12・19朝鮮人遺骨の返還を!政府交渉 

  日本政府は歴史的責任を自覚し積極的対応を!


 2025年12月19日、朝鮮人遺骨に関して日本政府との意見交換会(交渉)がもたれた。この会は「戦没者遺骨を家族の元へ」連絡会、太平洋戦争被害者補償推進協議会、遺骨奉還宗教者市民連絡会が呼びかけによるもので、厚労省、外務省の担当者が出席した。

 前回の9月19日の意見交換会では、厚労省は日本人8600体ほどの鑑定依頼のうち7200体ほどの鑑定を終えたことを明らかにしたが、韓国人のDNA鑑定は遺骨返還に関わるから外交交渉により適切に対応すると答えた。これまで鑑定数が多いことを理由に韓国人のDNA鑑定を拒んできたが、あらたに外交交渉をもちだしてDNA鑑定をしない口実としたのである。

 2014年の最初の意見交換会の際、厚労省は、遺骨返還事業は日本政府の事業であり、韓国人遺族の参加は困難、韓国人の遺骨が遺品などから発見されれば外交ルートで協議するとした。それは韓国人の遺骨を探す意思を示さない発言であったが、その姿勢は変わっていない。

9月の意見交換会では、東京の祐天寺の遺骨(浮島丸275体、朝鮮北部出身者425体)と壱岐天徳寺の遺骨の返還についても、外交上のやり取りが必要として返還の姿勢を示さなかった。今回の交渉はこれに続くものである。

●遺骨奉還宗教者市民連絡会の意見

はじめに遺骨奉還宗教者市民連絡会が以下の4点について質問、政府側が回答した。

1 朝鮮人軍人軍属の動員数

 動員された朝鮮人軍人軍属の数については外務省の史料では37万7000人、厚生省の史料では24万2341人とするが、この差は名簿のあるものとないものの差である。また、死亡者数は約2万2000人とするが、欠落がある。このように説明し、市民連絡会は不明分の再調査、訂正を求めた。

厚労省は死亡者数については韓国政府に1993年に軍人軍属名簿を渡たすなかで、生死不明者を加え、24万3992人としたことを明らかにした。動員者数を変更していたことがわかったが、「引き継いだ史料を訂正することは考えていない」と対応し、動員数などの再調査については拒否した。

2 祐天寺の浮島丸遺骨の返還

 祐天寺には浮島丸の遺骨275体があるが、日本政府の浮島丸事故の死没者名簿には韓国の強制動員委員会の調査によれば、生存者が含まれ、死亡者で含まれていない人がいる。市民連絡会は浮島丸事故の真相調査、韓国側調査との照合、市民団体との協議、遺骨の早期返還を求めた。

 これに対し厚労省は死没者名簿の訂正は考えていない、韓国側調査は承知していないとした。遺骨返還に向けての具体的な対策も示さなかった。生存者を死没者としたことも訂正しないとする対応に、参加者からは抗議の声があがった。

韓国の国家記録院では日本政府から渡された名簿類を公開している。しかし日本政府・厚労省は朝鮮人の援護関係資料については国立公文書館に移管することなく資料室に保管したままである。日本国内では非公開のままである。市民の知る権利は著しく制限されている。厚労省側は浮島丸関係の名簿については国立公文書館への移管が進むと発言したが、移管の時期については明らかにしなかった。

2025年に韓国政府は乗船者名簿の整理を行い、韓国国会や遺族会は真相調査と早期返還を求めている。その動きに対応し、日本政府は積極的に真相調査、資料公開、遺骨返還をおこなうべきだ。

3 朝鮮北部出身者の遺骨返還

 祐天寺の朝鮮南部の軍人軍属の遺骨は、浮島丸の遺骨以外は返還がすすんだが、朝鮮北部の遺骨425体(このうち5体は浮島丸の遺骨)が残されている。市民連絡会は朝鮮政府との協議、死亡資料の伝達と市民への公開、遺族の招請、朝鮮内の日本人遺骨の返還を含めた交渉などを求めた。

 これに対して外務省は、これは日朝協議の内容にかかわるものであり、外交上のやり取りは公表しない、人的な往来は原則禁止であり、考えていないとした。

4 寺院等に安置された朝鮮人遺骨の返還

 2004年の日韓首脳会談で日本の寺院などに残された朝鮮人遺骨の調査が始まり、そのなかで2798体の遺骨情報が集まり、厚労省は1016体を返還対象遺骨としている。そのうちすでに清水の93体は望郷の丘に移されており、約900体が返還されることなく残されている。

