を強制した責任、戦後、日本国憲法に反して軍人軍属死者をヤスクニに合祀した責任、これらの責任を継承している。その歴史的責任を自覚し、遺骨の返還を積極的に進めるべきである。それが国家公務員としての責務である。遺骨の声なき声を聞き取ってほしいと思う。       

●ノー!ハプサ第3次訴訟提訴

 

同じ9月19日には、ノー!ハプサ第3次訴訟の提訴があった。この訴訟は韓国人軍人軍属が靖国神社の合祀されていること対し、その取り消しを求めるものである。韓国語で合祀をハプサと読む。東京地裁前には支援者40人ほどが集まった。

訴状では、第2次訴訟で出された2025年1月7日の最高裁判決の三浦裁判官の反対意見を踏まえ、韓国人軍人軍属をヤスクニに合祀した国と靖国神社の行為を批判し、靖国神社に合祀の中止、国による靖国への情報提供の撤回、両者にその謝罪と賠償を求めるものである。

この日は、陸軍軍属として中国に動員され戦死した朴憲泰さんの孫の朴善燁さんも参加した。朴さんの父は在韓軍人軍属裁判の原告であり、祖母はノー!ハプサ第1次訴訟の原告だった。朴さんは遺族に合祀の通知はなかった。合祀しておきながら靖国神社は面顔を拒否した。日本の反省と謝罪、原状回復、再発防止を求める。親世代の闘いに決着をつけたいと思いを語った。

他の原告にはニューギニアのギルワ、南洋のエニウェトク(ブラウン)、パラオでの遺族がいる。父母はノー!ハプサ第2次訴訟の原告だった。その意思を継いでいる。

韓国人軍人軍属の多くが1959年に靖国に合祀されている。厚生省と靖国神社の政教一体が戦後も続いていたのである。このような違憲の状況を問う訴訟である。裁判の支援をすすめ、このような状態の変革をすすめていこう。    (竹内)