向   日   葵      生 駒 孝 子
   向日葵は一日太陽を追って咲く花だと思っていた。
   一日の終わりの光を浴びて、一斉に地平線を凝視する姿は、
   圧倒的な力強さと小さな恐れを私に抱かせた。
   「K・Y」という言葉が流行っている。
場の空気を読めない人を指す言葉らしい。
   あの向日葵の姿が脳裏をかすめる。
何に縛られてひとつの方角に向かわなければならないのか。
    私は「空気を読む」人を恐れる。
   かつて時代の空気を読んで、
人は『非国民』という言葉を使ったのではなかったか。
    焦土と引き換えに得た精神の自由を自ら手放そうと言うのか。
構造計算や食品の偽装、派遣労働者は利益優先の、
会社の空気を呼んだ結果の産物ではなかったか。
   「自分だけはいじめられまい」と神経を尖らせ、疲れ果てる子供たち。
あきらめを早く知り過ぎた目がその顔を大人びて見せている。
    陽炎にアスファルトが揺れる午後、私は思いがけない光景に足を止めた。
    向日葵がその顔を思い思いの方角に遊ばせているのだ。
    ある者はこちらへ語りかけている。ある者は疲れたようにうなだれ、
ある者は私のことなど我関せずとそっぽを向いている。
    私は縛めを解かれたような脱力感の中でその素っ気なさを笑った。
   「日に向かう」名を持つ花でさえ、その名に縛られない時間。
    時代の空気の流れの中で、私も自分の名に縛られない一輪の向日葵でいよう。
    私は私の心の「日」に向かって咲くのだ、と胸を張ろう。
    いつか夕日に向かう向日葵にも
それぞれの意志を感じ取ることができるように。
(2008.3.30)