2025年7月、これまで政府調査に協力してきた全日本仏教会は、厚労省に対し遺骨を集めて返還することを要望した。また、壱岐水難事故の厚労省管理の遺骨が2018年に壱岐の天徳寺に移管されているが、天徳寺は26年5月末までに保管を終了させたい意向を示している。

市民連絡会は、日本各地の遺骨状況表を示したうえで、政府が早急に返還に向けて動く時であると呼びかけた。

 これに対して政府側は、遺骨は遺族の元に返還すべきだが、韓国側との協議が必要とし、協議内容は外交に関わることでありここでは示せないと繰り返した。返還に向けての具体的な対策は示さなかった。

●「戦没者遺骨を家族の元へ」連絡会の意見

続いて、「戦没者遺骨を家族の元へ」連絡会が以下の4点を問い、政府が答えた。

1 タラワ島の遺骨

ギルバート諸島のタラワ(キリバス共和国)では、アメリカの調査によって発掘された遺骨からDNA鑑定によって日本人と韓国人のものも発見され、返還されている。「遺族の元へ」はタラワでの戦没者数、朝鮮人数、DNA鑑定への案内数や参加数、韓国での遺骨返還式に日本が出席しない理由などへの回答を求めた。

 政府側はタラワでの戦没者数を4200、死亡朝鮮人数を1000人とした。日本人2800人にDNA鑑定の案内を出し400人が申請した。日韓での同時鑑定の実施については承知していない。韓国での返還式については外交上のやりとりであり、答えられないとした。

タラワでの死者の4人に一人が朝鮮人である。多くが基地建設工事に動員された日本海軍の労務者である。収集遺骨には朝鮮人のものが必ずあるとみていい。韓国側との共同調査、DNA採取が必要である。政府側の回答は日本の調査の際、韓国からDNAも収集する意思を示すものではなかった。遺骨をすべて日本人のものとみなし、韓国へと返そうとする意思は示されなかった。

 タラワでのアメリカによる遺骨発掘で韓国人の遺骨が発見された際、2019年11月16日の日本の外務省での課長級実務協議(外務省北東アジア課、厚労省社会援護局などが参加)がもたれた。その席で日本側は、韓国人遺骨はアメリカが管理しているので、韓米間で協力する事項であるとし、韓国側の軍属としての礼遇を断った。韓国での返還式にも出席しなかった。日本政府が発掘した遺骨ではないから、関与しないという対応であった。これは動員した日本政府がその責任を取ろうとしない体質を示すものである。その体質はいまも続いている。

2 ペリリュー島の遺骨

 日本政府はペリリュー島(パラオ共和国)での遺骨収集に力を入れている。「遺族の元へ」連絡会は日本政府に対して、その理由とペリリューでの戦没者数、朝鮮人死者数、朝鮮人遺骨への対策を問いかけた。

 政府側は、24年にペリリューで1086人分の集団埋葬地があることがわかった。戦死者は1万200人、朝鮮人数は約500人とした。韓国との調整については「検討する」とした。

 「遺族の元へ」連絡会では、ペリリューでの朝鮮人死者550人ほどを把握している。死者に朝鮮人が含まれている可能性があり、DNA採取も含めて韓国と調整し、そのうえで遺骨を収容すべきと訴えた。ペリリューでは2400体が未収容とされる。これまで収容された遺骨に朝鮮人のものも含まれていたとみられるが、日本人の遺骨として処理されてきた。早急に韓国からもDNAを採取すべきである。

3 韓国内の日本兵の遺骨

 「遺族の元へ」連絡会は、厚労省の資料では韓国に6500の日本兵の遺骨があるとするが、推定場所と概要、遺骨返還に際しての韓国側との覚書の可否について質問した。

 日本政府は、韓国の徳積諸島で257、済州島で172他、計433が返還されている。覚書などは考えていない。返還は「支障なくできている」とした。

 この回答から、韓国側からは日本人と分れば、覚書などもなく返還されてきたことがわかった。現在、日本にある朝鮮人遺骨に関しては、韓国側との調整ができていないなどとして返還する意思を示さないが、その意思があれば、覚書なしで返還できるものであることが明らかになった。

4 韓国人遺族のDNA鑑定参加

 これまで「遺族の元へ」連絡会は韓国人遺族のDNA鑑定の実施を求めてきた。当初、日本政府は日本人の鑑定数が多いことを理由に鑑定を拒んできたが、25年9月には外交交渉を理由にDNA鑑定をしない口実とした。連絡会は、外交交渉の進展状況、返還時の謝罪の有無、韓国人遺族のDNA鑑定への参加開始、発見遺骨の焼骨中止などを求めた。

 政府側は、外交交渉の内容については言えない、遺骨の早期返還は重要であるから韓国と協議を続けるとした。

 このような政府側の回答には具体的なものは何もなかった。それは朝鮮人を動員したことの責任をとろうとせず、言い訳を並べ、対応を先送りするというものだった。それは、植民地支配の下で日本人として強制動員したことを正当化し、敗戦後は日本人ではないから援護対象からも排除してきた歴史を示すものであった。

このような対応が80年も続いてきたのである。朝鮮人遺骨の未返還は継続する植民地主義を象徴する。遺骨を返還することで強制動員の歴史が清算できる。

●問われる日本政府の歴史的責任と解決への積極的対応

 今回の交渉でも、戦時に厚生省が、朝鮮から労務動員を推進した責任、産業報国会を作り多数の殉職者を生んだ責任、労務統制を強化し労働を強制した責任、陸海軍の援護業務を継承し遺骨を遺族の元に返す責任が強調された。この厚生省の歴史的責任に関して以下、補足する。

1 強制動員の歴史的責任と未処理問題の積極的解決

戦時下、国民徴用の権限は厚生大臣にあった。厚生省は国民労務手帳を発行し、携帯させた。厚生省は労務動員を担う中心であった。1939年7月5日の厚生省による「国民徴用令の実施について」をみると「徴用そのものは強制的に一定の作業を従事せしめる行政処分」とある。厚生省の言うように、徴用は強制的な作業従事への行政処分であり、身体の自由や経済の自由を侵害するものだった。さらに戦争末期には国民勤労動員令が出され、国民戦闘義勇隊の組織化もねらわれた。朝鮮人遺骨の多くはこのような時代を経ていまも残されているものである。

 徴用という強制的な行政処分の結果、死傷した場合には、国家補償がなされるが、それを「援護」と呼んだ。この援護は国民の権利であるのだが、官僚は恩恵のように扱ってきた。また、援護にあたり、国籍条項を導入して朝鮮人を排除し、未払金に関して韓国については65年請求権協定で解決済みとした。

 だが法で解決したとみなしても遺骨問題のように解決していない問題がある。その問題の先送りが続いている。植民地責任をとらないという状況は続くことになった 

 政府は強制動員の歴史的責任を自覚し、未解決である問題の一つである遺骨の返還に向けて積極的に対応すべきである。

2 朝鮮人関係資料の公開を

 厚労省資料室の援護関係資料類はすべて国立公文書館に移管すべきである。歴史文書として取り扱うようにし、公開を目指すべきである。現在、日本人や台湾関係資料は移管が終了しているが、朝鮮人関係の文書の多くが資料室に保管されたままである。1970年代、90年代に韓国側に提供された朝鮮人関係名簿資料については、韓国側では国会記録院で公開されているが、日本では未公開の状態となっている。

 ペリリュー島での朝鮮人動員についてみれば、韓国での公開資料を使って、朝鮮人死亡者の約550人の名簿を作成できる。ペリリューでの朝鮮人死亡者の内訳は呉で編成された第214設営隊が約90人、横須賀から派遣され第30建設隊に入れられた朝鮮人は約440人が死亡している。残りは横須賀施設部と陸軍関係の約20人である。

 国家記録院では強制動員の検索サイトを作成し、死亡者名や本籍地などで検索できるようになっている。たとえばペリリューでの死亡者の李哲河についてみれば、海軍の軍属個票から全南高興郡出身、1944年12月31日死亡、供託では未払金給与が3416円、引き渡し料270円、扶助料990円など未払金計4676円が存在すること、1959年の靖国神社への合祀などがわかる。

 厚労省はこのような朝鮮人関係資料を非公開にしているが、韓国側公開資料からさまざまなことがわかる。戦後80年が経つ。日本側も積極的な資料公開に転じるべきである。

3 国際人権法に対する認識の共有

 近年、重大な人権侵害に対してはその尊厳の回復をめざすという視点が確立している。個人の請求権を国家が消滅させることはできない。人権侵害の回復に対して国籍条項や主権免除を持ち出すべきではない。未処理な問題があるならば、尊厳回復を基礎に、行政は積極的に解決に向けて動くべきである。遺骨問題では、DNAの採取、遺骨の鑑定、弔意と謝罪を持っての返還が求められる。

それは公共の利益であり、国家公務員が全力を挙げて専念すべき職務であると思う。

●付録 2025年9月19日での交渉での発言記録

朝鮮人遺骨返還に関する厚労省の歴史的責任        

未返還朝鮮人遺骨に関する厚労省の発言を聞くと、返さないための口実を並べている。そうではなく、大切なのは、誠意をもって返すための論理を構築することだ。遺骨返還による友好の扉を閉ざしているのが、厚生(人々のヘルスとウェルヘア、健康と福祉)を担当する省であることが問題だ。遺骨返還を求める市民と返そうとしない国家公務員の溝を埋めたい。厚労省は歴史的な責任を自覚し、積極的に行動してほしい。

1 軍人軍属の遺骨の積極的返還に関する責任

陸軍海軍へと徴兵、徴用された朝鮮人の軍人・軍属は約37万人、死者は2万人を超えた。敗戦により陸海軍は解体し、陸軍は第1、海軍は第2復員省となり、その後の業務を担った。業務は厚生省の引揚援護庁に移管され、引揚援護局(1954)、援護局(1961)、社会・援護局(1992)と変遷した。厚労省は軍人・軍属の動員処理と遺骨返還の業務を継承している。遺骨を自ら、積極的に返還する歴史的責任を負っているのである

2 朝鮮人の労務動員を推進した責任

厚生省は1938年に内務省の衛生局・社会局が分離して設置されたが、国家総動員の動きでのことであり、労務動員、国民動員を担った。厚生省勤労局の下には動員部が作られ、企画課、登録課、動員課が置かれた。朝鮮からの動員も担い、厚生省が各企業への動員数を承認した。朝鮮人動員の1939年の通牒「朝鮮人労務者内地移住に関する件」は内務次官と厚生次官の名で出された。厚生省は労務動員の責任部署であった。いわゆる徴用工は戦時下、厚生省による動員の結果である。その遺骨についても積極的に返還する歴史的責任がある。

3 産業報国会を作って多数の殉職者を生んだ責任

大日本産業報国会は1940年に全国組織となったが、政府が労働組合を解散させ、戦争に動員するための組織だった。決死増産を煽動し、現場で過酷な労働を強いた。結成時の総裁は金光庸夫(つねお)厚生大臣であった。大日本産業報国会は1942年に「殉職産業者名簿」を編纂している。300頁を超えるが、6000人を超える労働者の事業所名、氏名、住所、遺族名、連絡先が記されている。炭鉱では朝鮮人の名が多数みられる。42年2月の長生炭鉱の死者も含まれている。厚生省には産業報国、決死増産を語り、殉職者を多数生んだ責任があり、厚労省はその遺骨があるならばそれを集め、返還する歴史的責任がある。

4 労務統制を強化し労働を強制した責任

1938年国家総動員法、1939年国民徴用令と天皇主権の下で総力戦体制により労務統制がすすんだ。1941年12月8日には労務調整令が出され(翌年1月10日施行)、炭鉱など主な現場では自由に転退職できなくなった。逃亡すれば逮捕され、処罰された。1944年には主要な企業で軍需徴用がなされた。戦時下、労働者の権利は奪われ、労働が強制された。動員された朝鮮人は募集であり強制ではないなどと喧伝する歴史否定論者がいるが、当時の労務統制の歴史への無知を示すものだ。現憲法での認識では、苦役と奴隷的拘束が支配的な社会であり、強制労働によって戦争政策が維持されていたのである。それを厚生省勤労局は主導したのであり、朝鮮人遺骨はその結果である。厚労省は強制労働、労働の強制性を認め、遺骨を返還する歴史的責任がある。

5 戦後、日本国憲法に反して軍人軍属死者をヤスクニに合祀した責任

戦死したある朝鮮人軍属(海軍施設部工員)の軍属個票をみると、青い丸印で靖国神社昭和34年(1959年)合祀手続済とある。その横には縦長の印が押され、34年(1959年)10月17日、靖国神社合祀済とある。この個票は厚生省の引揚援護局が管理していたものであり、厚生省自らが靖国神社への合祀手続きをしていたことがわかる。厚生省は、遺族に連絡もせず、本人の宗派を無視し、政教分離原則に反して合祀をすすめたのである。このような行為は日本国憲法違反であり、この過去を反省し、撤回すべきである。援護活動はヤスクニに合祀することではなく、遺族に死者の情報を伝え、遺骨を積極的に返還する活動を行うことである。今残っている遺骨については早急に返還すべきである。厚労省はヤスクニ合祀を撤回する歴史的責任を負う。

厚労省は、軍人軍属の遺骨の積極的返還に関する責任、朝鮮人の労務動員を推進した責任、産業報国会を作って多数の殉職者を生んだ責任、労務統制を強化し労働を強制した責任、戦後、日本国憲法に反して軍人軍属死者をヤスクニに合祀した責任、これらの責任を継承している。その歴史的責任を自覚し、遺骨の返還を積極的に進めるべきである。それが国家公務員としての責務である。遺骨の声なき声を聞き取ってほしい。  (竹内)